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1. 呪われた王子と目隠し姫

 (とばり)の国と呼ばれるその場所。

 かつて小さなその村が王国へと発展したのは〝美〟を蒐めた場所だった点が大きい。

 妖精の棲家だと誰かが称えた。

 豊かな水と緑に恵まれ、生きた宝石のような極彩色の鳥が舞う、現世ならざる幻想の風景。虹の数よりも鮮やかな鉱物が採れ、人々はまさに妖精の如く美貌を持っていた。

 この星のあまねく美しいものはここにある。

 そう謳われる場所に、待望の王子が誕生したのは今から二十年前のこと。


 先代の王も、そのまた前の王も。

 子宝に恵まれ難い王族にとって、世継ぎの誕生は三日三晩の朝と夜を越えて盛大に祝福された。

 しかしその王子は、五歳の生誕を境に一切の情報が途絶えてしまう。病に伏しているという噂も、お隠れになられたのではとの声まで上がる始末。

 そんな長きに渡る沈黙を破って、突然王子に婚姻の話が持ち上がったのだった。


「晴れやかではありませんね」


 聞き慣れた老人の声が止まり、少女は曖昧に頬に手を添えた。


「御姫様、急なことに躊躇われるのも理解致しますが、これも立派なお勤めで御座いますよ」

「だって。わたくしに縁談なんて、一度たりと無かったではありませんか。実感が湧きませんよ。この町を離れることも、先生と別れることも」


 少女が応えると、おひいさま…と老人の声が落ち込んだ。その声が少し震えたように聞こえたのはどういった感情か、少女には定かではない。

 レースを巻いた眼には、静かな暗闇だけがある。生まれつき視力が難があり、太陽の下では瞳が焼けるほど染みた。


 少女が椅子から立ち上がると、すかさず傍に寄る気配があった。片手を差し出し、恭しく、けれどしかと両手で包まれる低い温度を包み返す。

 血管の浮き出た皮膚は渇いた木に似ていて、枝のような指だ。教育係も兼ねていた彼は、教えるのは少女が最後だろうと言っていた。


「先生。先生が教えてくださった知識、物語、多くの大切なものを忘れません。今まで、ありがとうございました」


 旅が好きで、若い頃訪れた国々の話をしてくれる人だった。自分が去った後は、また趣味にしてくれるだろうか。


 数日後。花嫁を乗せた馬車は、盛大さはないが、それなりの声援に見送られた。表立つことの少ない末の姫だったのに、真面目な民たちだとぼんやりと思う。

 自分の国の人々なのに、やはりもっと町に降りれば良かった。じっとしていない気性だったので、幼い時分こそ城を抜け出そうとしたけれど、周りに心労を掛けるだけだと気が付いた。目の使えない身では、危険はいくらでも転がっている。

 せめて迷惑は掛けないにしても、大人しくいるのは窮屈でもあった。それこそ籠の中のように。


 ――鳥籠の王子……と呼ばれているとか


 病とは呪いのことであると、秘密裏に明かされた。

 鳥の姿に近付いてゆくそれにより、半分は異形である年上の男性。触れた者に呪いを感染させることもできるという。

 結婚する相手だというのに、驚くことにそのくらいしか聞かされておらず、ピンと来ない。

 そもそも鳥だって、翼で大空を飛ぶというものがどんなものか。暗闇の少女には分からない。


 国に辿り着いたのは、七日掛かりの午後のことだった。

 途中、さえずる鳥や清涼な川のせせらぎがあったから、話通りの光景があったことだろう。

 挨拶もそこそこに、お疲れでしょうと一先ず用意された部屋へ案内された。

 その日は食事と湯浴みの案内以外で、特に呼び出しなども無く、婚約者との面談も無かった。

 静かな夜だ。手触りの違う布地に包まれて、花嫁はいつもより長い時間横になった末に眠りに就いた。



 ◆



 翌日の昼食後になって、ようやく花嫁は婚約者の部屋まで案内される。

 王子は城からやや離れた位置に住んでいるという。療養の為、という言葉がどこまで信用できるかは不明だった。呪いは人に感染するというくらいだから。


「初めて御目に掛かります」


 付き添いの侍従が扉を開くと、なにか古めかしい匂いがした。独特の、城の図書室の匂いに似ていると花嫁は気付く。

〝部屋〟へと踏み入れた花嫁は、淑女らしい礼をとって長い長い挨拶を読み上げた。しかしいつまで経っても返ってくる返事は無い。


「なんだ、まだ居たのか」


 花嫁が誰か呼ぶことを思案しだした頃、それは随分と不躾に投げつけられた。

 しゃがれ声とも異なる喉を潰したような音で、奇妙な抑揚があった。


「婚姻の儀まで一月の猶予がある。それまでに国へ帰れ」

「国にと言いますと。婚約の件はどうなりますか」

「歳は十六だったか。ならば他の伴侶も見つかるだろう、出て行け」

「そう仰られましても。国と国の話ですので簡単には」

「出て行けと言っている!」


 猛獣のような咆哮に、扉の奥で控えていた侍従達が慌てて部屋に入り、花嫁を連れ出した。


「失礼致しました。我が国の殿下は……ええ、非常に繊細な方でして」


 専属で付いてくれている侍女の一人が言い淀んだ。つまり癇癪は日常のことか、と花嫁は納得しておく。


「開口から二言目には、国に戻れと」

「それはとんだご無礼を……」

「構いません。あの様子ですと、以前から婚姻に反対していらっしゃるようですが」

「そうですね……このままあの方は、どなたとも添い遂げるおつもりは無いのではと、皆慌てております」


 侍女は苦笑混じりに答えたが、幾分か声の大きさを抑え、かしこまった様子に改めた。


「既にお聞き及びのことと存じますが、我が国の王族はお世継ぎが難しいため、一夫多妻制です。お妃様としてお呼びした方が、以前にもお二方いらっしゃいました。しかし、殿下はお二人ともまともにお会いにならず、婚姻を結ぶことなくお国へ返してしまわれました」


 事前の情報よりも、現実は相当なようだ。


「王子殿下は昔から……繊細な方で? 親しいご友人などは」

「どうでしょう。私がここに就いて十年ですが、元々気難しい方だったとも、幼い頃は快活な方だったとも人伝てに。ご交友関係は分かりません。まともにお会いできるのは、教育係の者か数名の世話係くらいなものですから」


 結婚に夢を抱いてはいなかったが、早くも骨が折れそうだなと花嫁は思った。


「王子」


 だが花嫁の骨もそれなりに太く、簡単にぽっきりとはいかなかった。


「くどい」

「話をするくらいよいではありませんか。わたくしはあなたの口から直接名を窺ってすらいないのですよ」

「……いい加減にしてくれ!」


 今日もまただめだった。

 かれこれ五日、毎日通っては追い出されている生活だ。侍従や侍女たちとの会話の方が弾んでしまう。


「いくら来たところで式も挙げてやれないし、外へは、一歩も、出ない」


 ちょうど七日目になる今日は、王子から声を掛けた。


「窺っております。歴代の王と王妃の名を連ねた書に、名を記すだけでよいと」


 本来なら両名揃って名を書き、神の祝福の許正式な夫婦と認められるそうだ。

 街中をあらゆる花と宝石で彩り、それは盛大な婚礼となるというが、王子がこの様子なので静かに執り行われるかもしれない。


「なぜ我が伴侶に選ばれたか、よく分かる〝花嫁殿〟だ」


 王子は嘲けるように昏く笑った。


「従順で憐れな生贄よ、聞け。これ以上は時間の無駄だ。国へ戻れ。それによる経歴に傷は付けない。そのくらいの配慮はする。以前の花嫁候補も、とうに別の伴侶を得たと聞いている」


 不遜な物言いにムッとくるのを堪え、花嫁は最後の言葉を追及する。


「今までどなたとも婚姻を結ばれていないとのことですが、なぜでしょうか」

「迷惑しているからだ。いくら反対したって、こうして勝手に決められてはやって来て、怪物の言葉など誰も聞きやしない」


 冷えた響きがした。諦めた者の声だった。


「話を聞く気がないのは、あなただって同じではありませんか」


 花嫁が告げると、王子が息を詰まらせたのを感じた。まさか意を返されるとは思わなかったらしい。


「追い出すのはいつもそちらです。わたくしはこうして対話を望んでおります」

「……出て行け」

「勝手にわたくしの人格を決めつけて、どうせ話し合いなどできないのだと悲観なさって、結婚以前の問題ではありませんか」

「……出て行け……」

「わたくしがいつ、あなたを恐ろしがりましたか」

「――っ出てけ!! もう来るな!!」


 いつものように癇癪を起こされて、いつものように花嫁は侍従に連れ出された。



「だから、なぜ帰らない……」


 その翌日。恒例の昼食後に王子の部屋を訪れると、王子は嫌々声を発した。


「ここには花嫁として参りましたので、放棄することはなりません」

「呆れる」


 溜息を吐かれて、しんと静まり返る。

 出て行けと言われないにしても、ぴりぴりと威嚇するような空気は肌で感じた。


「わたくしの育った国……(あかつき)の国は小さく、まだまだ課題の多い国です。険しい山岳に囲まれているため、外交も盛んではありません」


 軽く息を抜いてから、花嫁は話し始める。


「兄姉たちは既に伴侶があり、皆国を継ぐか嫁いでゆきました。しかし、末に産まれたわたくしはこの身体ゆえに、縁談はなかなか結ばれませんでした。期待もされていなかったと思います。残念ながら、わたくしには政治にも芸術にも秀でた才は無いようでしたから」


 王子が聞いているかは定かでないが、物音ひとつ立たない静寂にその声は波紋のように広がっていく。


「そんな折、わたくしでも良いと仰ってくださったのは(とばり)の国です。豊かなこの国と縁を結ぶことができ、多くの民たちが救われることでしょう。その恩義には応えたく存じます」

「……恩義など、……」


 王子は言い難そうに言葉を途切れさせる。


「……いや……、無礼を承知ではっきりと言おう、暁の姫君。貴女が選ばれたのは、国にとって〝都合のいい〟存在だったに過ぎない。盲目の姫ならば呪われた王子の姿など分かるまいと、そんな、打算的な、……恩義に値するものじゃない……」


 酸欠に喘ぐような、苦しげに吐き出された声に花嫁はやや狼狽える。突き放すものと違う感情に動かされるまま、花嫁は指先を持ち上げていた。


「……独りにしてくれないか」


 ふつりとその音に遮断される。どこへ、なにを掴もうとしていたのだろう。花嫁は所在を失くした指先を閉じ、逡巡した後、礼を取って踵を返した。


「待っ、」


 花嫁が足を踏み出す後ろで、王子の声が聞こえた気がしたが、先に混乱に支配される。何かを踏んで滑ったのだ、と認識して強張った身体は、しかし倒れることはなかった。

 何者かに抱きとめられ、仄かなぬくもりに包まれている。


「失礼致しました、ありがとうございます」


 姿勢を整えると、即座に離れたぬくもりに向けて花嫁は礼を言う。


「礼はいい……そもそも、足を取られたのは我の羽根のせいだ」

「羽根を踏んだのですか」

「ああ」

「どれですか? どこですか?」

「……」


 床に顔を向けて、きょろきょろと首を巡らせる花嫁に、再び溜息が聞こえる。


「自身の手の甲に触れてみるといい……」


 言われた通りに右手で左手首の辺りに触れると、変わった触感があった。滑らかな人の肌に、まだらに柔らかい葉のような不思議なものが付いている。


「あ。抜けました」


 奇妙なそれに触っていると、その一枚が抜け落ちた。


「それが感染すると言われる所以(ゆえん)だ。我に触れると、そうして羽根が生える」

「ああ、羽根なのですねこれ」

「安心しろ。一時的なもので、時間が経てば全て抜ける」

「はあ、さようですか。不思議なものですね、どういう仕組みでしょう。この羽根は何色ですか?」

「……絹糸のような、柔らかな白をしている。髪色と同じだ」

「そうなのですね。ではあなたの色も?」

「……もういいだろう、疲れた」


 王子は扉の向こうにいる侍従へ呼び掛けた。

 速やかに回収されながら「明日も来ますね」と声を掛ける。

 返事は返らず、その数分後には腕は羽根の一本も無くなっていた。

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