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僕が編集者になれる日は?  作者: 松元 司
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学事出張の最終日/編集会議

第十一話 


昭和四十三年十二月二十日金曜日、朝から快晴である。五日間の学事出張も今日で最後である。本日は、敬文館にとって関西地区の中でも唯一と言える、昔から著者との関係が深い関西を代表する名門の神戸大学へ、塚本と松宮の二人で行く予定が組まれていた。

 二人は、大阪駅から山陽本線の快速に乗って、神戸大学の最寄り駅【六甲道ろっこうみち駅】へ向かった。二人が六甲道駅に降りると、六甲山への登山道入り口となる六甲ケーブル行きのバスの発着場所でもあるためか、大きなリックを背にした登山客を何人か見ることが出来た。

 【六甲山ろっこうさん】は、大小の山を含む六甲山系を指し、東西数十キロにわたり、山域は神戸市、芦屋あしや市、西宮にしのみや市、宝塚たからづか市に属し、地元では最高峰を【六甲最高峰ろっこうさいこうほう】と称する標高九百三十メートルの兵庫県民自慢の名山めいざん名所めいしょである。

「このバスは、神大しんだい経由の鶴甲つるかぶと団地行きです。」

 神戸大学のことを、ここ神戸では【神大】を【しんだい】と呼んでいた。先月、松宮が学事で行った神奈川県にある神奈川大学かながわだいがくを地元では【神大】を【じんだい】と呼んでいるが、ところ変われば呼び方も異なることを松宮は知った。

 二人は、バスに乗ること、およそ十分で【神大文理農学部しんだいぶんりのうがくぶ前】にバスは着いた。目の前のかなり傾斜のある階段を上ると正面に神戸大学本館とおぼしき立派な建物が見えた。

松宮が建物の入り口に居た学生に聞くと、ここは確かに本館で、二人が本日約束をしていた溝田一雄みぞたかずお教授からは、本館のロビーで待つように言われていた。約束の午前十時より二十分早く着いた。

「課長は、溝田先生とはお会いしたことがありますか?」

「いや、初めてだよ。しかし、今や日本の会計学者の中でも原価計算・管理会計では、第一人者だと言うことだよ。ただし、神戸大学出身の教授が多いい中でも、明治大学出身と言うことで異色の存在だと言うことを聞いている。何でも山本勝治やまもとかつじ先生が引っ張って来たと言う話だけど・・・。」

「え、山本勝治先生と言うと、西の大御所おおごしょの【山本天皇やまもとてんのう】のお墨付きですか?」

 松宮は、会計学界の勢力図として、全国を東西に分けると、東の大御所が東京大学出身で横浜国立大学の黒川清くろかわきよし教授が【黒川天皇くろかわてんのう】と呼ばれており、西の大御所が神戸大学の山本勝治教授で【山本天皇】であることを聞いていた。

 【黒川天皇】こと黒川清教授は、現在六十六歳で、日本会計研究学会会長と企業会計審議会会長という重職じゅうしょくに着かれ、代表的名著として『近代会計学講話』を執筆されている。

 一方の【山本天皇】こと山本勝治教授は、現在六十二歳で、昭和二十四年に神戸大学において日本初の経営学部の創設に尽力じんりょくされた平田泰太郎博士の門下生で、四十九歳の時に執筆した『会計学の一般定理いっぱんていり』が会計学の新理論を示した名著として知られている。

「やあ、お待たせしました。敬文館の方ですか、溝田です。」

 恰幅かっぷくの良い穏やかな感じの溝田一雄教授は、二人が待つロビーに急ぎ足で現れた。

「はい、いつもお世話になっております。私は敬文館の出版部学事課の塚本慶次と申します。」「そして、私と一緒に学事を担当している松宮です。」

 塚本は、やや緊張した面持おももちで目の前の溝田教授に松宮を紹介しながら挨拶をした。

「大変お世話になっております。松宮と申します。」

 松宮も塚本とほぼ同時に名刺を出しながら、目の前の溝田教授に頭を下げた。

「実は、九時から隣の会議室で経営学部の教授会が始まっていましてね。もう少ししたら終わると思いますので、終わり次第に声を掛けますから、お二人して会議室にお越しください。その際に皆さんをご紹介します。」

 溝田教授は、途中で抜けたとみえて、急いでロビーから立ち去った。

「私は小葉哲夫こばてつおと申しますが、お待たせしました。どうぞ。」

 しばらくすると、塚本と同年配と思われる穏やかな先生が会議室から出て来て、二人に中へ入るよう案内した。

 塚本と松宮が会議室に入ると、中に十人ほどの先生が【コの字型じがた】に置かれたテーブルを前にして立っていた。壁を背にした正面に溝田教授が二人を見て、

「さあ、敬文館の塚本さんと松宮さん、どうぞ。早速ですが、皆さんをご紹介しましょう。」

 塚本と松宮は、二人並んで溝田教授の右隣の先生から順々に名刺を手渡しながら挨拶をした。

「え、本日は、皆さんが集まる教授会の開催日と言うことで、かねてよりお話しの来年秋に敬文館より発行予定となっております『近代経営学・会計学辞典』の出版進行について、先生方と敬文館さんとお打ち合わせをしたいと思い、少々お時間を頂戴ちょうだいした次第です。」

 溝田教授は、入り口側の席に座っている塚本と松宮を見ながら、会議室に居る先生方に目を向けて話した。

「どうでしょうか、敬文館さんの方で、最初に何かご説明はありますか?」

「はい、私共は、正直申しますと、名刺に出版部と有りますが、教科書の販売セールスが担当でして、編集担当ではありません。したがいまして、専門的なことは分かりません。」「ただし、今回私共が出張でこちらの神戸大学にお邪魔させていただきますにあたって、出版部長の中田より『近代経営学・会計学辞典』の出版進行に関する先生方へのお願いを使つかってまいりましたので、そのことをお話ししたいと思います。」

 塚本は、学事出張の数日前に出版部長の中田から、神戸大学の先生方にお渡しする資料として、【『近代経営学・会計学辞典』の出版に関するお願い】を預かっていた。

塚本は、鞄から資料のコピーを十部ほど出して、松宮に溝田教授と同席されている先生方の席までお持ちするよう指示した。

「溝田先生ならびにご同席の先生方、松宮がお手元にお配りいたしました資料をご覧頂きながら、恐れ入りますが、弊社のお願いを簡単にご説明いたします。」

「分かりました。それではお願いいたします。」

 溝田教授は、資料に目を通しながら、塚本の方を見てうなづいた。

 塚本の資料に関する説明は、三十分ほどで終わった。資料の内容は、企画当初の編集方針および執筆依頼要項と基本的には同じで、大きく異なったと言えば、【原稿締め切り日】の項目が原稿仕上がりの遅れを考慮して、一カ月早めたと言うことであった。

もっとも、溝田教授を初めとして、同席された先生方は、全員が編集委員であり、執筆者でもあったので、締め切り日が繰り上がったことには、かなりの難色を示したものの、最終的には、【責任編集者】の溝田教授の【皆さん、よろしくお願いします】の一言ひとことで納得することとなった。

 結局、昼の食事をはさんで先生方との打ち合わせ会議は、午後四時頃まで続いた。

「塚本さんと松宮さん、私は予定があるので同席はできませんが、木葉こば君に案内させますので、【六甲道駅】近くの海鮮料理の店を予約しておりますので、先生方と食事をして行ってください。」

 溝田教授は、塚本と松宮にニコッと笑って、【ご苦労様でした】とねぎらいの言葉を掛けて、自家用車で先に帰って行った。溝田教授と同年代の市川季一いちかわきいち教授と谷川長たにかわひさし教授も食事会を欠席すると言い、塚本と松宮はお二人を正面玄関で見送った。


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