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第5話「少年の限界と見逃せない痛み」

 見た目ではわからない、盗撮機材のみを狙った破壊。……その後。


「また……すこし、待つよ」


 自分の体を抱きしめる無架の肩に手を添えて、天袖はそう伝えた。


「怖いなら、今日起きたことを……なかったことにしても大丈夫」


 言って、天袖は出口を指差す。……そういえば天袖は最初から無架に触れようとしていなくて、今も簡単に振り払える程度の力でしか肩に触れていなかった。

 無架が怯えるように見えているのか。もしそうなら彼女の演技は成功しているが、それでは意味がない。


「わたしは」


 怖くない、と口にするよりも前に天袖は、無架の言葉を遮って言う。


「……ゆっくり、ちゃんと考えて。余裕はいくらでもあるから」


 添えた手でそのまま肩を掴み、無架を優しく引き離す。無架はその時初めて……彼の顔をまともに見た。


「……!」


「……本でも読んで、待ってるから」


 一目でわかった。


(……嘘だ)


 笑みや照明では隠しようがないほどの消耗。

 天袖が無架の抱擁を拒絶しなかったのは、ただ単純に動けなかったからだ。

 無架を引き離したのだって、あれが精一杯。

 彼はここに到達した時点で、力を使い果たしている。




 天袖は、間違いなくここで死ぬ。……吸血をしなければ。




 そう確信してしまうほどに、天袖は明らかに弱っていた。


「…………」


 これは異常なこと。天袖の年齢は、無架が見た限りでは一四……か、一五歳。

 他の吸血鬼の例と照らし合わせるのであれば、天袖くらいの年齢の吸血鬼には彼に定期的に血液を提供する「人間」がいることは間違いない。

 吸血鬼は赤子の頃、厳密に言えば胎児の頃からヒトの血液を必要とする。生まれるまでは母親が摂取したヒトの血を胎盤を通して分けてもらっていればいい。でも、母親と繋がるへその緒を切り離されれば、それからは自分で摂取していかなければいけない。

 とはいえ。生まれたばかりの赤子が人間の血液を得る手段などどこにも無い。吸血鬼の赤子というだけで彼らは、両親や周囲の人間のサポートがなければ死んでしまうのだ。

 それを、何故。何故今更他人に頼ろうとする。

 ……大切な人がいると言った。今までの血液を提供してくれていたのがその「大切な人」だったのなら、その提供者に何かあったということか。

 いやそれ以前に、この異常なまでの謙虚な姿勢は何だ。

 人格を剥がされ、本性を露わにしてなお無架を襲わない。

 餓死寸前でも「待て」の命令に従い続ける犬のように。

 自分の命よりも怖い何かがあるとでも言うように。


「……あ」


 天袖が、無架の背後の何かに気づいた。


「……後ろの絵本、取ってくれない?」


「絵本? ……これ?」


 天袖が指し示したのは、戸棚の中に置かれた一冊の絵本。

 

 題名「あくまのカラス」。……子供向けの絵本の〝味〟がミルクチョコレートだとすればあくまのカラスはビターチョコレート味だと言われた、児童向けでありながら大人も読めると話題の名作だ。

 ベッドを降りて、無架は絵本を手に取る。


「……なんでこんなところに」


 内容は確かに大人でも読めるが、何の意図があって絵本をラブホテルに置くものなのか。

 インテリア? それともわざと景観を崩すものを置くことで、何らかの効果を発揮させようというのか。

 だが、考えてみれば無架は今日初めてラブホテルを利用する。意外とこういうものは置いてあるものなのかもしれないと、思いかけたその時。


「……!」


 絵本が置かれていた場所に何かの金属片が落ちている。戸棚の隅っこに繋がるように、点々と。

 恐らくは天袖によって破壊された盗聴器の破片だ。


(……まぁ、そっか)


 絵本とは大きなもの。そして、ラブホテルとは本を読むための場所ではない。

 インテリアのひとつとして、盗聴器を隠すためにレッテルが配置したものだろう。

 吸血が目的の天袖達は本来なら見向きもしなかった筈だ。


「こんなところに……あるなんて」


 ただ、天袖にとって「あくまのカラス」は、ただの絵本ではなかった。

 無架から受け取って、その表紙をまじまじと見つめている。


「好きな絵本……なの?」


 無架がそう尋ねると、天袖は短く「うん」と返事をして、絵本を開いた。


「……、……」


 当然ながら、まともに読めてはいない。

 目が霞むのか、何度も擦ってはいるが改善されていない。

 本を持つ手がだんだんと下がっていき、ついにはベッドに置いて、ページを捲ることすらしなくなった。

 ただぼうっと、眺めているだけ。


「…………」


 恐らく彼は、このまま。

 この体勢のまま、死ぬ。

 それを理解した途端、無架はやはり動いていた。


「……雪蕎麦くん」


「……?」


 ボタンを外し、首筋と肩をさらけ出す。

 もう、天袖が噛みついてくるのを待ってはいられない。多少強引ではあるが、こうしなければ疑いが晴れる前に終わってしまう。

 彼を抱きしめて、耳元で囁いた。


「怖くない。怖くないから、恋人になって」


 それは無架の天袖に対する気持ちではなく、天袖に、無架を信頼してほしいということ。

 信頼を行動で示さんと、少女はその身を差し出す。


「……ぁ、あ」


 無架の後頭部に手のひらを当て、自分の肩に顔をうずめさせるように押し込む。


「大丈夫——大丈夫だから」


 いくら我慢ができようとも、口の中に料理を入れられてしまえばあとは食べるしかない。


「——っ」

 

 天袖は無架の柔肌に噛みつく。


 噛みつかれた無架は、鈍い痛みにたまらず——天袖の背中に、爪を立てた。

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