学事情報ノートと学事課の限界
第十三話
昭和四十四年二月十二日水曜日、松宮は、国鉄中央線の吉祥寺駅の改札口を出た。朝の冷え込みが嘘のように昼間は気温が高かった。日中は十八度にもなると朝のテレビの天気予報で言っていた。松宮は、塚本と学事営業を担当エリア別に分担して半年が経った。
松宮は、朝から吉祥寺駅北口から徒歩で十五分ほどのところにある武蔵野市の【成蹊大学】へ行くところであった。国鉄中央線と総武線、さらに京王井の頭線で渋谷駅にも連絡している吉祥寺駅は、文化人が多く住んでいると言われた中央線沿線の中でも、とくに人気の高い街として【高円寺・吉祥寺・国分寺】を【中央線の三寺】と言われ、その中でもひときわ吉祥寺に松宮は憧れていた。
松宮は、昨年十月に、成蹊大学で会計関係の研究学会が開催されたとき、課長の塚本と初めて学会の全国大会に出版社の社員として出席した。駅前のバスターミナルを左に歩いて、【吉祥寺通り】に進みながら、松宮は、学会二日目の懇親会パーティーの席で、成蹊大学学長が挨拶の中で大学の歴史を話されたことを思い出していた。
学長の話しによると、成蹊大学は、国文学者を父に持つ教育者の中村春二が、画一的な日本の教育と有産階級の子弟が多かった高等教育を憂いて、貧窮家庭の俊才を集め、自由な立場で真の人間を教育しようと明治三十六年、中村春二と同窓で後に三菱財閥の四代目総帥として活躍された岩崎小弥太らの協力を得て、東京・池袋に私塾【成蹊園】として開設したのが始まりで、中村春二の死後、大正十三年に池袋から現在の吉祥寺に移転し、英国のパブリックスクールに範を取った成蹊高等学校が開設され、その後、昭和二十四年に成蹊大学が開学したとのことであった。
松宮は、慣れた足取りで車やバスの行き交う【吉祥寺通り】に出て、通りを右に曲がって【五日市街道】に向かった。昨年の学会で成蹊大学に初めて来てから、すでに松宮は五回ほど訪れていた。【五日市街道】を渡り【成蹊東門通り】を左に行くと、成蹊大学の欅並木が見えてきた。
「松山先生、お早うございます。敬文館の松宮です。」
「はい、どうぞ。」
部屋の中から松山邦敏助教授の元気な声が聞こえた。松山助教授は、会計学者として著名な中央大学の井下達雄教授の筆頭弟子で、公認会計士や企業人の職に就かれた方が多いい井下教授の門下生の中では、数少ない学者の道を選択して、成蹊大学ではメインとなる簿記と財務諸表論を担当している。
松宮は、昨年の学会のパーティーで挨拶してから何故か松山助教授に気に入られ、以来、大学のみならず松山助教授の中央線の武蔵小金井駅から徒歩十分の自宅にも二度ほど訪れたりしている。
「先生、先日はご馳走になりました。」
「まあ、どうぞ座りなさい。いやいや、松宮君が、あんなに寿司が好きだとは思わなかったよ。若い人はなまじ遠慮するよりも、しっかり食べるのは良いことだよ。」
松宮は、頭を下げながら、松山助教授の机の横にある応接セットの椅子に腰を掛けた。
「ついつい美味しくて、大皿の寿司をお言葉に甘えて頂きました。」
「ところで、今日は沼川先生の新刊を持って来てくれましたか?」
「こちらが、昨日、製本所から届いた沼川先生の『簿記教本(七訂版)』と姉妹書の『練習問題副本』です。」
敬文館には、会社の売り上げを支えているベストセラー作家といった【ドル箱】的な著者が数人いる。一橋大学出身で、現在、横浜国立大学の沼川嘉穂教授もその一人である。沼川教授が書いた『簿記教本』は、売れ行き良好といっても年間数千部が当り前の専門書としては、異例の年間十万部を超える発行部数を誇っていた。そのため、通常の活版印刷では生産が間に合わず、発行部数の多いい新聞のように輪転機による印刷をしていた。
確かに、沼川教授が毎年三万人から四万人の受験者がいる税理士試験の試験委員を長年担当していることが、売り上げ部数を維持している大きな要因であるが、実は、『簿記教本』は【全国統一教科書】と呼ばれて、全国の大学にて簿記の教科書として、テキスト採用されていることが、この驚異的な売り上げ部数を支えていたのである。
したがって、敬文館では、二年に一度のタイミングで改訂される時期になると、【簿記御殿】と呼ばれていた高級住宅地【田園調布】にある沼川教授の自宅に、社長以下七・八名の社員総出で、全国の採用者に贈呈するために、恒例の【沼川教授によるサイン会】が三日がかりで実施されるのである。
それは、神殿における儀式のように、役割分担された全員が、黙々と朝から沼川教授を囲んで、沼川教授が毛筆でサインをした約千冊の『簿記教本』に、沼川教授ご指定の【花押】を朱肉で丁寧にサインの下に押し、サインと花押が乾いたところから、一冊一冊に礼状と謹呈短冊を付し、最後に、製本所から届いた元の状態に箱詰めするのである。
沼川教授の直筆サイン入りを贈呈される採用者の一人でもある成蹊大学の松山邦敏助教授に、松宮は郵送せずに直接持参したのである。
「ああ、これこれ。沼川先生のサインは、さすがに達筆ですね。それに、やはり三百頁超えて、五百六十円は安いなあ。もちろん、内容も新しくて分かりやすいしね。」
松山助教授は、松宮から渡された書籍を手に取って、外箱の定価表示を見ながら、丁寧に箱から本を取り出した。
「はい、通常でしたら、この頁数ですと、千円以上はします。やはり、印刷部数の違いが大きいと思いますが、著者の沼川先生が定価値上げに厳しいからだと思います。」
「沼川先生は、会計学の教科書も書かれているが、あの本も良い本だね。ただし、僕は、正直なことを言うと、ちょっと教え難いけどね。」
松宮は、松山助教授が財務諸表論の講義には恩師の井下達雄教授の書籍を教科書に指定していることを知っていた。しかし、恩師の井下教授は簿記の書籍も出版しているのに、あえて敬文館の沼川教授の書籍を使用していることを知ってから、客観的な判断でテキストを決める松山助教授を信頼できる学者であり教育者だと思ったのである。
松宮は、松山助教授が次の授業の準備をするので、一時間ほど話をして研究室を後にした。松宮は、成蹊大学の研究棟の二階のロビーで、自身オリジナルの大学ノートを開いた。
このノートは神楽坂の原稿用紙で有名な【相馬屋】で購入した、松宮ご自慢の【学事情報ノート】といったもので、今までに松宮が面会した学者・公認会計士の方々を五十音順に見出しを付けて書き記したノートで、生年月日、自宅住所、出身地、出身大学、現在の勤務大学、恩師、先輩・同期・後輩、専門科目、研究テーマ、過去に執筆した論文・著書、学会で発表したテーマなどが事細かに書かれていた。そして、松宮の情報ノートは、すでに百名を超える名前が記されており、二冊になっていた。
松宮は、早速、松山助教授と話したことを情報ノートに記録した。次に、松宮はノートを開き、徳田昌勇講師の頁に目を遣った。
「敬文館の松宮です。」
「はい、どうぞ。」
「すみません、突然、お時間大丈夫でしょうか?」
研究室のドアを開けながら、松宮は申し訳なさそうに頭を下げた。
「はい、何でしょうか。」
「私は、敬文館で学事課にいる者ですが、先生のご専門についてお話をお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
松宮は、黒い大きな鞄を置いて、名刺を渡しながら丁寧に挨拶をした。
「私のような若い講師でも良いのですかね・・・。」
「とんでもないです。私も若いですから、先生からお話を頂ければ助かります。」
松宮は、目の前の徳田講師が、門下生の多くを学者として輩出している早稲田大学の会計学の第一人者の一人である青山茂男教授の弟子であることを調べて知っていた。そして、松宮は、青山教授の弟子の何人かとすでに面会済みであった。それも、徳田講師よりも先輩格の教授・助教授であった。
松宮は、約四十分、徳田講師と話しをして研究室を後にした。徳田講師から会計学の考え方を聞いて、松宮は、敬文館の出版物が時代にそぐわなくなっていることを感じた。ただ、そのためには、教科書のセールスを担当する立場の松宮としては、自分は何ができるのかが分からなかった。【今日は、これで終わりにしよう】と、松宮は、成蹊大学の研究棟から欅並木の大学正門を通り、吉祥寺駅へ向かった。
昭和四十四年九月九日火曜日、気温二十七度、朝から快晴で今日も暑くなること間違いなしといった朝の日差しである。松宮は、
「佐渡さん、お早う。課長は、まだ出社していないのかな?」
佐渡和子は、先月末に松宮の同期入社の白石松音が寿退職し、その後任に老舗出版社の明治書院から中途採用され、学事課に来た。
「はーい、もうお見えになっていますぅ。あの、松宮さんにお話しがあるそうでー、【ミロンガ】で待っているとのことですぅ。」
福島県出身の佐渡は、松宮に人懐っこい笑顔をしながら、東北訛りで伝えた。
「あ、そう。課長は、何時頃、出掛けたか分かる?」
「はーい、私が来てからすぐですからー、十分くらい前ですぅ。」
「分かった、それじゃ、後よろしく。」
松宮は、ここのところ、何時ものジョークも無く、何処となく考え込む塚本の様子が気になっていた。急いで外に出た。課長の塚本は喫茶室の一番奥でタバコを吸っていた。
「松宮君、朝から申し訳ないね。」
塚本の前には、飲みかけのアイスコーヒーがあった。松宮は、アイスティを注文した。
「実は、君も聞いていると思うけど、来年八月に現在の会社の建物を解体して、一時的に会社が九段下の仮事務所に移転するよね。」「そこで、僕は、このタイミングで学事課を営業部に移すことを熊川社長に進言しようと思っているのだが・・・。」
敬文館は、二年後の昭和四十六年四月に親会社である五省堂出版のある神田錦町ビルの隣に建設中の五階建てのオフィスビルに移転することになっていた。その間、九段下の俎橋近くの六階建ての【九段俎橋ビルヂング】に一年間だけ仮事務所を設けることとなっていた。
「課長、僕も賛成です。今のままでは、学事課の販売促進も限界だと思います。」
「そうか、君も賛成してくれるか。」
松宮は、塚本が久しぶりに元気の良い顔をしたので、ほっとした。塚本は続けて、
「確かに、僕や松宮君が教科書採用の先生方から出版企画を依頼されたり、われわれが考えた企画を中田出版部長や編集課のスタッフに提案しても、ほとんど否決されるし、だからと言って、学事課は企画を立てたり、書籍を編集することは出来ないからな・・・。」
松宮は、塚本が社長の熊川に提案することに賛成するとともに、この機会に松宮自身の希望として編集課への異動を社長の熊川にお願いして欲しいと頼んだ。
塚本は【君はやはり編集に行きたいのか、うちの会社で編集を担当すると苦労すると思うけどな、このまま学事課に居た方が気楽だと思うけど】と念を押された。
その度に、松宮は【確かに、わが社は十年前に倒産していますし、伝統的な編集方針が根強くあることは分かりますが、自分の力で敬文館の古い殻を破ることが出来るか、是非とも試してみたいのです。お願いします。】と繰り返し塚本に訴えた。




