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第8話「雨に濡れた心。静かな疑惑」

 しきりに降り続く雨。

 夜灯が、雨に濡れる無架の姿を艶やかに浮 かび上がらせる。


「…………」


 傘もささずにその中を歩いていると、まるでシャワーでも浴びているかのような気持ちになる。……気持ちになるが、気分は晴れない。


「…………」


 髪から足の爪先まで、余す所なく濡れた肢体が重い。

 全身、あらゆるところが重く感じるというのに……唯一、彼女の抱える真紅の宝玉だけは風船のように軽かった。


「……あ」


『……ヤア』


 前方に人影。……かと思いきやそれは、彼女が脇に抱える【エニモミスト】と対して変わらない大きさの球体。人間ではないが、無架の知り合いだ。

 思考支持システム「オートロ」。無架の相棒であり、彼女の作戦行動をサポートする、無架にとってはもう一人の自分とも言える存在だ。

 腕や顔があれば、手を挙げて明るげに挨拶しているであろうオートロに沈黙を返し、その横を通過する。

 無架の歩幅に半歩遅れて、宙を浮遊する球体は無架の後についてきた。


『……マルデフラレタ後ミタイダネ』


「……フラれたわけじゃない。任務は成功した」


『人類領域カラノ命令ヲ、全テカイ?』


 オートロからの問いかけに、無架は頷いた。

 人類領域——それは、無架達「レッテル」に命令を与えた〝エリア〟の名前。

人類が自分達の住む場所、守るべき場所として定めたエリアの総称。組織名ではない。

 人類領域の中にはいくつもの国家、王国や都市群(国家に属していない都市のこと)が配置されていて、人々は基本的に人類領域の中で暮らしている。

 人類領域の中に『居てくれている』国王達の尊厳を損なわせないために、人類領域は自らを彼らの上に立つという意味の人類統括組織ではなく、単にそこに在るだけの〝場所〟とした。

 そのために、人類領域は各国に命令を強制する権限を持たない。要求があっても他の国王達との差を生むことになる「貸し借り」を作らないため、国一つに対して何かを要請するということはないが、域物という一点に関してだけは別の話だ。

 域物だけ。

 域物だけには、どんな権力もどんな兵器も及ばない。その為、人類領域直属の域物対策専門組織である「レッテル」は域物に対処するという理由での行動のみ、各国内、各都市内での権限が保障されている。


「必要なものは全部集まった」


 そんな人類領域がレッテルに命じたのは、雪蕎麦天袖に関する詳細な調査。


「予想外のことは色々とあったけど」


『貰ウヨ』


 無架は通信端末を取り出してオートロに翳す。オートロに彼女が集めたデータを送信しているのだ。


「雪蕎麦天袖との連絡手段、親密な関係……」


『ヘェ……オルトロガヤラレタ時ハダメカト思ッタケド、案外マトモニ出来タジャナイカ』


 送るデータ自体は少ない。無架がオートロに送ったのは、天袖から得たメールアドレスと端末番号のみ。……ただ、無架がオートロに渡せるものはもうひとつ、いやふたつある。


「相手が天袖じゃなきゃ、ここまで上手くいかなかっただろうけど」


 無架の親指サイズ程の小瓶をオートロに渡す。天袖の生体情報が入ったものだ。

 無架と天袖が使用した四〇四号室はレッテルの解析班が後片付けをすることになっている。その際、彼らが天袖の生体情報も確保する予定になっていたが、それとは別に無架も可能な限りその場で生体情報を採取するようにといわれていた。

 オートロ表面がスライドして開き、そこから伸びるアームで無架の差し出す小瓶を掴むと、そのままアームごと小瓶を格納する。


『名前呼ビトハ、随分仲良クナレタネ』


 オートロの科白は無架の成果をほめたもの。でも、無架にはまるでその実感がなかった。

 無架が「レッテル」として人類領域から承った任務は既に完了している。無事に達成しているのだからこの場合は喜ぶべきなのだが、それでも無架の表情は暗い。


「仲良く……あれじゃ、誰だって仲良くなる」


『?』


「恋人になった」


 ごっ。……オートロが、街灯の柱にぶつかった音だ。


『……アレ、今日ハ取リ敢エズ対象トノ関係ヲ持ツ、トイウノガ目標ジャナカッタカナ?』


「どうせならもっと深い関係になった方がいいでしょ」


『…………ハァ』


 表情を作る顔は無いが、もしあるとすれば呆れた顔で、オートロはため息のようなものを吐いた。

 期待以上の結果だ。でも、その結果を持ち帰る為に無架が歩いてきた橋は、危ないどころか……既に崩れている。たった一度しか使えない、そもそも使えるかどうかすら怪しい橋だった。

 まるで奇跡のような組み合わせだ。無架も、相手も。


(……普通ハ、知リ合イニナルトコロデ今日は終ワラセルダロウニ。運ガ良カッタ——イヤ、相手ガ良カッタナ)


 出会ってその日のうちに恋人になるとか、どんなミラクルだ。


『マァ、アノ短イ時間デ恋人ニナル手腕ハ、正直凄イ。ドンナ手ヲ使ッタンダ?』


 しかし、結果的に関係を大きく進ませたことは事実。無架に魔性の才能があったのか、なんてオートロは感心する——


「恋人になって、って言ったらなってくれたよ」


 がしゃあん。路上に設置された飲料の自販機に衝突したオートロが、制御を失って隣のゴミ箱に落ちた音だ。


「……どうかしたの?」


 オートロは先程から、街灯にぶつかったりゴミ箱に落ちたりと会話に集中して他への注意が疎かになっている。仮にも思考支持システムが何を人間みたいに、と思っていると。


『ドウカシテンノハオ前ノ方ダタワケ。イイカ、オ前ハ馬鹿ダ。ソシテ相手モ馬鹿ダ』


 体から無数のアームを伸ばし、散らばった空き缶を拾い集めながらオートロは言う。

 しかし、無架はそれを否定した。


「馬鹿……とは、ちょっと違うかな」


『……?』


「わたしがそういう手段を取ったのは認める。けど、天袖は……えっと」


 無架が天袖と出会って感じた違和感。

 言葉にできないのをもどかしく思っていると、オートロから電子音が鳴る。


『ン。悪イケド、上カラダ。出テクレ。——「こちら解析班総括、基貞もとさだです。久那隊長、報告をお願いします」』


 オートロを通して、今回レッテルが作戦本部としている部署と通話が繋がる。

 会話の相手は、今回の任務の後方支援を担当する責任者だ。


「久那です。任務は完了。対象と関係を築く事に成功しました」


『「報告了解。討伐以外もお得意とは、流石ですね」』


 二人は顔を合わせたことがない。無架はこれまで討伐任務ばかりをこなし、基貞は討伐した域物の解体や研究、調査ばかりしていたからだ。

 だが、通信だけなら何度もやり取りしてきた。

 耳馴染み——と言っても過言ではない。会えばその声でわかるだろう。


「詳しい報告は後でしますが、今回は特に簡単でした。報告書を読めば理解できるかと」


『「わかりました。楽しみにしておきます」』


 打ち解けた雰囲気。天袖との場合は彼が特殊だったのに対して、基貞とは時間があったからこそ生まれたものだ。

 だが、そんな緩やかな雰囲気も無架が付け加えた報告で吹き飛ぶ。


「では、今日のところは失礼します」


 とん、とん……。オートロを指先で二回叩く。


『「……はい、おやすみなさい。……少しお待ちを」』


 無架の科白に、基貞の声色も張り詰めたものに変わる。

 基貞の方で会話の録音を止めたのだ。ここから先は、万が一にも他者に聞かれるわけにはいかない。

 そのことを察してか、オートロも周囲に熱源や盗聴器がないことを『OK』と文字で知らせる。


『「……お待たせしました。伺います」』


 一呼吸おいて、無架は口を開く。


「彼はわたしの正体を知っていました」


『「……何ですって?」』


 基貞の声は、戸惑いを隠せていなかった。当然だ。無架だって、取り繕うことができなかったのだから。


「CMで知った、と本人は話していました」


『「コマーシャル……クオンティ王国調査の件でしょうか」』


「恐らくは」


 無架が基貞に伝えたこと。それは、レッテルの内部に裏切り者がいる可能性だ。


『「アレの放送開始予定時刻は、今日この後午前一〇時からの筈。しかも彼が入れない発展階層のみでの発表です。彼が知っているはずがない……」』


「詳しく調査をお願いします」


『「了解しました。報告は以上ですか?」』


 肩の荷が少し降りた気がして、無架は脇に抱えているものを思い出した。


「……あ、あと」


『「はい」』


「【エニモミスト】の生成方法と実物を手に入れました。これもあとで」


 ごっ。自販機にぶつかる音。

 ばしゃっ。……コーヒーをぶちまける音だろうか。


『「あっづあ!?」』


 無架は仕事をしてきて今日初めて、基貞の慌てふためく声を聞いた。




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