第9話「舞い戻るは黒き枝。大切な家族、大切な隠し事」
無架と天袖。二人が恋人になった、素敵な日。
彼らがお互いの肌の柔らかさを確かめ合い、無架が天袖の心の歪みを知るより、数十分後のこと。
彼らのいる場所からほど近い、いやほど遠い? ……どのような例えをすれば良いだろうか。そこには辿り着くための手段さえあればすぐに行けるし、何もなければ永遠に辿り着けない。とにかく、距離感を掴むには感覚では説明しにくい場所。まぁ「ほど良い」で良いだろう。
とある域物の死体が、彼らがいた場所から〝ほど良いところ〟に転がっていた。
そこは『階層都市サリカ』低階層第一〇位第四区。
どこかの企業の所有する、小型ジェット機離着陸用滑走路。
滑走路の中心を塞ぐように横たわる、巨大な狼の死体。大型トラックにも引けを取らない、巨大な体躯だ。
狼の前足の巨大さだけを見ても、とても太いという言葉で形容できるサイズではない。
なにせ、通常兵器が効かないという域物の死体だ。それ自体が放つ力強さを目の前にすれば、猟銃を構えたところで体の震えを抑えることはできないだろう。
たぶん——その域物の腹の中から、人が出てくるまでは。
「ぬあー! くせー!」
ごっちゅ。ぬめりと水音が混ざり合った音を立てて、喉の下から股関節まで開かれた死体の腹。その中にある内臓の下から青年が姿を現した。
「よい……っしょ!」
片腕で死体の腹を持ち上げる青年のもう片方の腕、手には何かの内臓が握られている。
「水風船みたいな胃袋出てきたんだが!? 腸とかと繋がってねぇぞ!」
死体の胃を喉元から切り離し、その切り口から中身が零れないようにしっかりと持ちながら死体の体外へと出る。内臓と血の臭いに塗れた青年が声を上げると、彼の頭上から声が返ってきた。
「口ん中に入れたものは全部吸収するんだ! ……喰らった全てを栄養にした方が、効率いいだろ!?」
少女の声色。少女——ラスノマィ・フェルノ・ニェーバーは胴体の上に乗り、域物の腹の皮を複数箇所ワイヤーで引っ張り上げて、固定している。
青年——廻我碌亡が内臓を取り出す作業をしやすいよう、開いた域物の腹部を開けたままにするためだ。
ラスノマィが声を張り上げているのは、その作業に精一杯、全力を振り絞っているから。
「ふ……ん、ぬ……ぐうっ!」
全ての力を出し切って、支えるものが何も無い筈の「空中」と腹の皮を繋ぎ止めている。
ラスノマィが直接ワイヤーを手にしているわけではなく、空間を動かぬ場所として設定し、そことワイヤーを繋ぐことで腹の皮を引っ張っているのだ。それは「黎術」と呼ばれる、物理領域外の技術によるもの。
「腹を開いたままにする」ためにラスノマィがワイヤーを空中に固定する理由はいくつかある。『持ち上げられる重機を持ち込めなかったから』『私有地とはいえ、域物を持ち込んでいることがバレたら面倒だから』などいろいろ。
真っ先に腹を開いて体内から内臓を取り出しているのは肉や骨などを良質な状態で保存したいからだが、死体を横倒しのままにしている理由は、域物の頭部にある「水晶で出来たツノ」を傷つけないため。
この域物は狼の見た目をしているが、頭部には攻撃的な見た目をした闘牛のようなツノが二本生えている。ツノが水晶ならその根元にある頭蓋骨も水晶ということ。この域物の全身骨格を揃えることができたのなら、その価値はきっと、とんでもないものになることは間違いない。
なので彼らは肉——というより骨を傷つけないように、慎重に作業をしている。
しかしこの域物が「ツノを武器としていた」くらいなのだから、ワイヤーで足を吊り上げるくらい大丈夫なのでは? と碌亡は思っていたが、ラスノマィの説明を聞いて納得せざるを得なかった。
この域物は、体の表皮に次いで骨——つまり水晶が堅いのだ。
水晶より皮の方が硬くて、でも皮を持ち上げることができている。それはつまり、ワイヤーで直接足などを吊ってしまえば、足の骨が砕けてしまう可能性があるということ。
皮を剥がせば別だが、そのためには時間がかかり過ぎる。彼らは肉の腐敗を防止することを先に決めて、内臓を引っ張り出している最中というわけだ。
ヒトが入る隙間を作るだけでも、精一杯。
「胃液はどうしたらいい?」
「別に、ただの水だよ! 臭いけど!」
なら、心配は何もない。碌亡は名前が入ったタグを付け、内臓をより分けるカゴに胃を投げ入れた。
この域物を捕獲してきたラスノマィは骨や皮の「性質」と合わせて知っていたことだが、ツノが武器として使えたり、胃袋でなんでも溶かし吸収してしまうのは、この域物が〝生きていた〟から。
生命力が身体の各所に分配され、強度や性能を発揮していた。それはつまり、死んでしまえば強度や性能が発揮されなくなるということ。
生きている間は鋼鉄をも溶かす最強の溶解液となるが、死後までその性能を保つ必要はない。
水晶も水晶以上の強度を持たないのだ。
「なんだよ……びびらせやがって」
カゴの中には胃液が零れるが、確かに何も溶かしてはいなかった。
「……ん?」
……それでも腹の皮の硬さだけは本物だった、ということだろう。
ギヂッ……ビチ。
「……!?」
だって、あまりの堅さにワイヤーが千切れかけているくらいなのだから。
辺りに響き渡る不協和音。それは、腹の皮の強度に耐えかねた鋼のワイヤーが悲鳴をあげている音だ。
「ラスノミ、危ねぇ!」
碌亡が気付いて振り返る。……しかし、もう遅い。
ばつっ! ——繋いでいたワイヤーの一本が千切れ、その先端が鞭のようにしなり、ラスノマィに襲いかかった。
「っ!」
でもラスノマィは逃げられない。ここで逃げたら、その他のワイヤーの繋ぎも千切れてしまいかねないし、それに——
ガギッ……!
どこからともなく伸びてきた黒色の枝がワイヤーを弾き、さらに枝分かれしてワイヤーに付着、掴んだ。
遅れて、倒れてしまいそう——固定の制御を失いかけていたラスノマィの体を、誰かが支える。
「……大丈夫? らすのみ」
——それに、こうして王子様に助けてもらうことができなくなるからだ。
天袖。ラスノマィにとって一番大切な家族が、彼女の窮地に現れた。
まるで主人公みたいな登場の仕方だ。ヒロインのピンチに現れ、彼女を危機にさらすまいと前に立つ。その顔つきは見れば見るほど精悍で——いや補正をかけすぎだ。
天袖の顔。天袖の瞳。今朝見送った時と何ら変わりはない。
「……」
そして、彼の背後に生える〝戦枝〟も。
「らすのみ?」
ただじっと自分を見つめるラスノマィに、天袖は首を傾げる。その幼なげな顔を見て、ラスノマィは笑んだ。
(本当に……でたらめなヤツ)
空間を補強するだけだったラスノマィと違って、ワイヤーを直接引っ張っているにもかかわらず軋みもしない。
その負荷たるや、ラスノマィが繋ぎ止めていた負担の数倍はあるはずなのに。
「ああ、もう大丈夫だ……おかえり」
「うん。……ただいま」
戦枝。天袖が使う、天袖だけの武器。
枝のような、黒光の腕のような、或いは黒く照る触手のような。相変わらずのその美しさは、見るものを魅了する。
「それと、ありがとう。……危なかったよ」
「どういたしまして。……繋いどく?」
「頼む。……もう、へとへとだから」
ラスノマィが頷くと天袖も頷きを返して、死体の周りに戦枝がさらに生えた。
無事だった他のワイヤーにも次々と枝が絡みつき、代わりに引っ張って、完全に固定する。
「よい……しょ。……あー、らく」
天袖の手をしっかりと握ってしっかりと域物の上に立つ。切れていた息も、振り絞っていた精一杯も……ラスノマィは取り戻していた。天袖のおかげだ。
吸血鬼——人種魔妖である天袖は、普通の人間とは違い他人に自分の体力を分け与えることが出来る。それはスタミナであり、ラスノマィが黎術を発動するために必要なもの。
天袖から力を借りさえすれば、ラスノマィでも先程のワイヤーを固定し続ける事も何ら難しいことではなくなるのだ。
家でも外でも、殆ど一緒の二人。彼らは兄弟や恋人よりも近い距離で一緒の時を過ごしてきた。
そんな仲の良い二人が、今日だけは離れていた理由。
その結果を、ラスノマィは尋ねる。
「……あー。……それで、その。今日はどうだった?友達にはなれたのか?」
いつの間にかネットで知り合ったという、天袖の友達。今日会う約束をしていて、今朝ラスノマィは天袖を見送っていた。
相手が男性か女性か、子供か年寄りかなんて聞くことはしなかったが、ラスノマィの予感はほぼ一〇〇パーセント〝当たり〟だと確信していた。
「うん。……彼女できた!」
(……ほらみろ)
愛しい家族の嬉しげな報告。しかしそれは、ずっと彼と寄り添ってきたラスノマィにとって「最悪」とも言える不幸の知らせ。
「……あー、うん。……そうか」
しかし何故か、その表情は苦笑いだった。
まるで悪い予感が的中してしまった時のような……こうなることを確信していながら止められないとわかっていた、ほぼ諦めにも似たようなものを漂わせながら、ラスノマィは力無く、笑った。
「……ま、またそのうち紹介してくれ」
「うん、わかった」
天袖は人種魔妖——吸血鬼と呼ばれる種族の血を引いている。……しかし、彼にはそれだけではない。彼の体を流れる、吸血鬼以外の血。それがうまく発揮されるとこうも簡単になるのかと、ラスノマィは頭を悩ませた。
(……血?)
考えていて、思い出す。天袖は吸血鬼。そして、吸血鬼の求めるものといえば——
「……そういや、これはいいのか?」
自分の首筋を指して、ラスノマィは天袖に『吸血はしなくていいのか?』と聞く。
見たところ天袖の体調は良さげ。しかし、見た目がどうだからとそれで天袖の体質を片付けていいわけではないのも事実。
前回無架の血を天袖に吸わせた時から時間もかなり経過している。天袖には、今日にも新しく吸血をさせなければいけなかった筈だ。
そう思って天袖に聞くと、彼からは返ってくる筈のない答えが返ってきた。
「うん。なんか、調子いいし」
(……どういうことだ?)
ラスノマィは、不審に思った。
天袖は今日すでに無架から吸血をさせてもらっているので、これ以上吸血はしなくてもいい。
でも天袖は、それをラスノマィには隠したい。
無架に頼ったことをラスノマィには知られたくない。そのために無架に会いに行ったというのに、それをラスノマィ本人に知られては本末転倒だ。
「……天袖、正直に答えろ。誰の血を吸った?」
「……え、えっと」
でもラスノマィから見れば、天袖が今日吸血をしたのは事実。僅かな感情の機微でさえも感じ取ってしまうラスノマィに、隠し通せるようなものではない。
(……まさか、今日のデート相手に吸わせてもらったのか)
天袖が誰を恋人にしようが、ラスノマィ〝達〟にとってはさほど重要ではない。重要なのは、ラスノマィ達以外から血の提供を受けたかどうか。
(まずい……すぐに特定しないと)
そして、天袖の反応は明らかだ。
「天袖、悪いけどケータイ——」
ラスノマィはすぐにでも今日天袖が会った相手を突き止めようとする。……が。
「……あー、出がけに俺が吸わせたんだよ。途中デート相手を襲ってもダメだろ?」
「……!」
階段(天袖が戦枝で作った簡易的なもの)を登ってきた碌亡がそう釈明したことで、ラスノマィの動きは止まった。
剣幕は無くなり、固くなった表情が解ける。
「……これ以上ラスノマィに迷惑かけたくねぇから、内緒で吸わせてくれって頼まれたんだよ」
「……なんだ、そうなのか」
こくこく、と頷く。
「……う、うん」
それでもラスノマィが焦ったのは事実だ。
怯える表情だった天袖の頬を掴み、奇しくも無架がしたのと同じ格好で彼に言い聞かせる。
「いいか。周りにどう思われようが関係ない。……お前は、ボクだけどわたしだっての家族だ。……遠慮しなくていいんだからな」
「……うん」
嬉しい言葉。
喜ばしいはずの言葉。
それでも。
きゅっと、天袖は唇を噛む。
——天袖にとって『家族』こそ、遠慮をしなくてはならないものだからだ。




