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僕が編集者になれる日は?  作者: 松元 司
12/16

学事出張の最終日/食事会と帰路

第十二話 


残った六人の先生方と塚本、松宮の一同いちどうは、神戸大学本館から歩いて、【六甲道駅】の予約した海鮮料理店【うおとし】に向かうこととなった。

「どうですか、ここから見る夜景は最高でしょう。【百万ドルの夜景】ですよ・・・。」

 溝田教授の弟子でし小葉哲夫こばてつお助教授が、松宮に声を掛けた。

「すごい景色ですね。神戸港と市内の明かりが一望に見渡せますね。」

 松宮は、初めて見る神戸市内の夜景に目を奪われていた。

「ここ神戸大学はね、松宮さん、戦国時代の【赤松城あかまつじょう】という城跡しろあとですよ。」「だから、赤松の林に囲まれていますが、それ以外にも、あすこの巨木はくすのきでしょう。それと、春には梅、桃、桜の花が咲いて、とても綺麗きれいですよ。」

 木葉助教授は、松宮に説明しながら、みずからも春の季節を思い出すようにうれしそうに語った。木葉助教授の側に居た弟弟子の谷本武幸たにもとたけゆき助手もうなづきながら、

「松宮さん、ぜひ、来年の春にも神戸大学へ来てください。」

 海鮮料理店【魚とし】に着くと、二階の個室に案内された。 

「塚本さんと松宮さんは、どうぞこちらへ。」

 リーダー格の武見隆二たけみりゅうじ助教授が自分の隣の窓を背にした中央の席に二人を勧めた。

「私たちは、こちらで結構です。武見先生。」

塚本は、遠慮して、入り口の席に座ろうとすると、

「ダメですよ、そこは助手の谷本君の席ですから・・・。」

 塚本は、癇性かんしょう的な武見助教授の言葉が発せられ、緊張感漂うの雰囲気から、ここは武見助教授に従うことが無難であると察した。

「私はね、はっきり申し上げますと、十年前の敬文館さんの倒産で、迷惑を受けた一人ですよ。もちろん、本日のお二人に責任があるとは思っていませんけど・・・。」

 前菜から始まり、刺身、酢の物、てんぷら、焼き魚と料理が並べられ、ビールや日本酒を飲んで四十分ほどした時、突然、塚本の隣に座る武見助教授がいらついた声で言った。

「だって、そうでしょう。十年前に数年掛けて苦労して編集・執筆した私の恩師の山本勝治先生が【責任編集者】として出版した『近代会計学辞典』が、発行と同時に敬文館の倒産で販売中止ですからね。」「私は、その時、講師でしたけれど、くやしくて泣きましたよ。」

 その場にいた高山正淳たかやままさあつ助教授、木葉哲夫助教授、黒川全紀くろかわまさのり助教授の三人は、【またか】と言った顔をして黙っていたが、谷本武幸助手と中美常男助手の二人は、緊張をあらわにこおり付いていた。

 もちろん、隣に座る塚本と松宮は、黙って下を向く以外にすべがなかった。

 武見助教授は、その後も三十分ほど一人で語り、今回の溝田教授が【責任編集者】になったのは、経営学部長になったからであって、自分としては、【責任編集者】には自分の指導教授である六十五歳の渡瀬進わたせすすむ教授が一番で、それ以外であれば、六十歳の久保山音二郎くぼやまおとじろう教授か、五十九歳の戸川義郎とがわよしろう教授か、五十八歳の丹沢康太郎たんざわやすたろう教授が相応ふさわしかったと力説した。

さらに、内容的に【経営学と会計学を一つにした辞典は不自然だ】といった本質的な問題点を繰り返し話した。

 武見助教授の話しの後、各人はしばらく雑談をしていたところで、武見助教授と同期となる高山助教授が、

「えーと、敬文館さんは、本日東京に帰られるので、そろそろおひらきにしよう。」

と発言し、終始緊張していた塚本と松宮は高山助教授に救われた格好となった。

二人は、六甲道駅から新大阪駅へ急ぎ、東京駅着最終便の新幹線に乗り込むため、重たい足取りで帰路きろに着いたのである。

二人は、新大阪二十時発東京行きの新幹線【ひかり十号】に乗り込み荷物を置くと、塚本と松宮は、八号車の【食堂車】に行った。塚本は、ホットコーヒーを飲みながら、

「松宮君、お疲れ様でした。ところで、今日の武見先生の話しだけどね、僕は敬文館の責任もかなりあると思うよ。実は、以前も著者から敬文館が倒産した時に、原稿料を支払って貰えなかったといった苦情を聞いていたしね。今回の学事出張でも、似たような話を聞いたよ。」

 塚本は、自分も倒産前に入社した【旧社組】の一人として、松宮に申し訳ない思いで神妙に話しをした。

「そうですか、私も学事の仕事で、年配の先生にお会いすると、【君のところは倒産したから信用できない】と言われたことがあります。」

 松宮は、学事課の仕事の時、二十代から三十代の比較的年齢の若い先生に面会するようにしていたが、時々は四十代から五十代の先生に会うことがあった。

「あ、そうだろうね。ただしね、武見先生が問題にしていた【責任編集者】の件に関しては、国立大学における【講座制こうざせい】の問題もっこにあると僕は思う。」

 塚本は、東京大学などの旧帝国大学と呼ばれた国立大学にある講座制とか学科目制がっんもくせいと呼ばれる大学の制度が、神戸大学など旧帝国大学以外の国立大学にもあり、これらは【教室】や【研究室】と呼ばれ、教授が指導し、教授の下に助教授、講師、助手と言った厳しい階層関係を生んでいること。そして、時として、教育と研究の関係に大きな弊害をもたらすことがあることを松宮に説明した。

「武見先生はね、実は、大学院は山本勝治先生のゼミの出身だが、大学の学部は横浜国立大学の黒川清先生のゼミの出身でね。そのこともあると僕は思うが、神戸大学経営学部のメインとなる【会計学】の講座を神戸大学の学部から大学院出身の高山正淳先生が担当して、武見先生はメイン科目でない【税務会計】の講座を受け持つこととなってしまったのだよ。」「多分、武見先生にとっては相当に悔しかったと思うな・・・。」

 松宮は、大学の組織の複雑さを塚本から教わるとともに、今日の神戸大学で見たり聞いたりしたことによって、自分が目指す編集者になるための難しさも学んだ気がした。

 塚本と松宮を乗せた新幹線は、予定通り東京駅へ二十三時十分に到着した。塚本は、自宅のある池袋駅へ帰るため山手線ホームに急いだ。松宮は、自宅のある飯田橋駅へは御茶ノ水駅乗り換えのため、中央線ホームに向かった。

松宮は、美好マンションの入り口で腕時計が十二時を指していることに気づき、静かに【ただいま】とつぶやいて、家族の寝静まっている玄関のドアを開け、簡単に洗面台で顔を洗ってから、部屋に戻りパジャマに着替えてベッドに横になった。

明日の土曜日は、本来、午前中の勤務であるが、課長の塚本から自宅で【出張報告書】をまとめると言うことで、自宅勤務を許された。

昭和四十三年十二月二十一日土曜日、疲れていた松宮は、九時過ぎにベッドの横のカーテンの隙間から入ってくる朝日で目覚めた。部屋を出てリビングに行くと、台所で片付けをしていた母が、松宮の顔を見て

「お早う。昨日きのうは遅かったのね。」

「うん、家に着いたら十二時だったよ。お父さんと繁は、出掛けたの?」

「え、お父さんはカメラマンとの打ち合わせが九時にあるとか言って、銀座のスタジオに出掛けたわ。繁は朝からの講義で、獨協大学よ。」

 普段は、松宮が最初に出かけるが、今日は特別に自宅勤務と言うことで、朝寝坊が出来た。松宮は、母の作ったジャムトーストとハムエッグの朝食を済ませて、【出張報告書】の作成に取り掛かった。

 松宮は、出張の間、面会者との記録を大学ノートに簡単に纏めておいたお陰で、土曜日の自宅勤務と翌日の日曜日で、何とか、会社に提出する【出張報告書】を書き上げた。

 十二月二十三日月曜日、塚本と松宮は、社長の熊川と出版部長の中田に学事出張の報告をした。今回の学事出張の目的である来年新学期向けの教科書の注文見込みが相当期待できること。さらに、塚本と松宮が出席した神戸大学における【『近代経営学・会計学辞典』の出版に関するお願い】の打ち合わせ会議の様子および夕食会で武見隆二助教授が話されたことなどを話し、学事課の塚本と松宮の出張報告は終わった。

 何れにしろ、学事課は、十二月から年明けの三月まで、来年度の教科書の売り込みに毎日多忙であった。そもそも、大学においては、それぞれの先生方が教科書を自由に決めることが出来、中には教科書を使用せず、数冊の参考書しか指定しない先生もいた。

そして、もっとも教科書の売れる四月の新学期は、すでに学校指定の生協せいきょう(生活協同組合)なり出入りの書店から出版社に注文を出しており、実際に先生方が使用する教科書を決めるのは、前年の十一月から翌年の二月に掛けての注文が最も多く、せいぜい三月上旬までが学事セールスの勝負であった。

 何とか、新設の学事課の成績を上げるべく、塚本と松宮は毎日重い鞄をもって必死に大学廻りをした。お陰で、出版部に新設した最初の新学期は、かつて営業部の書店・取次担当者が一月・二月の短期間に大学廻りをして販売した教科書採用の売上数字を大きく上回る見通しが立ってきた。


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