2杯目:一緒に食った方がうまい
「はぁい! マヒットリザードの炙りたたきお待ちでーす!」
店員が軽快な掛け声と共に料理を置いていく。
マヒットリザードの炙りたたき。
体長1メートルほどのマヒットリザードの胸肉を筋取りし、さっと炙った後、冷やしながらじっくりタレに浸した一品。刺激のある香辛料との相性が抜群。
「お、来たようじゃのう。うんうん、やはり一品目はすぐに出てくる料理に限る。揚げ物や炒め物は、出てくるまで時間がかかるからのう」
うきうきとジョッキを置き、魔王はマヒットリザードのたたきに箸を伸ばした。
皮目の炙られたほのかな苦みと、内側で瑞々しく残った赤身の絶妙なバランスに、魔王は幸せそうに足をばたつかせた。
「くぅ~! たまらんたまらーん! ここの居酒屋の店主は相変わらず腕が良いのう! ビールが何杯でも進んでしまうというものじゃ! ……どうした。食わんのか?」
ふと、目の前に座った勇者が箸をつけていないことに気付き、魔王は声をかけた。
「腹でもくだしたか?」
「いや、体調は万全なんだけど……」
勇者は歯切れ悪く答えた。
「マヒットリザードにはちょっとしたトラウマがあってさ……」
「トラウマ?」
「……あれは、まだ俺が勇者として冒険を始めたばかりの頃だった」
「なんか始まった」
「あの頃は、まだパーティーのメンバーもそろってなくてさ。俺は一人で旅をしていたんだ。その時は次の街に行くために、『黄昏の森』を抜けなくちゃいけなくて――」
黄昏の森と言えば、辺境にある規模の小さな森だったはずだ。
場所はたしか……勇者の生まれた町の近くだったか。
まあ気のすむまで語らせておくかと、魔王はビールを口に運びながら、黙って続きを促した。
「近所のじいちゃんに、『夜は黄昏の森に近づいちゃいかん!』って言われてたんだよ。マヒットリザードが出るからって。でもさあ、マヒットリザードなんて雑魚じゃん? 街に入ってきた時、俺一人でも余裕で倒せたし。だから――」
「ははーん。強行突破しようとしたわけじゃな」
魔王は楽しそうにたたきをつまんだ。
一方の勇者は、遠い目で小麦色の液体を見つめている。
「明かりのない森って暗いんだよ……。暗いっていうか……闇? おまけに木の根っこに躓くわ変な虫は付くわで、泣きそうになりながら進んでたら……ぼぉって明かりが見えて……」
「マヒットリザードの表皮は、夜になると光るからのう」
「しかもあいつら、群れで行動しててさあ。一斉に襲いかかられて……マジで死ぬかと思った……」
「なんじゃ、その程度でトラウマになるのか。勇者も存外、大したことないのう」
「し、仕方ねえだろ! あの時はまだ旅を始めたばっかりで、すっげー弱っちかったんだから!」
勇者は頭をかかえた。
「それ以来、リザード系の魔獣は苦手なんだよ……。食べるなんてもっての他だ」
「もったいないのう。こんなにうまいのに」
けらけらと笑って、炙りたたきをポーンと口に放り込む。
悪鬼羅刹を一網打尽に切り倒し、勇猛果敢に啖呵を切ったあの光の勇者に、こんな弱みがあったとは。
いいことを聞いたと鼻歌交じりにビールを飲み――そしてふと、壁にかかったメニューをながめた。
「……ふむ」
それから少し考えて、魔王は勇者に問いかけた。
「のう、勇者よ。お主はマヒットリザードの、何がそんなにトラウマなんじゃ?」
「そうだなあ……。群れで襲ってきたのも怖かったけど、一番怖かったのは……麻痺液をぶっかけられたことかな」
「ほう、麻痺液か」
「俺も知らなかったんだけど、あいつの麻痺液、すげぇ強力なんだよ……全身痺れて、ろくに身動きも取れなくてさあ……。そのくせあいつら警戒心が強いから、ゆっくり近づいてくるんだよ……! あぁこいつら意外と歯が鋭いんだなあとか、そういえば肉食って聞いたなあとか、いらんことばっかり考えちゃって……」
「よく助かったのう」
「たまたま通りかかった猟師の人が助けてくれたんだ。もしあのまま誰にも見つかってなかったらと思うと……ぞっとするぜ」
「ふむふむ、なるほど。あい分かった」
魔王はうんうんと頷くと、華奢な右腕を挙げて店員を呼んだ。
近くにいた女性の店員が、ぱたぱたと笑顔でかけよる。
「はいはーい! ご注文ですかー?」
「んむ。ピリリンサワーを一つ頼む」
「はぁい! かしこまりましたー!」
元気よく注文を受け、店員が小走りにキッチン奥に消えて行く。
数分後、薄いレモン色をした液体が運ばれてきた。
「ピリリンサワーお待ちでーす!」
「そいつの前に頼む」
「え、俺?」
勇者は目の前に置かれたグラスを眺め、目をしばたかせた。
「まだビール残ってるけど」
「いいから飲んでみぃ。おすすめじゃぞ」
「お前、普段こんなの飲んでたっけ?」
小首をかしげながらも、勇者は素直にピリリンサワーに口をつけた。
瞬間、口の中に弾けるような刺激が広がった。
「うぉ、なんだこれ! なんか変わった味だな!」
「うまいじゃろう?」
「そうだなぁ……」
勇者は再び、グラスに口をつけた。
クセはあるが、独特の刺激がやみつきになるというか……。
舌がぴりぴりするが、嫌な感じもない。むしろ爽やかで、油っぽいものと相性が良さそうだった。
「うん、うまいな。ちょっと舌がしびれるけど」
「そうか、うまいか。それは良かった」
魔王はにっと、いたずらっぽく笑うと、
「それ、マヒットリザードの麻痺液を焼酎で割ったものじゃぞ」
「んごふっごふっごふっ!!」
危うく噴き出しそうになるのをなんとかこらえ、勇者は思いっきりせきこんだ。
口の中やら鼻の中に、独特の刺激がぶわっと広がる。
「てめぇ! なんてもの飲ませやがる!!」
「でも、うまかったじゃろ?」
「おいしかったけど!」
「そもそもじゃなあ」
魔王は勇者の手からジョッキをひったくり、一口すすった。
「マヒットリザードの麻痺液は、小さな魔獣を狩るためのものじゃ。人間くらいの大きさであれば、本来はピリッとするだけで大した効果はない」
「……え? でも俺はあの時――」
「おそらくお主の場合、複数のマヒットリザードから麻痺液を浴びたために、効果が増大していたのじゃろう。それだって、まったく動けないほど強力な毒とは思えんが」
「……ただ単に、恐怖で足がすくんでたってことか」
「ま、そういうことじゃの」
けろっとサワーを飲み干して、魔王は続ける。
「怖がる気持ちも分かるがの、せっかく大人になったんじゃ。ここは過去の自分に打ち勝つつもりで、リザード食を試してみるのも、悪くはないと思うがの」
「それは……」
「存外、食してみるとうまいものじゃぞ。ほれ、ピリリンサワーは、おいしくいただけたようじゃし?」
「過去に打ち勝つ……か」
勇者はつぶやいて。
そして、箸を手に取り、炙りたたきに勢いよく突き立てた。
そしてそのまま、大口をあけ、放りこむ。
「……」
「……どうじゃ?」
「……んまい」
「きひひ、そうじゃろそうじゃろ」
魔王は上機嫌で頷いた。
なんだか照れくさくなって、勇者は頬をかきながら言った。
「なんか……ありがとな」
「んむ?」
「いや、俺のリザード嫌いを克服するために、色々考えてくれたみたいだからさ。一応お礼を――」
「はあ? なぁにを寝言を言っておるんじゃ」
「へ?」
魔王はふんと鼻をならし、
「ぜーんぜん、お主のためなんかじゃないわい」
そう言うと、再び店員を呼び出した。
「はいはーい! ご注文ですかー?」
「んむ。オデブリザードの尻尾の丸焼きを一つ頼む。あと、リザードのホルモン焼きと、クロイワイバーンの前足、串焼きで」
「はぁい! かしこまりましたー!」
注文を終えると、魔王は壁にかかったメニューに目を向けた。
リザード系の肉は高タンパクで、味に大きなクセもない。
そのため、料理人たちに重宝され、実に様々な料理に使われているのだ。
「お主が食べられなければ、どれも注文できんじゃろ。だから無理やり矯正したまで。ぜーんぶ、我のためじゃ」
「い、いや。言いたいことは分かるけどさ」
勇者は言う。
「別に俺が食べられなくても、頼めばいいじゃないか。お前が全部食べれば、それでいいわけだし」
「くはは! ばっかじゃのう、お主は!」
魔王は威勢よく笑って、そしてジョッキに残ったビールを一気に飲み干す。
「せっかく一緒に飲んでおるのじゃ。話しも料理も――共有した方がうまいに決まっておろう」
「……お前」
勇者は目を大きく開き。
そして相貌をわずかに崩し。
思わず、といった調子で、つぶやいた。
「たまにはいいこと言うな」
「たまとはなんじゃ。我はいっつも、いいことしか言わんじゃろがい」