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苦手な方はご注意ください。

【江戸時代小説/男色編】

【江戸時代小説/男色編】失水の魚共 ~契り~

作者: 穂高

“人生は幕引きが肝心”といわれるように

ときに刃傷沙汰(にんじょうざた)仇討(あだう)ちで、

いつ死ぬかわからない武士の間においては

“死に様”には意味がなければならなかった。


“死に際に花を持たす”とはよくいったもので、

ずるずると長生きするより

刀剣で斬るように人生を終えるほうが、より美しいとされていた。

これは、そんな時代の話である。

「逃げましょう、どこぞ遠くへ」

 柳の下にふたりの男の影ふたつ。

「たとえ陽のあたらぬ場所であっても……」

 彼方の空の雲の隙間に、春三日月が顔を出している。

「それでも……」

 男は悲しそうな声音で、もうひとりの男に訴えかける。

「それでも、生きてゆけまする」

 春の風に吹かれながら、ふたつの影はひとつになった。


 *


「いざ、飲めや唄えだ。無礼講だぞ」

 桜が満開の下、四人の男が酒盛りをしていた。

 四人は同じ道場で剣道を嗜む同士、仲が良かった。夏は汗だくになるまで鍛錬し、秋には紅葉と月見で一杯宴を開き、冬には鍋を囲んで、春になればこうして桜の木の下で花見で一杯。年中一緒になって絆を深めてきた。

主水もんど、おめぇももっと飲め」

「よせ、わたしは弱いんだから」

 主水と呼ばれたこの男、そして酒を勧めるこの男相生あいおい、双方齢二十二にして、剣道の腕前、優劣つき難し。

「相生殿、主水殿が困っておられるゆえ、それくらいに」

 止めたこの男は冴桐さぎりといって、年は十八、唯一商家の出であり、ほかは代々続く武家の男である。

「兄者のお猪口(ちょこ)も空でござりましょう。さあさ、この生賀いおりがお()ぎいたしまする」

 生賀は相生の三歳離れた弟だが、血は繋がっていない。

 冴桐と生賀は幼馴染みで、どちらにもまだ念者(ねんじゃ)にあたるひとはいなかった。生賀はまったく興味がないだけだったが、冴桐は主水になってほしいと常々密かに思っていた。

「主水殿、明日稽古をつけてくださらぬか」

 冴桐は酒の勢いに任せ尋ねてみた。

 主水の竹刀を振る様には、水をも切る如く素早さがあった。小手先だけの剣道とは違い、技術と芯がある一振りに、主水の性格が表れていた。

 冴桐はそんな主水の剣道が好きで、見習いたいと思っていた。

「よいぞ。わたしでよければいくらでもお相手いたそう」

 主水は冴桐のような剣道に熱心な者は好きであったため、快く承知した。

 この会話を聞いていた相生はおもしろくない。

(それがし)も稽古をつけてやるぞ、冴桐。おめぇみたいな野郎、こてんぱんにしてやらァ」

 相生の剣道は主水のものとは対照的で、豪快な腕っ節に一振りを力で押してくるものだった。

 冴桐は相生を苦手としていた。


 *


「こってり絞られましたね」

 稽古を終え、冴桐が井戸で水浴びをしているところに生賀が話しかけてきた。

「生賀殿……ええ、まったくですよ。あなたの兄と組むと、いつも場外へ押しやられ、敵いませぬ」

「あの豪快さ、故ですな」と生賀が笑う。

 すると、そこへ主水が手ぬぐいを濡らすためにやってきた。

「お疲れ様でござりまする、主水殿」

「ああ、お疲れ様」

 冴桐が主水のことをもう少し見ていたくて話しかけようとしたときだった。

「そうだ、冴桐」

 主水のほうも用事があったようで、冴桐は何食わぬ顔で次の言葉を待った。

「このあと、予定はござるか」

 聞くに、今日の祝いに浸けてやろうということだった。

「はて、わたくし、お褒めにあずかることをいたしましたかな」

 首をかしげていると、主水はしたり顔で「なにを言う。わたしから一本取ったではないか」と、ふふふと笑った。

 冴桐はそんな主水の顔を今まで見たことがなく、驚いたが、もっと見ていたいなと思っていた。


 *


 月高く、主水がほろ酔う頃、冴桐は思い切って盃を交わしたいと願い出た。

「誠にわたしでよいのだな」

 真面目顔でそう問いかける主水に、冴桐は主水にここで叩き切られてもよい覚悟で返した。

「左様でござります。この気持ちにうそ偽りはございませぬ」

 主水は冴桐の想いを汲み、春月夜のこの日に、ふたりは兄弟の契りを交した。

 冴桐が行灯の火を消すと、ふたりの影は春闇にまぎれ、そこから先は言うまでもない。

 あくる朝、冴桐はもよおしたので傍らに寝息を立てて眠る主水を起こさぬよう床から出ようとした。

「いかがした、冴桐。どこへゆく……」

 主水は起きていたかのように聞いた。

「すみませぬ。起こしましたか」

「いや……いつも眠りが浅いのだ、案ずることは……ない……」

 冴桐はまどろむ主水の額に口づけをした。

 すると主水が「額だけ、か」などと言うので、冴桐は舌を絡ませるほど濃厚に口づけをしたのだった……。


 *


 ある日の夕暮れ時のこと。

 稽古終わりに、主水が家路につこうとしていた時のことだった。

 相生がいきなり主水に掴みかかってきた。

「主水、主水っ」

「いかがした。騒がしいぞ」

「話がある。来い」

 相生は息を荒げて道場の裏手に強引に主水を連れた。

 風に揺れる柳の下まで来て、相生は立ち止まる。

 主水はなんだか嫌な風だと思っていた。

「おまえ、冴桐なんぞと契りを交したのか」

 鬼の形相で聞いてくる相生に、主水はそんなことかと着崩れを直す。

「だれに聞いた」

「手のひらに不自然にできた刀創見りゃ、聞かなくてもわかるッ」

 主水は手のひらを手ぬぐいでさっと隠した。

「なにゆえ。なにゆえ、やつなぞを選んだ……」

「冴桐を悪く言うのは許さぬ。あれはあれなりに努力しておるのだ。わたしが念者になれば、もっと深く武道の精神を叩き込んでやれると思うたまで」

 主水は相生に向かって煙たがるように言い捨てた。

 相生はふっとあざ笑い「深く武道の精神を……とな、笑わせる。深くしてもらいたかったのはこっちのほうではないのか。やつは背が高いゆえ、下のも大きそうだ」と主水の腰に手を回し、もう片方の手で尻をなで始めた。

 主水は驚いて相生の腕を振り払い身を離した。

「冗談はよせ。虫唾(むしず)が走る」

 主水はやっていられないと、その場からそそくさと帰ろうと、相生に背を向けた。

 すると相生が稽古のときさながらの声で背後から向かってくるのがわかった。

 主水はとっさに携えていた竹刀で我が身を守ろうと振り向く。

 一瞬の出来事だった。

 主水の竹刀は変に重みがかかって折れた。

 折れた先に、勢いよく来た相生の喉が刺さる。

「あっ、あぁ……そんな……」

 なんてことをしてしまったのだと、主水は思った。

 自分の胸元を掴んでそのままずるずると沈む相生のことを動けずに見ていた。

 すると、相生の大きな声を聞いた冴桐が道場の裏にやって来た。

 血に染った主水を見て、その前に突っ伏した相生の姿を見て、瞬間的に悟ったのだろう。

 冴桐は主水に駆け寄るや否や、呆然とする主水を心配そうに見るが、先に倒れたほうの処置をと思い、血を吹く相生の傍らにひざまずいた。冴桐は相生に触れようと試みるが、喉に刺さった竹刀を見るとこれは抜いても助からないと、直感的に思った。

 主水は冴桐が呼んだことにも気づかず、頭の中が真っ白になっていた。

 動けるようになったのは冴桐が「主水殿っ」と肩を揺らした時だった。

 気がつくと目の前は血溜りができ、道着も相生の血で染まっていた。

「いったい、なにがござったのか……」

 冴桐が必死になって主水に聞くと、主水は出る涙も抑えず「わたしが悪い……わたしが……」と泣くだけで、とても言葉にできる心境ではなかった。

「理由は後ほどうかがいまする。今は……」

 冴桐は泣き続ける念者を抱きしめ、その耳元で囁いた。

「わたくしは主水殿が大事でござりますれば、ここはどうか、わたくしめにお任せください」

 この時、冴桐はあとに引けなくなりつつあることを当然のようにわかっていた。

 空は曇り、月は見えず、そのうち闇と共に雨が降り出した。

「主水殿はここには来ていない。よろしいか」

 冴桐は覚悟を決めた。主水が目をそらすので、冴桐は仕方なく主水の頬に手をやり、無理やり目を合わせた。

 すると、主水が心配した目で冴桐を見つめてくる。

「まさかおぬし、わたしに代わって……」

 主水も馬鹿ではない。義弟がなにをしようとしているのかくらいわかった。

「早く行かれよ。だれぞに見つかってしまう」

 冴桐は主水の背を押し道場の門へ追いやろうとした。

 しかし力は主水が上。

 主水は冴桐の言うことを素直に聞くわけにはいかなかった。

「いいや、わたしがしたことだ。ぬしに迷惑をかけるわけにはいくまい」

 握ったままだった折れた竹刀を握り直す。

 しかしその手は震えている。

「魂が折れた。いくら竹だというても刀は侍の魂。ひとを殺めた罪を義弟に背負うてもろうてなにが侍だ」

 冴桐にはその気持ちがよくわかった。

「しかし、事が明るみに出れば獄門刑ですぞ。主水殿をそんなことにはさせたくござりませぬ。わたくしが代わりになりますゆえ、どうか——……」

「そう思っているのはわたしも同じこと」

 主水が声を(あら)らげた。

「わたしだって、ぬしに死んでほしくはないのだ……頼むから、わかってくれ……」

 苦しむ胸の内は、もはやふたりのどちらが重いかもなく、等しかった。

 しかしその時、雲の合間から春三日月が顔をのぞかせた。

「ならば——」

 雨足が遠のき、風が強くなってきた。

 風になびく雨は主水の背を押し、冴桐の頬を柔く殴る。

「逃げましょう、どこぞ遠くへ」

 そう言った冴桐が主水の肩を掴む。

 その手から冴桐は本気で言っているのだと主水は理解した。

 しかし、それでも「正気か。追われる身に……」と言わずにはいられない主水の口を、半ば強引にふさぐ冴桐。

「んっ……」

 唐突の義弟の口づけで言葉の続きを遮られ、主水はもがいたが、冴桐が優しく全身を包み込んだので、主水は抵抗するのを諦めた。

 雨雲はどこかへゆき、春の風は吹き続ける。

「たとえ陽のあたらぬ場所であっても……それでも、生きてゆけまする」

 冴桐は悲しそうな声音で主水に訴えかける。

「ふたりなら……ふたりだからこそ、今ここで、命を投げ出さずとも、生きてゆけまする」

 冴桐の震えた声に、彼の紡ぐ言葉が恐怖と裏腹に発せられた勇気だということが、主水には胸が痛いほどわかった。

 そして、風が主水の背中を押す。

 冷えた身体を希望の風に吹かれながら、ふたつの影はひとつになった。


 第一譚『契り』 終

 第二譚に続く。

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