特別を与える者
2021年 テレビ一体型のブルーレイレコーダーが壊れた時のお話
妻はいつも特別をくれる。
何気ない日常、ごく当たり前の行動。多くの者が忘れ去るような思い出。そんな「普通」に妻は魔法をかける。
バスガイドの案内に1人相槌を打っている。ホテルに泊まれば「お客さまの意見」に感謝の言葉を書く。外で食事をすれば「アレコレがおいしかった」と感想を伝える。
そんなこと、と人は言う。
しかし私は想像する。いつも一人でしゃべっているバスガイドは、返事をもらえて張り合いが出たのではないかと。毎日のルーチンワークでベッドメイクをしているホテルマンは、感想がもらえて嬉しかったのではないかと。おいしいと評価されたシェフはより一層力を入れて料理を作るのではないかと。
もちろんみんな仕事でやっているのだ、そんなものがなくったって働くだろう。だけど。
いつもの仕事、いつもの行動、変わらない日常として消費されていく思い出。そんな忘れられてしまう記憶に、妻の言葉はストップをかける。
それは私に対しても同じだ。
妻のテレビについているブルーレイレコーダーが壊れ、ディスクへのダビングができなくなったのだ。どうしよう、と妻が言う。どうしようも何も修理依頼すれば良いだけだ。私はテレビメーカーに連絡する。古いテレビは部品がなく直らないかもと言われたが、やがてエンジニアから修理できそうだとの連絡があった。
修理の日時を決めて電話を終えると、一連の行動を横で見ていた妻が言う。
「凄い、ありがとう」
誰が見たって凄くない。誰もが当たり前にやっていることだ。だが妻はそんな当たり前を拾い上げ、凄いと言ってくれる。それだけで、忘れられるはすの日常が私の記憶に残るのだ。特別な出来事として。
だから妻よ、私からも言わせてくれ。
「いつも特別をありがとう」