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僕が編集者になれる日は?  作者: 松元 司
9/16

初めての学事出張

第九話 


昭和四十三年十二月十六日月曜日、朝から快晴である。松宮は東京駅にいた。

「課長、お早うございます。」

「よお、松宮君、君が窓際まどぎわの席を座って良いよ。俺は、トイレが近いから・・・。」

 松宮は、課長の荷物を網棚に乗せて、言われた通り窓際の席に座った。

「これが、新しい出張スケジュールだ。先日の予定よりも具体的に大学名などを記入しておいた。まあ、三時間以上乗っているから、ゆっくり目を通しておいてくれれば良いよ。」

 塚本は、松宮に今回の出張予定表を渡すと、手に持っていた新聞を前の座席の背にある小物入れのネットにはさんだ。

「これは、君の弁当とお茶だ。」

 松宮は、新幹線での朝食は、塚本が用意することを先日の打ち合わせで聞いていた。

「課長、すみません。」

 松宮にとっては、出張も初めてであるが、新幹線に乗るのも初めてである。新幹線は、四年前の昭和三十九年に東京と新大阪間が開業し、開業当初は【ひかり】四時間、【こだま】五時間で運行していた。現在は、【ひかり】三時間十分、【こだま】四時間で運行している。

塚本は、新聞を読みながら、松宮に、

「松宮君、君は川端康成かわばたやすなりの本を何か読んだかね。」

「はい、『伊豆いず踊子おどりこ』と『雪国ゆきぐに』です。『雪国』は好きで、二度ほど読んでいます。」

「そうか、確かにデビュー作の『伊豆の踊子』も三十代半ばで書いた『雪国』も僕は好きだが、今回のノーベル賞受賞の対象作品の中でも五十歳の時の『千羽鶴せんばづる』と七年前のいわゆる【いもあまいも知りくした】六十二歳で書いた作品の『古都こと』はなかなか良いよ。」

 今年のノーベル文学賞に初の日本人として明治三十二年生まれの川端康成が六十九歳で受賞した。十月十九日のスウェーデン大使が川端康成の自宅に、受賞通知と授賞式の招待状を届けた映像がテレビニュースで繰り返し放映された。

「課長は、詳しいですね、川端康成のことが・・・。」

「いや、実はね。僕は富山とやま県から上京して中央大学に入学してからしばらく、文京区の根津ねづに下宿していたことがあってね。その時、川端康成が若い頃に文京区千駄木ぶんきょうくせんだぎとか台東区上野桜木たいとうくうえのさくらぎに住んでいたと言うことを知ってね。それが切掛きっかけで、無性に親しみを感じて川端康成の本を読みたくなったのだよ。文京区の団子坂だんござかにある【鴎外記念本郷図書館おうがいきねんほんごうとしょかん】で、川端康成の『全集』を一通り読んだよ。まあ、言ってみれば、ミーハー的だよな。」

「【鴎外記念本郷図書館】というと、鴎外が住んでいた屋敷跡に建てられた図書館ですか?」

「そう、森鴎外は、もともと向丘むこうがおか日医大坂にちいだいざかを上り切ったところの屋敷に住んでいてね。実はその屋敷というのが、鴎外が引っ越した後、夏目漱石なつめそうせきが住んでベストセラーとなった『吾輩わがはいは猫である』を執筆したので【猫の家】と呼ばれて一躍有名になったがね。」「鴎外が新たに移り住んだ団子坂の家は、向丘の家から明治二十五年に引っ越して、亡くなるまでの三十年間住んだ屋敷で、名作の『がん』や『高瀬舟たかせぶね』をあらわしたそうだよ。何でも二階の書斎から東京湾が見えたので、鴎外は【観湖楼かんちょうろう】と名付けていたみたいだ。裏にちょっとした庭園やベンチもあってね、なかなか風情のある図書館だよ。」

「そうですか。ところで、課長がお気に入りの川端作品の『千羽鶴』と晩年の作品『古都』は、私もぜひ読んでみたいと思いますが、課長は川端文学をどう見ていますか?」

 松宮は、塚本の文学好きなことは以前から多少知っていたものの、松宮自身も母親の影響もあって読書が趣味で、この機会に塚本が考える【川端文学】といったものを知りたい衝動に駆られた。

塚本は、手に持っていた新聞を座席脇の折り畳みテーブルに置いて、

「そうね、川端文学を一言ひとことで言うのは難しいけど、初期の作品である『伊豆の踊子』にも『雪国』にも【死】と【別れ】がテーマにあると思う。」「僕は、ある意味で川端文学は川端康成の考える日本人としての【死生観しせいかん】を著したものだと思う。」

塚本は、川端康成が幼くして両親との死別に始まり、戦前前後を通じて、親しくしていた横光利一よこみつりいちを初めとする多くの知人・友人の【死】と自身の半生を振り返って、【生命いのち】のはかなさを【死】から見つめるという川端独自の【死生観】が、とくに五十歳を超えた川端作品には色濃く反映されていると語った。

 新幹線が静岡を過ぎたところで、二人は塚本が用意をした幕の内弁当を食べた。しばらく仮眠をした後で、塚本が、

「松宮君、新大阪へ着いたら、最初にホテルにチェックインをするよ。それから、荷物を置いてロビーで打ち合わせをしよう。」

「はい、ホテルは【法華ほっけクラブ】でしたね。」

「うん、僕が営業部で関西に出張した時は、宿泊所と言えば、和風旅館しかなかったよ。」

 【法華クラブ】は、大正九年に京都駅前に京都観光を目的に訪れた観光客のための簡易ホテルとして営業したのが始まりで、昭和二十五年に大阪、昭和二十九年に上野池之端と主要都市に展開した【ビジネスホテル】の先駆さきがけである。

 昼前に二人は、新幹線の新大阪駅に到着し、新大阪駅から国鉄環状線に乗り換えて、十分ほどで大阪駅に着いた。大阪駅から【曽根崎そねざき警察署】の裏の【扇町通おおぎまちどおり】の繁華街を抜けて、国道423号【新御堂筋しんみどうすじ】を渡ったところに目的地の【法華クラブ】はあった。

「松宮君、フロントでチェックインしたら、部屋に荷物を置いて、二十分後にロビーで会おう。」

「はい、分かりました。」

 塚本は、フロントに会社から自分宛てに【チッキ】で送った荷物の確認していた。

「はい、塚本様宛に敬文館様より鉄道の手荷物が届いております。塚本様のお部屋にお運びしてあります。」

 塚本は、御茶ノ水駅から学事出張に必要な【サンプル図書】および【宣伝用図書目録】を段ボール箱に入れて、国鉄の手荷物として一般的に利用されている【チッキ】で宿泊先の【法華クラブ】に前もって送り付けていたのである。

 二十分後にフロントで待ち合わせた二人は、営業用の黒い大きな手提げ鞄を持って、大阪駅前ビルの地下二階にある喫茶店【ジャマイカ】に入った。

松宮は、道々《みちみち》、塚本から大阪出張の時に利用していた喫茶店で、アンティークなインテリアで揃えられた落ち着いた雰囲気が好きだと説明されていた。

「松宮君、それでは、神戸は君に任せるから、京都は僕が行くよ。大阪は、東京で打ち合わせた通りに二人で分けよう。それと、これが【チッキ】で送った本日分の【サンプル図書】と【宣伝用図書目録】だよ。」

 塚本は、この店の人気メニューのレタスがたっぷり入っている卵サンドとコーヒーを注文した。松宮も、レタスたっぷりのハムサンドとミルクティーを注文した。

「はい、今日は、大阪の大学を廻ることにします。」

「そうだな、時間的にその方が良いだろう。僕もそのつもりだ・・・。」

 塚本と松宮は、あらかじめ、自分たちが訪問する大阪地区・京都地区・神戸地区の大学をそれぞれリストアップして、面会希望の先生方の名前などを調べていた。

松宮が訪問する大阪地区の大学は、近畿大学きんきだいがく大阪市立大学おおさかしりつだいがく大阪大学おおさかだいがく大阪府立大学おおさかふりつだいがく関西大学かんさいだいがく関西学院大学かんせいがくいんだいがく阪南大学はんなんだいがくの七校である。そして、神戸地区の大学として、神戸大学こうべだいがく神戸商科大学こうべしょうかだいがく甲南大学こうなんだいがく神戸学院大学こうべがくいんだいがくの四校である。

 一方の塚本は、大阪地区の大学として、大阪学院大学おおさかがくいんだいがく大阪経済大学おおさかけいざいだいがく大阪産業大学おおさかさんぎょうだいがく大阪商業大学おおさかしょうぎょうだいがく追手門学院大学おうてもんがくいんだいがく摂南大学せつなんだいがく桃山学院大学ももやまがくいんだいがくの七校である。京都地区の大学は、京都大学きょうとだいがく京都学園大学きょうとがくえんだいがく京都産業大学きょうとさんぎょうだいがく同志社大学どうししゃだいがく立命館大学りつめいかんだいがく龍谷大学りゅうこくだいがくの六校である。

こうして、十二月十六日から二十日までの五日間の塚本と松宮の初めての関西における学事出張が始まったのである。


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