涙のスピーチ
第五話
熊川からの新入社員への記念品贈呈が終わると、林田から次のスピーチは、常務取締役の中田朝彦出版部長であることが告げられた。
中田は、松宮たち五人の新入社員へ日焼けした顔に笑みを見せながら、
「皆さん、中田です。私は今朝、自宅のある小田急線の梅が丘駅前のソメイヨシノが満開になっていたのを見てきました。春もたけなわと言ったところで、わが社も大学の新学期が始まり、一年間で最も忙しい時期を迎えることとなりました。」「さて、新入社員の諸君、本日はおめでとう。早速ですが、ここで、簡単にわが社の歴史をお話ししたいと思います。このことは、旧社の諸君は今更とお思いでしょうが、本日は新入社員も居ることですので、改めてお話しいたしたいと思います。」
中田は、一瞬、社長の熊川に頭を下げ、
「えー、明治時代の出版界は、大橋佐平氏が率いる明治二十年創業の総合出版社の博文館が牽引していました。その博文館の創業者である大橋佐平氏の許しを得て、わが社の創業者である博文館の創業時から編集者として活躍していた若干二十五歳の森田章之介が、お世話になった博文館を敬う気持ちから社名を「敬文館」として東京神田神保町のすずらん通りに面した博文館の取次部門であった東京堂書店の隣に明治二十九年に創業したのであります。」
「えー、わが社の森田創業社長は、博文館で得た人脈と独自のアイデアで、多くの百科辞典を出版し、婦人・商業・教育関係の雑誌を初めとして、哲学・法律・経済・商業などの教科書・研究書と幅広く出版して一躍総合出版社としての地位を築いたのであります。」
ここで、中田は神妙な表情になり、
「しかし、森田創業社長は突如として大正九年にまだまだ働き盛りの五十歳で他界したのであります。えー、その後、大正十二年の関東大震災、そして直後の大不況で昭和四年にですね、わが社は経営難となりました。そこで、以前より森田創業社長と親交のあった亀山忠一氏が創業の神田錦町にございます五省堂出版へ経営委託をすることとなったのであります。」
「えー、その後、何とか多くの著者を初めとして、取引先・関係者に助けられながら経営回復しまして、あの昭和十六年から始まった第二次世界大戦も乗り越えました。」
ここで、中田は重役陣に目を移して、
「実は、私事となりますが、私は京都大学を卒業し、学徒出陣により海軍に入隊いたしました。そして、昭和二十年八月に終戦となったのです。私は一時故郷の千葉県八街に帰りまして、戦後半年を過ぎた昭和二十一年の二月に敬文館に入社いたしました。私が会社に入って最初にしたことは、空襲から焼けずに残った倉庫に眠る大量の埃にまみれた旧い紙型から売り物としての本にすることのできる【宝】を見つけることでした。男性社員の多くは、私を含めて軍服姿でした。」
中田は、遠い昔を思い出しているかのように会場の奥を見つめて、
「えー、幸いに戦後の食糧難も落ち着きますと、多くの国民が書籍を買い求めるようになりまして、用紙不足という厳しい状況ではありましたが、私共が整理した旧い紙型から復刊した『経済学教法』『経営学提要』などの名著が次々と売れたのであります。」
ここで、中田は、再び重役陣の方に目を向けて、
「わが社は戦後の厳しい時期にも拘らず、何とか売り上げを伸ばし、昭和二十三年には取締役営業部長の鴛山正信君が入社し、昭和二十八年には出版部編集主任の簑輪豊君が入社し、社員も二十名を超えることとなりました。その後、昭和三十一年に出版部業務課長の今村雪夫君、昭和三十二年に相談役の古谷文平さん、昭和三十三年に出版部学事課長の塚本慶次君、と次々と優秀な方々が入社し、従業員も総勢三十五名となったのであります。」
中田は、目にうっすら涙を浮かべて社員全員を見渡すようにしながら、
「ところが、利益を度外視した大型企画と自転車操業によって昭和三十三年一月に不渡手形を出して倒産してしまったのです。この時、私は編集担当から経理担当の常務取締役の職にありまして、慙愧に堪えない気持で一杯でした。今になって思えば、もう半年前に意思決定していれば、損害額も抑え、ご迷惑をお掛けすることも減っていたのではないかと反省しております。そして、再び昭和四年以来の親会社である五省堂出版に経営委託をお願いして、ここに旧社以来の五名と昭和三十三年四月八日以降に入社された本日会場におられる皆様と共に輝かしい未来へ向けての確固たる再建を目指したいと思うのであります。大変長くなりましたが、ご清聴有難うございました。」
中田は、常務取締役として、すべてを話し切ったという満足した顔で、深々と頭を下げて壇上を落ち着いた足取りで降りた。
松宮は、中田の話しの中で重役陣を【旧社の諸君】と呼び、自らの実体験も織り交ぜながら熱のこもった敬文館の創業から倒産・再建までの話しに、明治時代に創業という老舗出版社が明治・大正・昭和という三つの時代の流れに翻弄されながらも今日まで生き抜いてきた歴史の重みを感じた。
中田のスピーチの後は、林田の音頭で全社員乾杯をして、社員各々自由に飲み物を片手に食事タイムとなった。食事はバイキング形式の立食パーティーであった。会の初めのうち、松宮たち新入社員は、重役たちのテーブル、上司たちのテーブル、先輩社員たちのテーブルへと五人ひと固まりになってビール、日本酒、ジュースなどの飲み物をそれぞれのテーブルの人々へ注いで回った。




