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僕が編集者になれる日は?  作者: 松元 司
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会社改革への静かなる嵐

第十四話 


昭和四十四年九月二十三日火曜日、秋分の日で三連休最終日は、朝から曇り空である。松宮は、自室の北向きの窓から見える隣の民家の赤い屋根を見ながら、俺と田島は、司馬遼太郎しばりょうたろうが執筆している『坂の上の雲』に出てくる日露戦争で戦場にのぞむ秋山兄弟のようだなと思った。

松宮は、昭和四十三年四月二十二日から【産経新聞】夕刊に連載している司馬遼太郎執筆の『坂の上の雲』が、新聞・テレビ・ラジオで取り上げられて、サラリーマンや主婦層にまで話題となっていることを知って意外であった。もちろん、時代小説が好きな松宮の父の武道は、『坂の上の雲』(全六巻)の『第一巻』が文藝春秋より新刊として発売されるや否や購入した。

「内容から言って三年で完結すれば早い方だよ。何と言っても激動の明治時代をき、ましてや実在の人物である松山市生まれの若者三人、秋山兄弟と正岡子規まさおかしきを取り上げるのだからな。それに、結核を患っていた子規が従軍記者としておもむいた日清戦争や小国の日本が大国ロシアに勝利した日露戦争が舞台で、執筆も大変だと思うよ。」

全巻完結は三年後の昭和四十七年の予定だと知った武道は、松宮に、まるで自分がさも司馬遼太郎のごとく話しながら、若者三人と同じ伊予いよ(愛媛県)松山市生まれの武道は、読み終わった『第一巻』を松宮に渡し、続刊『第二巻』以降の発行を心待ちにしていた。

松宮は、時代小説の中でも日本における【唯一ゆいいつの革命】とも言われている【明治維新めいじいしん】にまつわる話しが殊更ことさら好きであった。

松宮が新聞等で予め知っていた『坂の上の雲』は、明治維新を成功させ、近代国家を目指す日本が、西洋列強の国々からの脅威にさらされながらも、明治維新の成立と同時期にせいを受けた愛媛県松山市出身の秋山好古あきやまよしふると弟の真之さねゆき、その友人の正岡子規の三人の若者を中心に勃興期ぼっこうきの明治時代を描いた長編小説で、兄の好古は、最強の呼び声が高かったロシアの【コサック騎兵】を打ち破り、弟の真之は、世界最強の【バルチック艦隊】を艦長の東郷平八郎とうごうへいはちろうの参謀として、圧倒的不利と言われた日本海海戦で戦い、兄弟共に予想に反して【日露戦争】を勝利に導いたと言うこと。さらに、歌人の正岡子規は、独自の写実主義しゃじつしゅぎとなえて、伝統的な俳句・短歌の近代化を目指し、病床に倒れても懸命に生きたことなどである。

松宮は、これこそ、司馬遼太郎ならではの歴史観による作品で、当時の脆弱ぜいじゃくな近代国家【日本】を支えるために戦った明治に生きた男たちの大河たいが小説だと思った。

  松宮は、すでに司馬遼太郎の作品を処女作の昭和三十四年発行の直木賞を受賞した隠遁いんとん生活を送っていた伊賀忍者・葛籠重蔵つづらじゅうぞうの数奇な運命を描いた『ふくろうの城』を初め、昭和三十七年発行『風神ふうじんの門』、『竜馬りょうまがゆく』、昭和四十年発行『功名こうみょうつじ』、昭和四十一年発行『北斗ほくとの人』、昭和四十二年発行『十一番目の志士しし』、昨年の昭和四十三年発行『夏草なつくさ』、『とうげ』、そして、『宮本武蔵』を読んでいた。

松宮が好んで読んだのは、司馬遼太郎の作品に限らず、人物像の感情描写が目立つ短編小説よりも時代と人物の関わりが筋道を立てて書かれている長編小説が多かった。松宮は、作家の井上靖いのうえやすしが、【〖短編小説〗はじょうという軟骨なんこつね上げるもので、〖長編小説〗はという硬骨こうこつみ上げるものだ】と何かに書いていたが、その通りだと思っている。

早いもので松宮たちが入社して早くも一年と五カ月が過ぎようとしていた。【そう言えば、この一年五カ月で、敬文館の顔ぶれも変わったな】と考えていた。松宮のいる学事課に白石松音しらいしまつねの後任に佐渡和子さどかずこが来て、松宮と同期の愛国学園あいこくがくえん女子短大商経科出身の山本美枝子やまもとみえこ西田加代にしだかよの後輩となる宮田恵美みやたえみ小畑久美子おばたくみこが、山本と西田と同様に著者の伊藤淳いとうじゅん教授の推薦で今年の四月に入社した。

宮田は、昨年末に退職した松宮の一年先輩の井森節子いもりせつこの後任として営業に配属され、小畑は、松宮たち新入社員歓迎会の受付をしていた総務部にいた先輩社員の岩田辰子いわたたつこが退職したので、後任として総務に配属となった。

そんなことを考えていた松宮の家の電話が鳴って、

「隼、多分、会社の田島君からだと思うけど。換気扇かんきせんの音で聞き取れなかったわ。」

松宮は、母親の早絵の呼ぶ声に急いで部屋から電話機のあるリビングに向かった。

「有難う。」

早絵は、昼の食事の準備をしていた。松宮はキッチンから匂う香りで、今日の昼の料理は母の特性カレーだと分かった。

松宮がリビングのドアの側にある電話に出ると、母の言う通り会社の田島からで、今日の午後四時頃、新宿の紀伊国屋書店本店の地下にある喫茶店【フジ・カトレア】で会いたいということであった。詳しいことは会ってから話すが、七月頃から度々話している【会社の改革】についてだ、ということだった。

松宮は、電話を切った後、やや興奮気味の田島の声が気になったものの、何れにしろ、そろそろ松宮自身も最終結論を出す時期に来ていると感じていた。松宮は、会社の同期の田島と会うため、家から徒歩五分の筑土八幡町つくどはちまんちょうの都電の停留場で、岩本町いわもとちょうから新宿駅行きの都電十三番線を待っていた。

松宮の家から新宿駅に行くのには、国鉄の飯田橋駅から各駅電車で行く方が早いのだが、今日は、少し考え事をしたいのと都電の新宿駅の停留所が、歌舞伎町かぶきちょうの入り口前にあることから紀伊国屋書店の裏口に近いので都電を利用することにした。

松宮は、日本大学教養課程の一年間、京王線の下高井戸しもたかいど駅にある日大文理学部にかよった。その間、新宿の紀伊国屋書店本店で長期アルバイトをした。お陰で、歌舞伎町、新宿大しんじゅくおおガードから新宿駅周辺にある飲食店に詳しくなった。もっとも、金銭的に言えば、きわめて大衆的な喫茶店とか食堂や飲み屋に限って詳しくなったと言った方が正確である。

「やあ、しゅんぜい、待った?」

 松宮は、田島が、松宮のことを【まっつぁん】と呼ぶので、いつの間にか、松宮も田島のことを名前の俊成としなりから【しゅんぜい】と呼ぶようになった。

「いや、どんまい、どんまい。それよりも悪いな、せっかくの休みに・・・。」

「いや、三連休もあると少々家にいるのが、飽きて来たところだよ。」

 田島は、すでに生ビールを飲んでいたので、松宮も付き合って、生ビールを注文した。今日が秋分の日ということで暦の上では秋になったとはいえ、日中は二十八度近くあり、まだまだ冷えた生ビールが美味うまく感じられた。

「まっつぁん、来月の初めに熊川社長と団交だんこうしたいと思うが、どうだろう?」

「そうだね、僕は社員全員による団交という数による圧力よりも、最初は熊川社長としゅんぜいと僕の三人で会う方が良いと思う。」「熊川社長なら今回の会社改革案を受け入れてくれると思うなあ・・・。」

 松宮と田島は、昨年四月八日の如水会館での会社再建パーティーの一カ月後に、先輩社員たちの会社に対する不満や愚痴を聞くと同時に自分たちも、敬文館の昭和三十三年の倒産前から再建を目指している【旧社組きゅうしゃぐみ】と呼ばれている重役陣たちと、その後に入社した社員たちとの間に深いみぞがあることに気づかされたのである。

 その後、社員組合のない敬文館では、田島と松宮が音頭おんどを取って、社員同士で個別に連絡し合って、終業時間の五時半過ぎになると初めのうちは五・六人から神保町の喫茶店に集まり、ひとりひとりの会社に対する不満とか、改善希望とかを話し合い確認した。

そして、八月末には、堂々《どうどう》と五時半過ぎから営業部に【社員会しゃいんかい】と称して管理職社員を除いた全社員が集まり、会社に対して正式に【改革案】を提出することとなったのである。

 【社員会】がまとめた【改革案】の主な要望としては、〖賃金体系として、勤続年数による職令給しょくれいきゅうを廃止して、各人の能力に応じた職能給しょくのうきゅう【一級職から五級職】の導入〗、〖年功序列的な課長・係長・主任という職制を廃止して、各部署の意思決定者として部長職のみを残す〗、〖出版部と営業部の風通しを良くするために新たな部署として【出版業務課ないし係】を新設すること〗、そして、〖出版部学事課を廃止して、営業部に学事担当スタッフを置くこと〗などであった。

 実は、塚本は、九月九日に【ミロンガ】で松宮と話した後、社長の熊川に学事課の営業部への部署変更を進言したところ、時期尚早じきしょうそうではないかと説得されて諦めてしまったのであった。ただし、松宮の編集課への移動に関しては検討するとのことであった。

したがって、松宮は、今回の【会社改革案】の一つとして〖出版部学事課の廃止と営業部に学事担当スタッフの設置〗を自分自身のためにも要望項目に入れたのである。

 松宮と田島は、五時過ぎに紀伊国屋書店本店地下の喫茶店【フジ・カトレヤ】を出て、歌舞伎町の【新宿コマ劇場】近くのとんかつ屋【とんき】へ行った。

「まっつぁん、分かったよ。それでは、熊川社長と二人で直談判じかだんぱんということにしよう。」

 松宮は、ヒレカツ単品と生ビールを、田島はロースかつと生ビール、それと枝豆を二人前注文した。

 二人は、今週中に【社員会】を招集して、熊川と直談判することの了解を社員全員から得ること、そのうえで、熊川に【社員会】の代表として二人が、十月早々、会社改革の件で話し合いたいということを要望することが決まり、二人は何とか気持ちが落ち着いた。

「でもさ、会社の引っ越しと会社改革が、何ともタイミング良すぎるよな。」「第一、ゴールデンウィークに引っ越しって、参ったよ。確かに、林田部長の言うように休日の方が電話も来客もないけどな・・・。」

 田島は三杯目の生ビールを飲みながら、酔うと必ずする自分のオデコを(こぶし)でトントンと二・三回叩くくせが始まった。

「そうだな、今の場所から仮事務所へ、そして、仮事務所から神田錦町の新事務所への引っ越しということだから、けい二度の引っ越しだろう、荷物の整理とか大変だよな・・・。」

 松宮は、田島のオデコが赤くなるのを見て、笑いながら二杯目の生ビールを口にした。

四月半ばに、総務部長の林田から具体的に会社の引っ越しスケジュールと仮事務所、新事務所に関する具体的な説明会が全社員向けに行われた。松宮たち【社員会】にとって、会社の九段下の仮事務所への引っ越しが、昭和四十五年五月一日金曜日から三日の日曜日と決まっていたので、会社側が引っ越しを理由にうやむやにするのではと危惧きぐする者も現れて、是非ともそれまでに会社の改革を実現した方が良いということになった。



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