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4. 紡がれる物語

 王子は外出が多くなり、毎日のお茶会は難しくなった。


「なんだか久しぶりの感覚です」


 数日ぶりとなる王子とその部屋で、花嫁はティーカップを傾けながら言った。今日は一段とおいしく淹れられたことも満足だ。


「この独特の匂いを嗅ぐと、懐かしい気分になりますね」

「……匂い?」


 さくさくとビスケットを咀嚼していた王子が止まる。


「古い紙の匂いがします」

「ああ……ここを私用で使っていた王が以前にもいて、その名残で書物に囲まれている。本が好きだったらしい」

「どうりで。わたくしも細かい文字は読めませんが、本は大好きでよく代わりに読んでもらったものです」

「……そうか…たとえば、どんな内容の?」

「そうですね、小説の類は数が少なかったのですが、冒険譚がお気に入りでした。旅のお話が好きなのでしょうね。わたくしの世話を務めて頂いたひとも、若い頃は旅をしていたそうでよく話をねだっていました」


 厳格な老人だったが、役者さながら面白おかしく語ってくれたものだった。

 話が上手かったのもあるが、今思えば娯楽の少ない子ども相手に、彼なりに工夫をしてくれた結果かもしれない。

 元気だろうか、と花嫁は想いを馳せる。文字を書くのは不得意だが、筆記機械を打鍵することはできるので手紙を出したく思う。

 ところで。


「なぜ笑うのです?」

「……想像に容易くて」

「どんな想像をなさったのですか」

「よく、怒られていた?」

「……小さい頃の話ですよ?」


 確かに淑女らしくないとしょっちゅう怒られたけれど。笑わなくてもいいのにと花嫁は口を曲げる。


「いずれも少し古いが、冒険の話なら児童書から手記まで多数ある。私がいない間でも、好きに持ち出していい」


 王子の言葉に花嫁の心が弾む。


「ありがとうございます! もしかして、王子も本にお詳しいですか?」

「……以前は読んでいたが、この指ではそれも難しくなって、今は読まない」


 翼に変わりゆく冷たい指を思い出す。

 退化しつつあるその部位は、動かすのに不便らしく、気を付けていても時々茶器を大きく鳴らしてしまう。


「閃きました。ページを捲るのはわたくしが。音読を王子がしてくだされば、物語を読めるのでは?」

「…………え?」


 妙案だとばかりに掌を合わせる花嫁に、王子は困惑する。


「いや……私の声は、聞き難いだろう、その、変な抑揚がついてしまうし」

「それは気にしたことはありませんが……」


 癖のある抑揚は王子自身も気にしているらしい。考えてみれば所々つっかえる時もあり、喋ること自体が不得意なのではないか。


「最近お忙しそうですのに無理を言いました。忘れてください」


 会う時間が減ってしまったからか、話す機会を増やしたいと欲が出てしまう。疲れている王子に仕事を増やすのは酷だったと花嫁は反省した。


「無理だとは、言って、ない……」


 ぼそぼそと呟かれた言葉に顔を上げる。


「……奇妙な声になっても、笑わないでくれ」

「はい。笑いません」


 けれどこうして嬉しくなって笑ってしまうのは許してほしい。


「ひとまず、目に付いた短いものを持ってきた」

「ありがとうございます」


 羽ばたきから程なく、王子は戻って来た。壁一面がぐるりと本棚になっているという。


「ここは随分と階層があるようですが、全て本棚になっているのですか?」

「いいや。四階までになると、さすがに少なくなってくる。元々灯台だったそうだが、使われなくなってから、その昔の王の物置になったという」


 灯台であれば高さにも納得できた。中央は吹き抜けなのだろうと花嫁は想像する。


「だけど、どうにも活字好きというより蒐集家だったみたいで、一貫性が無いし、どこの国のものか不明の文字もあるのが……退屈はしなかったが」


 独り言めいたその言葉が花嫁の胸に引っ掛かる。多くの本がある空間で、目当ての本を即座に用意できるほど“退屈しなかった”人。

 はたしてそうだろうかと花嫁は思う。


「ええと、」


 王子はつ、つん、つ、つんと床を引っ掻いて離れて行ったが、すぐに戻って来る。何か探しているのかと花嫁は首を傾げた。


「これを」


 厚みのない小さな本を受け取ると、花嫁は柔らかく温かいものに、そうっと背中から包まれた。


「ソファといった類は、この部屋にはないものだから……いつも通り床になってしまうが」


 声が頭の近くで聞こえる。本を持つ手に、冷たい指が控えめに重ねられ、頁を開く。

 花嫁は急にむず痒い気持ちになった。だって、こんな。「失礼」なんて断りも無く。


「あの、何もこの姿勢でなくとも、わたくしがページを捲るだけなら他にも……?」

「え? あ……、」


 今気付いた様子で、王子は慌てて離れようとする。


「失礼した、他に思い付かなくて、」

「いえ、いえ、いいんです。想定外でちょっとびっくりしましたけれど」

「……まだ呪いが判明する前、乳母がこうやって本を読み聞かせてくれたものだから……」


 離れた指を引き止めながら、花嫁はおかしくなって笑みがこぼれた。自分よりも年上の人だというのに、恥ずかしそうにする時は同じ年頃の少女と話している感覚になる。


「優しそうな方ですね」

「……そうだな…幼かったから、はっきりとは思い出せないが……穏やかな老婆で、母の子どもの頃から働いてくれた人らしい」


 懐かしむ声は何の含みも感じられない。

 かつて人の腕の中に収まるくらい小さかった王子は、今では花嫁をすっぽりと覆ってしまうくらいに大きい。

 どんな風にそれまでの年月を過ごしたかは、花嫁は知らない。けれど、孤独なだけでない思い出もちゃんと憶えていることが嬉しかった。


「ソファより、ずっと居心地がよいですね」


 ぬくもりに背を預けると、とくとくと心音が伝わる。

 やがて躊躇いがちに、けれど大事なものを守るように翼は花嫁を包んだ。


「……本を読もうか」

「はい。どんなお話か、楽しみです」



 ◆



 それから、王子が花嫁に物語を読み聞かせる日常が加わった。花嫁が茶菓子と共に塔に訪れた日は、王子が部屋に送り届けて一日が終わる。

 城の人間にも、王子の姿が認知されるようになったが、王子は頑なに警戒している気配がある。


「今日はどんな話を読もうか」


 塔にやって来た花嫁に、王子は尋ねる。


「それでは、他にも動物が主人公の物語はあるでしょうか」


 先日続けて読んでもらった、竜が主人公の児童書も、ねずみと王女の御伽噺も、可愛らしくて花嫁のお気に入りだ。


「他には、蜜蜂の話と、カエルの話と……、」


 王子は言い難そうに言葉を切る。


「……(からす)の話がある」


 真っ黒で無彩色の、王子の呪いと同じ鳥。


「烏の本は、どんなお話ですか?」

「……烏が世界を飛び回り、自分に無いものを探す話だ」

「では、それを。聞きたいです」


 王子は沈黙したまま羽ばたき、本を手に戻って来た。

 柔らかな翼に包まれるこのひとときが、くすぐったくも安らぎを覚えて、花嫁の好きな時間だ。


「……〝持たない者〟」


 ざらざらとした表紙をなぞる花嫁の手に、そっと指を重ね、王子は表題を読む。


「“泥より暗い体には、鮮やかな羽が無い。断末魔の叫びでは、人魚の歌には届か無い。濁った目玉は、先を見通す力が無い。頭は悪知恵働いても、賢者の知恵は授から無い。だから烏は探しに出掛けた”」


 本を開くと、物語はそんな始まりだった。

 重ねられた王子の指が、花嫁の親指をつんつんと叩く。次のページへの合図だ。


 烏は自分に足りないものを得ようと旅立つ。

 最初に見つけたのは十色の虹の輪で、いくらくぐってみても羽は黒いまま、とうとう虹は消えてしまった。

 次に素晴らしい歌声の人魚に歌を教わるも、烏のあまりのガラガラ声に人魚は匙を投げてしまう。

 星の眼と呼ばれる場所を目指すと、険しい山岳地帯の一番高い山にある湖のことだった。


「暁の国も山岳地帯だったな」


 途中、王子が尋ねたので花嫁も頷いた。


「はい。だけど、星の眼というのは聞いたことがないですね」

「どうかな、あるかもしれない。十色の虹の輪も人魚も実在するのだから」

「そうなのですか」

「うん」


 どんな場所でしょう、とわくわくする花嫁の白い髪に、王子は小さく頬を寄せる。


「……“青い湖の広大さは星の眼と呼ぶに相応しく、特異な水晶は遠くの景色までよく映したが、ここに烏の得る物はなかった”」


 烏は今度は賢者を探して羽撃く。ひと所にとどまらない賢者を追って噂に翻弄されつつ、苦労して見つけた賢者には何故と問われる。

 何故、そのままではいけないのか。

 綺麗な羽。美しいさえずり。冴えた瞳。賢い頭。

 だって、持っていないのだから、欲しいでしょう?

 だって、美しかったら、誰もいじめないでしょう?

 それの何が悪いというの?

 烏は賢者の言葉に途方にくれて、ひたすら飛び続けた。その後、烏を見たものはなく、誰からも忘れられたのだった。


「……すっきりとしない話だろう」


 王子は苦笑した。


「うーん……少し、難しいですね。烏はどうなってしまったのでしょう?」

「そのままの意味でいいんじゃないか。嫌われ者の最期なんて、所詮はそんなものだと」


 静かに深く、王子が息をついたのが背中から伝わる。また傷付けてしまったのだと花嫁は思った。


「……これを書いたのは、(とばり)の出身かもしれないな」


 花嫁が考えあぐねていると、王子はぽつりと語る。


「そうなのですか?」

「烏は嫌われ者の代表だから」

「……以前も烏の話をしてくださいましたが、何か意味があるのでしょうか?」

「帳の国では、烏は夜の化身で、嫉妬と強欲の象徴とされているんだ。帳は豊かな土地だが、夜が長く、そのことが名前に由来する。恵まれた国に嫉妬した烏が、太陽を奪ってしまったという話だ」

「烏にそんな力はありませんのに」

「そうだな……きっと何でもよかった。山猫でも狼でも。形の問題ではないように、何事にも、理屈や常識で理解できることばかりではないから。どうしても分かり合えないものもある。どちらが、なにが、善いか悪いかではなく」

「……はい。頭では、理解はできます」


 けれども烏でなかったら、と考えてしまう。

 せめて空想上の生き物であったなら、王子はここまで人を遠避け、遠避けられることがあったのだろうかと、考えてしまうのだ。


「暁の国にも動物の神が……とかげの神だったか」

「はい。とかげの姿をしていて、わたくしたちはその背中に国を築いたのだと。長く眠ったままの神様です」

「それは、迂闊に寝返りがうてそうにないな」


 ふふ、と笑う王子に、花嫁も少しほころぶ。


「……王族がその烏の呪いを受けたのだから、皮肉なものだ」

「そもそも……呪いの原因は判明しているのですか?」

「昔の王の痴情のもつれ」

「うそでしょう?」

「ほんとう」


 思わず振り返った花嫁の髪を、王子は一房掬うようにして撫でた。


「四百年前、今ほど潤っていなかった帳を、大きく発展させた王がいた」

「話には聞いております。とても優れた指導者だったと」

「ああ。しかしその栄光の影には、魔女の恩恵もあった。魔女を妃にすると約束していた王は、魔女を裏切り、別の妃を迎えた。結果、怒った魔女に呪いを掛けられ、子に恵まれ難いというわけだ」


 花嫁はあんまりな内容に言葉を失い掛けるが、腑に落ちない。


「……しかし、では、それと王子に掛けられた烏の呪いとは別のような……?」

「そうなる。父王が呪いの解消の為に、魔女を見つけ出して交渉をしたらしい。後に私が生まれたが、新たな呪いを掛けたに過ぎなかった。静かに暮らしていた魔女の怒りを蒸し返しただけで。今はその魔女も行方知れずだ」


 王子は何でもないように話すが、それが返って花嫁の感情の行き場を失くす。

 過去に王子自身の過ちで受けた呪いなら、まだ道理に適っている。けれどこの呪いは、魔女の私怨で、王子には何ら非が無いではないか。


「そう気を落とさないでほしい。貴女は笑っているほうが似合う」

「……もっとお淑やかに、ともよく叱られたものです。笑い過ぎる、喋り過ぎる、はしゃぎ過ぎる、大人しくなさい」

「容易に想像ができる」


 王子は笑って髪から指を離すと、目隠しの上から花嫁の眦を優しくなぞった。


「それでいい。貴女と話す時、私の心は何にもとらわれずにいられる。どこまでも飛び立ってゆける。私に自由を教えてくれたのも、暗い夜の中にいた私に、夜明けを教えてくれたのも、貴女だ」


 安らぎに満ちた穏やかな声に、花嫁はどうしようもなく息苦しさを覚える。

 王子は立ち上がり、翼を伸ばすように軽く羽を打った。


「遅くなってしまったな。部屋まで送ろう」

「……はい」


 つ、つん。つ、つん。花嫁の歩幅に合わせて、その音はおやすみと別れるまで傍にいた。

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