第15話「世界一の宝と一生のおくりもの」
たとえば。
二匹のウサギ、AとBを用意したとする。
彼らの間には僅かながら身体能力で差があり、BよりもAの方が足が速いとしよう。
そこに腹ペコのメスライオンを投入する。……二匹のうち、どちらかが食われてしまうのは必然的だ。
そして運悪くライオンの標的となってしまったのがA。AはBよりも足が速いと言ってもライオンより速いわけではなく、すぐに追いつかれてムシャムシャと食べられてしまうだろう。
しかし、ここでAはBの方向へ逃げることを思いつき、Bの方向へ走った。
BはAよりも足が遅い。だからライオンに食べられてしまうのはBとなる。
……さて、ここで疑問。
AはBよりも足が速い——強いと言えるわけだが、BはAにとっての肉になるのだろうか。
敵対するもの同士を例えて弱肉強食と呼ぶのなら、この瞬間からAはBにとって敵となる。
だが実際はBは肉となってAの腹に入る事はなく、Aよりも先にライオンに食べられて、ウサギ一匹ではライオンの腹も膨れないので、その後にAも食べられてしまう。
『——BガAニ憎シミヲ抱イタイタトシテ、コレハ「ざまあみろ」ト弱者ガ強者ヲ見下シタトイウコトニナルト思ウカイ?』
「……ならない。Bは既に死んでいるから」
『フム……「そう思うあなたは冷静に物事を判断するタイプ」ダッテサ。当テニナラナイネ』
「天袖が戦わない選択肢を最初から考えなかったおーとろに言われたくない」
レッテルの施設内を歩く無架とオートロ。自室で待機していてもいいはずだが、無架はじっとしていられなくて、オートロを連れ出して散歩していた。
無架がじっとしていられない理由は、彼女の恋人であり調査対象でもある雪蕎麦天袖。彼の正体が、彼の生体情報を元にして行う生体解析によって今日判明するからだ。
ただの人種魔妖であれば、無架が天袖と付き合う必要が無くなる。
ただの人種魔妖ではないなら、その時は——
(……あ)
天袖のことを考えているうちに、無架は彼からプレゼントされた【エニモミスト】を思い出した。
半ば無意識に手を動かす。あの「手にしているのに持っていない」感触は忘れたくても忘れられそうにはない。
「……そういえば、天袖にもらったやつはどうしたの?」
『……アァ、アレネ』
無架が目にしてきた光り物の中では最も美しく煌めいていて、宝石としても世界一の値が付くだろう。
だが「世界一の宝石」の価値の前に、貴重な研究材料として【エニモミスト】も解析班行きとなったのだ。……少し事故があったけれど。
『……オッ!?』
『……あっ』
いつものようにオートロに預けようとしたところ、あまりの重さにオートロのアームが折れてしまったのだ。
今までの報告や事後処理への繋ぎ、解析が必要だったりするものは全てオートロがこなしたり回収していたので、いつもの癖でつい、渡してしまった。
その後は反重力装置を駆使することでオートロだけでも運搬することができたものの、その後はどんな結果になったのか聞いていなかった。
『アァ、解析ニ回シトイタヨ。結果ナンダケド』
二人の歩く方向の、前から人影。
「……お、久那じゃないか! オートロも一緒か!」
レッテルの一般職員。気分が沈んでいる時は気さくに話しかけてくれるし、任務で疲れている時は、すれ違っても話しかけてはこない。こうしてたまに顔を合わせるけど、無架は彼の名前も知らない。そんな一般職員は無架に気づくと、手を挙げた。
「やったな!」
「こんにちは。……えっと……?」
何がやった、なのかわからない。……無架が困惑していると、彼の方から説明してくれた。
「こないだ持ち帰った宝石だよ!〝エニモニスタ〟だっけ? 特級はまず間違いないレベルだったらしい。特別褒賞もたんまり出るだろうな!」
「……え、そうなんですか?」
「おう、これから聞くとこだったか?」
『マァ、話ス手間ガ省ケタノハ事実ダ』
不貞腐れたようなオートロの科白にも、男性職員は明るく笑い飛ばす。
「はっは、悪いな! それじゃ俺はこれから任務だから、失礼するわ! 人種魔妖が暴れて店がいくつか吹き飛んだらしくてよ、店の再建に人手がいるとかで明日の朝まで徹夜だ!」
はっはっは、と明るい男性職員の言葉を聞いて。
液体窒素を真正面から噴射されたかのように、無架の笑みが固まり、オートロのライトが死んだように光を失った。
あの事件の原因を追及するなら天袖に反省させないといけないが、彼の行動の原因は無架が「一緒に戦って」と言ったからでもある。男性職員の笑顔に無性に無架は頭を下げたくなっていた。
『…………アァ、頑張ッテ』
「…………応援、してます」
「ん? なんだ? ……まいっか。じゃあな!」
男性職員を見送る二人の、声は硬かった。
男性の姿が見えなくなって数分後。
「そういえば、エニモ……ニスタ? とか言ってたけど」
二人は話の続きに戻った。……無架は若干乾いた声をしているが、その笑みに陰りはない。
『一般職員ニハ伏セテイルンダヨ。アンナ凄イノ、表ニ出スダケデ大問題ダカラネ』
オートロの言葉にも一理ある——どころか、納得しかできなかった。普通に考えてみれば、世界一の価値を持つ宝玉なんて、所持しているのが判明するだけで世界のパワーバランスが崩壊するのは必至。存在を公表するのは思いきり悪手と言える。
「……まぁ、それもそうか」
さすが、なんて無架がオートロの手際の良さに心の内で感心していると、オートロはピポパ、と転がるように音を鳴らした。
『……問題ハソノ値段ナンダヨネェ』
値段。【エニモミスト】の価値は世界一だと無架は聞いているが、それは一体どれ程の価値なのか、実際のところはわからない。
その大きさや模様の美しさなどは値段として加味されるのだろうか。研究材料として見られるなら、外見についてはほぼ無視されるのは確実。……やはり、人が触れると軽くなったりする性質やそれ自体の重さ、内包するエネルギー量、などが重点的に見られるのだろうか。
などと色々考えていると、オートロが無架の端末にコードを繋げた。……そして、無架の視界にオートロが表示するモニターの内容が映る。
右から左に流れていく電光掲示板のように、オートロの科白に合わせて数字が表示される。
『七四——』
(七四万……まぁ、返せない金額じゃないか)
『——垓エン』
「んごげほふっ」
金額に、思わずむせた。いや故障とかのレベルだろう、と思いながら無架はオートロにまんまるに剥いた目を向けた。
「は……? 垓?」
『イチ、ジュウ、ヒャク、セン、マン、オク、チョウ、ケイ……ソシテ〝垓〟ダ』
オートロが丁寧に説明してくれているはずだが、それでも無架の理解が追いつかない。垓なんて知っているのに、わざわざ聞いてしまうくらいには、混乱していた。
「それってなんおくエン……?」
『一兆億エン』
「…………」
ひー、ふー、みー、と数えてあといくつ足りないのかわからない。無架の好む「カツ揚げ弁当」の値段五二〇エンと比べても、途方もない数字だということだけはわかった。
『普通ナラ、値段ガ付ケラレル代物ジャナイラシイ。コノ金額ハ概算ヲ通リ越シテ半分オフザケミタイナモノダカラネ』
値段が付けられない。ということは価値が無いということか。いやでも価値が高過ぎて天井が見えないというだけで実際にはそこにあるから値段なんて話になっているわけで、価値がつけられないから価値が無いということにはならないんだけど、…………???
『マ、キミノ孫クライハ余裕デ養エル金額サ』
「……」
孫。この先無架は誰かと結婚するのだろうか。……そして、子供なんて産むことになるのだろうか。
『……できちゃった』
……いや、無架の脳裏に真っ先に思い浮かんだ顔はあるが、それはあくまでも任務上付き合っているというだけで結婚したいと思っているわけではない。
(……ていうかなんで天袖が妊娠してる前提なのわたし)
「孫どころじゃないでしょ」
地球が滅ぶまで遊び尽くせそうな金額だ。というか、人類の保有する資産全てと比べても足りないのは確実。
『ソウダネ。タダ……』
美味しい話でしかないというのに、何故か含みのある表現で言い淀むオートロ。
「ただ?」
何かを懸念しているのか、その声は低くて重い。
『ココマデノモノヲ作レルトナルト、「本物」ノ可能性ガ高クナッテクルンダヨネ』
……その可能性を、無架は最初から捨てていた。
「…………」
天袖のことを心配しているようにしか無架には聞こえない。でもその時の無架にとって、その心配の言葉の中でも、オートロの科白はどこか——わざとらしいものに聞こえていた。




