第7話「世界で一番高価な愛情。無垢なる僕」
「…………!」
差し出されるもの。それは、感嘆の言葉すら失うほどに綺麗な球体だった。
何かの宝玉だろうか。しかし吸血鬼が宝玉を造り出すなんて、無架は聞いたこともない。……いずれにせよ、無架はそれが人間の赤子ではない事に心底胸を撫で下ろしながら、差し出される球体を受け取った。
「え」
違和感。触れてわかる、その異常。
「【エニモミスト】だよ」
「……え」
その単語を聞き、危うく取り落としそうになるが、どうにかキャッチ。
両手でしっかりと、腕まで使って抱え込むように支えて、無架は天袖を見る。
「…………え?」
未だ彼女は困惑の渦の中にいる。だが、彼女が混乱しているのはその名前を聞いたからだ。無架はその名前を知っていた。
純物質【エニモミスト】。
天袖が造り出したもの。彼が彼女に「愛のけっしょう」だと言った、それの正体だ。何故天袖が作り出せたのかは不明だが、本物は確かに無架の目の前にある。
別名【龍の心臓】とも呼ばれるその物質は、三つの「世界一」を持つ。
ひとつは世界で一番〝重い物質〟だと考えられていること。そしてもうひとつは、ほぼ無限のエネルギーを放つ世界で唯一の存在だと伝えられていることだ。
そして最後のひとつは、地球上のどの物質であってもエニモミストに比類する価値のものが無いほど高価なものになる、と言われていること。歴史書には、国と引き換えにしてでも求めたという王の存在が記されている程だ。
無架が蓄えた情報ではその程度。実物なんて触れたこともなく……だから天袖の差し出す球体を受け取った時は、彼女の頭がエニモミストの引き出しを開けるまで〝それ〟がそうなのだとは信じられなかった。
「綺麗……だね」
その形は磨き上げられた水晶のように球体。そしてエニモミスト自体が僅かに発光し、真紅の煌めきを放っている。これまで無架が目にしたどの宝石よりも美しい。
だが、風船のように軽い。ボウリング球程度の大きさや硬さがあるというのに、まるで持っていない感触だ。伝わる説明と矛盾するその感触が、無架の理解を遅らせた。
「床に本を置いて、その上に置いてみて」
天袖に言われた通りに置く。選んだのは分厚い辞書のサイズ。……すると、変化を待つ間も無く、めりめりめり……と音を立てて、本の表紙が歪み、そして数ページが凹んだ。
「……!」
再び持ち上げてその重さを目にすることで、無架はようやく確信する。
実感はなかったが、この球自体に相当な重さがあるということ。
実際、人が触ってる間【エニモミスト】は重さを発しない。でも人が触れない状態で重さを量れば、その大きさはヒトの握り拳サイズで一トンを軽く超えるという。
「ひとのからだから溢れるエネルギーに反応して、石が軽くなってるんだって」
「……」
握り拳を作ってみる。……これの重さで、一トン。
これがボウリング球サイズなら……重さはどれ程だというのか。
「……」
その説明にいよいよ本物であることを確信した無架は、言葉を失った。
「…………」
無言の無架が視線を注ぐ【エニモミスト】。彼女の意識が全てその球に吸い寄せられる中で、不意に放たれる天袖の言葉が、宝玉に落ちていくだけだった無架の意識を拾い上げた。
「……それ、無架にあげる。プレゼント」
指で額を弾かれたかのように、それまで深く沈み込んでいた視界が白く、明るくなる。
「……え?」
「おかねに困ってるなら売ってもいいし、綺麗だから宝石にして飾ってもいいかも。……台座は、ちょっと用意する必要があるけど」
プレゼント。あげるものだと、天袖は言った。
誰に? 無架に。
「……なんで、こんな……?」
先程から何度混乱すればいいのだろうか。
無架は天袖に何もしていない。彼に血を吸わせたのだって、契約があったからだ。
「恋人になった、きねん?」
数分前まで、ただの他人だった。
「もちろん、おかねはちゃんと払うよ」
ベッドの上に散らばる三枚のお札を集め、無架に差し出す。その表情には何も偽りが見えない。
好意が過ぎる。しかも劇的、苛烈なまでの急激な変化だ。
静かな湖面、死体のように穏やかだった感情の心電図が、上限ぴったりに振り切って下がらない。
人間はエスパーを使えない。笑顔に見えていても、心の底がわからない。だから結局は、相手の行為のみでそれを推し量るしかないのだが、無架に向けられる天袖の好意は過剰過ぎた。
「……本気なの……?」
計り知れない程の【エニモミスト】の価値を知っていて。
自分が【エニモミスト】を作れることを示し。
それを何の迷いもなく無架にあげたこと。
「ほんき、だよ」
天袖はあげすぎで、無架は貰いすぎだ。
どんな富豪が、どんな状況——たとえ自分の死が避けられない状況だったとしても。これ程の大盤振る舞いは絶対にしない。
だって、どんな大富豪でも『国一つの価値』と同等のものなんて、命を引き換えにしたとしても差し出せるものではないからだ。
「…………」
それを天袖はやる。もはやこれは、好意や相手への思いやりを通り越した、ただの搾取でしかない……。
(……もしも)
もしも無架のように天袖に迫った人間が、この過剰な反応を享受してきたのだとしたら。
彼は、奴隷よりも酷い立場にいる。
「むうかは、恋人だから」
変えなければならない。天袖がこのままでいるなら、彼の本質を利用しようとする欲に塗れた人間はいくらでも現れる。
「……天袖」
無架の天袖に対する決断は、あくまでも彼女の目的の邪魔を生まないため。そう心に刻み、無架はお金を受け取った。
「……ありがとう」
純粋な好意は他人に悪影響を及ぼす。ほどほどにしておかなければいけない。
まずはそれを教えてあげなければ。そう思っていると、天袖は【エニモミスト】に視線を落とした。
「それにさ。無架は、お金が必要だろうし」
「……?」
無架は金銭のやり取りに応じている訳だから、金が必要だと思われているのかもしれない。
実際の無架自身の財力からすれば、人一人を養うことなど造作もないのだが。
「……ん、大丈、」
やんわりと天袖の提案を遠慮した上で「逆に養ってあげる」なんて言おうとする。——が。
「クオンティ、行くんでしょ?」
……そのひと言が、無架から台詞を奪い取った。