1杯目:飲まなきゃやってられん
古今東西、あらゆる魔物の軍勢を指揮していた魔王。
神託を受け、光の力をその身に宿し、唯一魔王を倒せると謳われた勇者。
両者が消えてから1000年が過ぎ、世界には平和が訪れていた。
魔王と勇者。
それぞれのリーダーを失った魔物と人間は、なんかこう、なんやかんやあって和解。
二つの種族が手を取り合うことで、世界には平和が訪れた。
魔王と勇者の激闘は1000年の時を経て風化。
今では御伽噺として、一部の人間が覚えている程度だった。
「人間なんて滅べばいいのに!!」
「分かる。あ、生ひとつ追加で」
「我も!」
「はーい! 生二つ追加いただきましたぁ!」
居酒屋の一角で、二人の男女がすさまじい勢いでジョッキを開けていた。
少々風変わりな立ち姿。言葉も見た目も普通だが、まとっている衣服が古めかしい。
とはいえ、ここは異種族街。
ここの住人にとっては、その程度の変わり者を目にすることなど日常茶飯事。
多少見た目の違う彼らのことを気に留める者はいなかった。
例えそれが――1000年前に世界の命運を握っていた、勇者と魔王だったとしても。
「なんで忘れられとるんじゃぁああ! 我、あんなに頑張ったのに! あんなに頑張って魔物を統括したのに! あんなに部下の悩みとか聞いてあげたのに! あの恩知らずどもめぇええ!!」
小柄な少女が、ジョッキを片手に額を机に打ち付ける。
見た目はほとんど人間と変わらないが、赤い角と翼が生えている。
こんな見た目で立派な魔王、御年1014歳。
成人である。
「お前が調子乗って『時の檻』とか出すからだろうが!!
なーにが『我と主、ここから出られるのは一人だけ。さあ殺し合おう! 悠久の時の狭間で、終わりなき戦いを!』だよ! お前のせいで、俺まで人類に忘れられちまったじゃねえか!」
顔を赤らめた青年が、口の周りを泡だらけにして魔王を責める。
見た目は十把一絡げの一般人だが、魔法と剣技を極めた歴戦の猛者。
こんな見た目で立派な勇者、御年1016歳。
成人である。
「し、仕方がないじゃろう! あの時はなんていうか、こう……そういうテンションだったんじゃ!
大体お主だって『ふ……いいぜ、お前の気が済むまで付き合ってやるよ。負けてもびーびー泣くんじゃねえぞ!』とか言ってノリノリだったじゃろうが! 人のこと言えるか!」
「ばっ……! あの時はなんていうか、こう……そういうテンションだったんだよ!」
ドンッ! とほぼ同じタイミングでジョッキが振り下ろされる。
赤らんだ顔を突き合わせ、二人はバチバチと睨み合う。
「ほらみろ我と同じー! 自分のこと棚に上げて我ばっかり責めよって! お前はいっつもそうじゃ!
『俺はお前を殺したくない……。だから、もうその槍を納めてくれないか……?』とかどの口が言いよるんじゃ! さっくんさっくんウェハース感覚で我の可愛い魔物たちを殺しおった癖に!」
「はぁあぁ!? 今更そんなこと蒸し返すんじゃねーよ! っていうか、しょーがないだろ! あの頃の魔物、めちゃくちゃ怖かったし!! 言葉通じないし、人間見た瞬間に食いにくるし、挙げ句の果てには拷問とかし始めるし! やらないとやられると思ったんだよ! どこが可愛いんだあんなやつら!」
「はぁあぁあああ!? 可愛いじゃろうが! 身の程も知らず喧嘩を売ってくるところとかキュートじゃろ! 胸キュンじゃろ!」
「微塵も理解できねえよ!」
ほとんど額がくっつきそうなほどに顔を近づけていた二人の前に、ゴトンとジョッキが追加される。
運んできた店員は「生一丁おまちぃ! 串焼きも置いてくねえ!」と笑顔で言って、そのままテーブルの上の空いた皿を下げていく。
雄々しい尻尾が空のジョッキをつかみ、テーブルの上はあっという間にすっきりと片付いた。
ビールの追加で少しクールダウンした二人は、またぽつぽつと会話を交わす。
「しっかし、魔物に給仕される日が来るとはなぁ……。なんか複雑な気分」
「まったくじゃ、人間なんかと仲良く働きよって。1000年も経つと腑抜けた魔物が多くて困るわい」
「まさかお前……また人間滅ぼそうとか思ってないよな」
「なんじゃ、思っとったらいかんのか」
「言っとくけど、そんなことしようと瞬間に、俺はお前をシめる準備があるぜ」
「ほう、面白い。1000年でも決着がつかなかった戦いに、ケリをつけようというのか?」
「いや、普通にほっぺ叩く。パーで」
「やめて。我、そういうの泣いちゃうから。怒られると泣いちゃうから」
「子供か」
ふん、と魔王は鼻を鳴らした。
そもそも外の世界を見た時点で、人類を滅ぼすなどと言う選択肢は露と消えていた。
それを認めるのがなんとなく癪で、魔王はチビチビとビールを飲んで毒を吐く。
「なんじゃいなんじゃい。自分だって人間なんて滅べばいいとか言っとったクセに」
「そりゃ、俺の存在が完全に忘れられてるのは悔しいけどさ……」
勇者は串焼きをつまんだ。
怪鳥、アブラオオメーの炭火焼き。
文字通り、油が乗ってて絶品である。
「でもまあ、平和ならいいかなって気もするんだよ。それにほら、飯も旨くなったし」
「魔物と人間が手を結んだことで、ここまで飯がうまくなるとはな……正直、衝撃じゃった」
「素材の流入が自由になったり、調理法が共有されたのがデカいんだろうな。噂じゃ、俺たちが消えた年が色んな技術の特異点らしいぜ」
人間と魔物。
二つの種族は長らく国交を断絶し、独自の文化を形成。
その背後では、数多くのユニークな技術が培われていた。
ゆえに、互いの技術が交われば、飛躍的な進歩を遂げる。
当然の帰結だった。
「結局、世界を二つに分けること自体が馬鹿げていたということか……。我らは何のために戦っておったのやら……」
「言うなよ、悲しくなるだろ……」
勇者は魔王を討伐し、人の世に平和をもたらす。
魔王は勇者を退け、魔物の世に平和をもたらす。
いたずらに争いたかったわけじゃない。
ただ、互いに互いの平和を求めていただけ。
手を取り合うという発想がなかっただけなのだ。
「これからどうするんじゃ、お主は」
「どうしよっかねえ……」
勇者は頬杖をついて、壁に貼られたメニューを眺めた。
知らない単語がずらりと並んでいる。
なんだよ、スーパーウルトラギガメガジョッキビール(危険!)って。
危険なら売るな。
「とりあえず装備売った金で一生遊べそうではあるんだけど……」
「はああっ!? なんじゃと、ズルいぞ! 時の檻を壊す時に、我の装備は全部壊れたのに!」
「落ち着けって」
今にもつかみかからんとする魔王の肩を、勇者は両手で押し込んだ。
「何も俺一人で独占したりはしないさ。半分はお前にやる。どうするかは自分で考えろ」
「お前……」
「なんだよ……」
勇者は頬をかきつつ、眼をそらした。
「時の檻の中で1000年も一緒にいたんだ。今も昔も、敵であることには変わらないけど………俺たちはもう、一蓮托生……だろ」
「……」
「……おい、何か言えよ。別に遠慮なんかしなくても――」
「……それだと」
魔王は神妙な顔つきで、つぶやいた。
「それだと我、めっちゃ器の小さいやつっぽくない?」
「安心しろ、もうその発言で十分底が知れる」
「嫌じゃ嫌じゃぁ! 我魔王だもん! 偉いんだもん! 仇敵に施しを受けるなんてごめんなんじゃぁ!!」
「落ち着け! もうお前は魔王じゃないんだ! このままだとただプライドが高いだけの厄介なクソガキにしか見えないぞ!」
「厄介なクソガキって言われたぁあああ!!」
「あー、めんどくせぇえええええ!」
魔王というのは種族の名前ではない。
人間でいう王と同じで、ただその時代に偉かった魔物のことをそう呼んだだけである。
絶対王制などとうの昔になくなっているこの時代において、魔王はただの魔物であった。
いたずらにプライドが高いだけの厄介なクソガキ(御年1014歳)の誕生である。
「お客様ー。何か追加でお飲み物をお伺いしましょうかー?」
「いや、いい。今はそれどころじゃ――」
追加でオーダーを取りに来た店員を返そうとした、その瞬間。
勇者の頭にひらめきが走る。
「……スーパーウルトラ」
「……はい?」
「スーパーウルトラギガメガジョッキビールを二つ」
「……っ! お客様、この商品は――」
「……聞こえなかったのか?」
勇者は繰り返す。
「スーパーウルトラギガメガジョッキビールを二つ」
「……っ! か、かしこまりました!」
ほどなくして運ばれてきたのは、巨大なジョッキ……というか樽だった。
周囲の客がざわめくなか、いつの間にか落ち着きを取り戻した魔王は不敵な笑みをこぼす。
「……くく、なるほどそういうことか」
「ああ、これで白黒つけようぜ」
勇者もにっと口角をあげる。
「いつの世も、いつの時代でも、我とお主は争う定め」
「互いに仲良く半分こなんて御免だね」
「「だからっ!!」」
互いの両手が、ジョッキをつかむ。
「先に飲み切れた方が、金を全部ひとり占め!」
「負けたやつは一文無し!」
「負けても吠え面」
「かくんじゃねぇぞ!!」
勝負の火ぶたが切って落とされた瞬間、居酒屋の中が野次と喧騒に包まれる。
どちらが先に飲み切るか、賭けが始まる始末だった。
「うぉおお! すげぇぜあいつら! なんていい飲みっぷりなんだ!」「頑張れ嬢ちゃん! 今日の飲み代はあんたにかかってんだ!」「負けんなよ坊主! 負けたらただじゃおかねえからな!」
飛び交いはじける野次の中、試合は互いに一歩も譲らず、デッドヒート。
同時に二人が飲み切った時には、拍手と喝さいが居酒屋を満たした。
「はあ……はあ……同時、か……」
「くく、さすがは勇者。この程度では決着はつかぬか……」
互いに肩を切らしながら睨み合う二人。
その間に、恐る恐る店員が入り込む。
「あ、あのぉ、お客様……? なにかお飲み物を飲まれた方が――」
「あぁ? 飲み物? 飲み物かあ……」
「……くくく。そんなの、頼むに決まっておるじゃろ。なあ、勇者よ」
「ははっ……俺も同じことを考えていたぜ。さすがは俺の、終生のライバルだ」
「で、ですよね! いますぐお水をお持ちしますので!」
踵を返そうとした店員の肩を、
「待て」
「待つのじゃ」
二人はがっしと同時につかみ、不敵ににやりと笑みをこぼす。
そして、声高らかに、同じ言葉で。
口をそろえてオーダーする。
「「生ひとつ、追加で!」」
これは時の流れに置き去りにされた、かつて世界の中心にいた二人が。
居酒屋で飲んで駄弁ってを繰り返す。
ただそれだけの物語。
※作中の登場人物は特殊な訓練を積んでいます。アルコールはルールを守って楽しく飲みましょう。