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僕が編集者になれる日は?  作者: 松元 司
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同期の秘密と錦華公園の夜桜

第六話 


 午後八時三十分、最後に、社長の熊川の三本締めで新入社員の歓迎会を兼ねた会社再建十周年記念パーティーは閉会となった。

松宮は、同期入社の田島、白石、山本、西田に喫茶店に行くことを誘った。

「あのさ、すずらん通りのわが社ご指定の文具店ミヤタの横を入ったところに、【ラドリオ】って喫茶店を知っているかな?」

 コーヒー好きの田島は、すかさず、

「ああ、あの喫茶店のウインナーコーヒーは最高だよな。」

「私も好き。昼休みに二回ほど入ったわ。」

 同じ部署の白石は、嬉しそうにうなずきながら女性陣の山本と西田を誘うように話した。

 【ラドリオ】は神保町界隈じんぼうちょうかいわいにある【ミロンガ】、【さぼうる】、【珈琲館】など喫茶店激戦区の中でもトップクラスの人気を誇っていた。何と言っても、大人おとなの雰囲気があって、夜になると、喫茶店からバーへと一変する。あまりコーヒーを飲まない松宮も【ラドリオ】のウインナーコーヒーだけは好きであった。

 松宮は、昼間でも店内の照明がやや暗めの【ラドリオ】は、夜六時過ぎるとより暗くなったように感じた。ちょうど奥の落ち着いた六人掛けの席が空いていた。

「今日のパーティーだけどさ、どう思った?」

松宮と同じ二十二歳ながら何処どこか大人びた田島は、みんなの顔をのぞき込むように話しの口火くちびを切った。

「私は、中田常務の話しに感激したわ。」

 まず、白石が田島の顔を見ながらすぐさま自分の感想をひとこと話した。

「そうよね、白石さんは、中央大学を出ているから、難しいことも分かるのでしょうけれど、私や西田さんは短大でしょ。よく分からない話しがあったわ。」

 愛国学園あいこくがくえん女子短大商経科出身の山本が、多少、白石に反発的に話すと、同窓生の西田も、

「そうね、私も中田常務さんの話しは、明治時代とか戦前とかの古い話があって、よく分からなかったわ。」

「俺も、短大出身だけど、今日の中田常務の話しは、短大卒とか関係ないよ。」「中田常務は、あつい人だよ、俺は好きだな・・・。」

 東京都立商科短大出身の田島は、一年前に短大を卒業した後、中央線の立川たちかわ駅前の書店で長期アルバイトをしていたという経歴の持ち主で、山登りが趣味の日焼けしたスポーツマンタイプの好青年であった。

 松宮は、山本と西田の二人に対しては、自分や田島、白石よりも二歳年下のということもあって、同期入社とは言うものの後輩のような感じがしていた。

「僕は、山本さんや西田さんの言うことも分かるような気がするけれど、少なくとも中田常務の言う話に出ていた旧社組の中では一番会社のことを思っていると感じられたよ。」

「そうだよ、中田常務は熊川社長の次に信用できるよな。」

 田島は、自信有じしんあうなずきながら自分の言葉に確信を込めて話した。

【ラドリオ】人気ナンバーワンの熱々《あつあつ》のウインナーコーヒーを全員で飲みながら、一時間ほど思い思いに仕事のことから家族のことをそれぞれ話した。

松宮は、同僚の白石松音しらいしまつねが中央大学文学部出身で、敬文館の取引先である光風こうふう印刷会社の重役の紹介で入社したことを知った。

また、営業部に配属となった田島俊成たじまとしなりがアルバイト先の立川駅前の立川書店社長の紹介で鴛山正信おしやままさのぶ取締役営業部長が推薦したこと、そして、田島と同じ営業部に配属となった愛国学園女子短大商経科出身の山本美枝子やまもとみえこと総務部に配属となった西田加代にしだかよの二人も著者である愛国学園女子短大の伊藤淳いとうじゅん教授の推薦で入社したことを知った。

正直、松宮はやはり出版社は【信用できる人間を採用する】ということが現実にあることをこの時知った。と同時に、いわゆるコネの無い自分が入社できたことの幸運をつくづくと実感したのであった。

松宮は、常務取締役の中田が、挨拶の最初に【梅が丘駅前の桜が満開だった】と話したことを思い出して、

「ねえ、中田常務じゃないけど、御茶ノ水駅に行く途中の【錦華公園きんかこうえん】の夜桜を見て行かないか。」

「おお、良いね。明大と山の上ホテルの崖下がけしたの公園だろう。有名だよ、あの公園は・・・。」

 松宮と並んで歩いていた田島は、後ろから来る白石と山本、西田を見ながら、

「あの公園は、夏目漱石なつめそうせきが出た隣の錦華きんか小学校から名付なづけたそうだよ。」

「そう、そんなに歴史のある公園だったの、知らなかったわ。」

 中央大学文学部出身の白石は、明治の文豪・夏目漱石の名前が出たので興味がいたらしく、田島の側まで歩み寄り、

「田島君、錦華小学校と夏目漱石の話し詳しく、教えて。」

「いや、白石さんに教えるほど知らないけれども、確か、漱石の直筆による記念碑があったと思うよ。なあ、松宮。」

「うん、湧き水も出たという斜面の下の池とか滝のあるあたりだったかな・・・。」

 松宮は、昼に出版部の先輩たちと洋食屋【キッチン・ジロー】で食事をした後、何度か錦華公園に来ていた。

「ねえ、山本さん、西田さん、行きましょう。」

「そうね、私たちも公園の池や滝を見てみたいわ。」

 五人は、三省堂書店前の横断歩道を渡り、駿河台交差点から御茶ノ水駅へ向かう【明大めいだい通り】の裏道となる【錦華通り】に入り、最初の通りを右に行き、ぶらぶらと【錦華坂きんかざか】を上り、明かりの消えた校舎の【錦華小学校】の手前を通って【錦華公園】に入った。

「あら、ここの住所は【猿楽町さるがくちょう】と言うのね、変わった町名ね?」

 西田は、公園入口の住所表示板を見てつぶやいた。

「確か、この辺の【猿楽町】という町名は、猿楽師の観世太夫かんぜだゆう一団の屋敷があったことに由来するらしいよ。」

「さすが、松宮さんは、時代小説愛好家として、歴史に詳しいのね。」

「まあね。西田さんにめられたいでに言うとね、この周辺は江戸時代には武家屋敷が結構あって、大名の庭園が数多くあったそうだよ。近くには、関ケ原の戦い前に創業した【豊島屋としまや】という酒屋もあるみたいだ。」

「おいおい、まっつぁん、そこで講釈こうしゃくしていないで、こっちへ来いよ。」

田島は、松宮と西田を振り向いて、白石と山本と並んで、漱石の記念石碑きねんせきひを見ていた。

「この文字は、漱石の直筆ね。」

 白石は、記念碑に記している〖吾輩は猫である 名前はまだ無い 明治十一年 夏目漱石 錦華に学ぶ〗を食い入るように見ていた。

「何でも、漱石の小説『こころ』や『道草みちくさ』にも、錦華公園が出てくるらしいよ。漱石は東大に通っていた時、正岡子規まさおかしきらと公園の近くに下宿していたと言うことを立川書店の社長に聞いたことがある。」

 田島は、自分が一年間ほど立川書店でアルバイトをしていた時、そこの社長が毎年秋の読書週間に錦華公園で開催される【神保町の古書店まつり】に来ていて、二度三度、田島も連れてきて貰った時に教わったそうである。

 田島によると、漱石の出た錦華小学校は明治六年に開校し、関東大震災で焼失した校舎を昭和元年に現在の鉄筋コンクリートの三階建てに建て直したようで、何でも開校記念式典には天皇陛下や皇太子も列席するほどの名門小学校だと書店の社長から聞いた話しを続けて説明した。

たっぷりと【錦華公園】の夜桜見物をした五人は、【山の上ホテル】の裏の【金華坂】を【とちの木通り】まで出て、駅に続く【明大通り】に出た。【下倉しもくら楽器店】を右手に見て、多少アルコールの残った身体からだを冷やすかのように春の夜風を受けながら、のんびりと御茶ノ水駅に向かった。

御茶ノ水駅の改札口では、錦糸町きんしちょうまで帰る山本と西田を松宮と田島と白石の三人が見送り、新宿駅から乗り換えて西武線の東伏見ひがしふしみ駅まで帰る白石と中央線の西荻窪にしおぎくぼに住んでいる田島の二人を高尾たかお行き中央線快速電車に乗るのを松宮が見送って、ひとり松宮は最後に自宅のある飯田橋駅を目指して三鷹みたか行き各駅電車に乗った。

御茶ノ水駅ホームで、田島は別れ際に酔いの残った顔で、突然握手をしながら、松宮に、【まっつぁん、俺は営業部で、いずれ、まっつぁんが編集して作るだろう本を、いっぱい売るからな】【だから、今の学事課の仕事を早く卒業して、編集へ行けよな】と力強く話した。


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