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第6話「掴み出す感情。そして生まれる愛のしるし」

 二秒、三秒。数えるうちに、体の中から何かが抜けていく感覚が無架の中に生まれた。

それと同時に指の先が痺れ、無架は若干の酩酊感に襲われる。目眩のようなものだ。一呼吸もすればすぐに治まった。


「——んはっ」


 にちゅ、という湿音。それと同時に、無架の肩にあった圧迫感が薄らぐ。

 肩に残る違和感は、傷口ができたせいか。


「…………」


 頬を見る。肌を見る。表情を見る。

 彼の顔は、生気を取り戻していた。


「…………むう、か」


 天袖の口元が鮮血に濡れている。その血は紛れもなく無架自身のもので、だけど、その血に塗れた彼の姿は彼女の〝何か〟を昂らせた。


「……っ」


 その接触に言葉はない。天袖に吸血させたのは無架だ。だが、彼女は湧き上がる何かを抑えきれず、自分の血を吸った天袖の唇を奪った。


「……ぁ、ん」


 本来の目的である吸血。それは金銭のやり取りと血液の提供をもって成される契約だ。

 でも二人は、そのどちらも金を握りしめていない。

 ベッドの上、向きも表裏もバラバラに落ちているカネには二人とも興味が無いのだ。

 最初に設定したはずの決まり事は既に崩壊し、無架はただ、天袖の柔い唇を貪っているだけ。

 この行動に愛など無い。吸血は既に終わっているのだから、意味すら無いのかもしれない。

 そして、衝動に身を任せ思うままに征くはただの恋だ。

 相手への思いやり。それこそが愛であり、必要なもの。無架はそれを自覚し、天袖への感情が愛でなく、恋で終わればいいと考えていた。


「……あり、がとう」


 吸血が終わり、キスが終わり。泣きそうな表情で天袖がお礼を言う。

 彼が言っていることは間違ってはいない。ただ、無架には別の言葉が口から出ているように聞こえた。


 ——ごめんなさい、と。


 血を吸ってごめんなさい。

 無茶をさせてごめんなさい。

 生きていてごめんなさい。

 人間と変わらない価値観を持ち、同じ罪悪感を抱く。それなのに、同じ道を歩けない。


「……ん。『助けて』って、言えばいいのに」


 悲しそうに、苦しそうに天袖は目を伏せた。


「それは……できない」


「……どうして? 雪蕎麦くんが困っているなら、誰かが助けてくれるはず。わたしとのことだって、吸血するのにルールを作って、順序立てて念押しまでしてくれた。あなたは悪い人じゃないから……」


 だから、あなたの優しさを誰かがきっと理解してくれる日が来る。……そう続けようとして無架はやめた。理解してしまったのだ。


「『助けて』は、もう言えない」


 今まで散々に言ってきた。


「自分が生きるためなのに、それは誰かを傷つけることになる」


 手を差し伸べてくれる相手の好意を受け取るのではなく、その手に噛みつき、血を流させる。それが手を差し伸べてくれた人に対するどれ程の裏切りなのか、天袖には想像もつかない。

 生きていくという価値観へのズレ。

 ヒトが嫌悪する行為こそ、天袖にとっては必要なことであるにもかかわらず。


「——だからもう、裏切ることはやめたいんです」


「…………」


 無架は分岐点を見つけた。

 ここだ。踏み込むのなら、もう一歩。

 天袖が困った時、或いは困らない時でも自分を頼ってくれる存在になるために。

 無架は躊躇わず、踏み込んだ。


「私なら」


 口に出せば取り返しのつかない、天袖の心に手を伸ばす言葉。


「雪蕎麦くんに、……天袖に、裏切られてもいい。それにわたしは、諦めるんじゃなく、認めることから始めてほしい」


 天袖の手が震えている。自分の手と合わせると、天袖の手の冷たさが伝わってきた。


「……みと、める……?」


「自分のことを」


 天袖の手に自分の手を絡ませて、押し倒す。風船を押すよりも抵抗なく天袖は倒れた。


「ひとりぼっちの中で『他の人がそうだから』って本当の自分を諦めたりしないで、大切にしてほしい。だって、あなたはあなたしかいないから」


「……!」


 天袖の目から涙が溢れる。堪えようとして、ひっく、ひっくと呼吸が曖昧になる。


「……で、でもっ……!」


 だが、天袖はまだ胸につかえているように、何か言い淀んでいた。


(この表情、は……)


 それは、申し訳なさとか罪悪感とか、そういう類のもの。否定する言葉が残って——否、足りていない。


「それに」


 その最後のピースを、無架は埋めに行く。


「本当はまだ、足りないんでしょ?」


「…………!」


 表情の、色が変わった。

 驚きを示す鮮やかな色が、天袖の顔を染め上げる。


「本当に必要な量は、あと一回……ううん、二回は吸血しなきゃいけない。そうでしょ」


 それは、無架が直接触れたことで分かった事実。彼の顔色が吸血の直後でも回復しきっていないことと、何より吸われた量が少な過ぎるためだ。


「……遠慮してたでしょ」


 天袖にとって五〇ミリリットルにも満たない吸血は、本当にその場しのぎでしかない。

 そのことを無架は知っていた。


「……そうじゃ、ないけど。必要なのは、当たってる」


「それなら、わたしは必要だと思うけど」


 起き上がる。その表情からは、まだ驚きの色が消えない。


「……いい、の?」


「これから天袖が、そうやってわたしに頼ることを怯えないで済むように頑張るね」


 うまく笑えていない。硬い笑みだと、自分でも無架は思った。

 そんな無架の心境を知ってか知らずか、天袖はふにゃ、と気の抜けた笑みを返す。


「不束者ですが、よろしくおねがいします」


 まるで愛の告白だ。だが、これでいい。

 無架はようやく、その領域まで踏み込めた。


 ——と。


「……あ」


 地震。

 いいや、違う。


 天袖が一瞬、間違いなくそうだと感じた揺れは、天袖の中から発せられた波動。

 どくんっ……!

 部屋が揺れたかのように感じるほど力強い脈動に、天袖は思わずうずくまる。


「……どうしたの?」


 心配した無架が天袖に触れようとする。——すると。


「……!」


 室内灯に照らされ、隅々まで明るい部屋でもなおはっきりとわかる、光子の奔流があった。

 天袖の胸から放たれ、無架を突き抜ける。

 攻撃ではない、あたたかな命の波動。その光は、数秒間うずくまる天袖の胸元から溢れ続けた。


「……ひさしぶり」


 光の奔流が止まり、天袖も顔を上げる。

 彼はその手に何かを持っていた。


「……久しぶりに、生まれた」


 生まれた?


「……何が?」


 恐る恐る、聞く。無架は、自分が何かを恐れていることに気づいていた。


「むうかとの、愛のけっしょう?」


 ……もしかすると自分は、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。


「————」


 その中身を無架に見せるように掲げて、天袖は満面の笑みを作った。


「……せきにん、とってね」


 無架の頬を伝う、一筋の雫。それは涙か、それとも汗か。

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