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僕が編集者になれる日は?  作者: 松元 司
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社会人への第一歩

第一話 


 昭和四十二年十一月一日水曜日、この時期としては晴れて暖かかった昨日とは打って変わって、月が替わった今日は朝から曇り空で肌寒かった。

 松宮隼まつみやはやとは、日本大学法学部の岩橋肇いわはしはじめ教授の推薦で全国紙の大手である毎日新聞社の新聞記者になることがほぼ決まっていた。岩橋教授からは、松宮の新聞記者として必要な【探求心】と【洞察力】が評価されるとともに、持ち前の粘り強く、社交的な性格をも見抜いて、岩橋教授が長年勤めた毎日新聞社の記者を勧められた。

 松宮は、新聞記者の見習いとして、卒業の一年前から一年間、東京・竹橋【パレスサイドビル】にある毎日新聞社調査部で学生アルバイトをした。その間、社会部、政治部、整理部など新聞社の様子を多少知ることが出来た。後は、翌年の春卒業したら勤務地は分からないが、地方支局にて地元の警察署・官庁など公共の場所から民間施設などを回り、取材して記事を書くのである。

 しかし、松宮の気持ちに迷いがあった。それは、松宮自身も漠然としていたが、果たして新聞記者になることで、松宮が幼い頃から持ち続けていた〖モノを創り出す〗という仕事に携わりたいという気持ちを満足できるのかという焦りのようなものがあり、松宮は、岩橋教授の了解を得て、出版社での編集者になることへの挑戦も試みていた。

 しかし、現実は厳しく、昨年春から二十社を超える出版社の就職試験を受けた。中には、手応えを感じる会社も無くはなかったが、結局のところ、すべてお決まりの【今回は、誠に申し訳ございません】という不合格通知が届くばかりであった。

 松宮は、家業を継ぐなど特別の事情のない者以外は、岩橋教授ゼミナールの仲間二十人がほぼ就職先を決めている中で、松宮も毎日新聞社の記者になることを心に決めつつ、朝食を取りながら何気なにげに毎日新聞の求人欄に【敬文館、社員募集、若干名】の広告を見つけた。募集広告には、履歴書と審査書類として指定されている〖入社志望理由〗の二百字詰め原稿用紙二枚以内を十一月十日金曜日までに提出期限とされており、あわてて自宅近くの小川町おがわまち郵便局に速達郵便で送った。

 昭和四十二年十一月七日火曜日、三日振りの快晴である。この時期としては暖かかった。松宮は、先日送った求人応募の書類審査のことが気にかかっていた。母親に、

「ちょっと、【神楽坂かぐらざか】の【相馬屋そうまや】まで行ってくるね。」

「あら、原稿用紙なら先日、買ったじゃない。」

「うん、大学ノートが必要なので、それと毘沙門びしゃもんさんへも行きたいから・・・。」

「あら。今日は【の日】じゃないでしょ?」

 松宮の母親は、牛込うしごめ神楽坂の【毘沙門天びしゃもんてん善國寺ぜんこくじ】で行われる、毎月「五」の付く五日、十五日、二十五日に開催される【縁日えんにち】を楽しみにしている。この【毘沙門天の縁日】は、都内で最初の縁日と言われて、夏目漱石の『坊っちゃん』にもこの縁日のエピソードが書かれている。

 また、文禄四年(1595年)創設の毘沙門天・善國寺の斜向はすむかいにある【相馬屋】は、江戸時代から創業の文房具屋で、尾崎紅葉おざきこうようの助言で作ったのが始まりと言われている【相馬屋製】の原稿用紙が有名で、夏目漱石なつめそうせき北原白秋きたはらはくしゅう石川啄木いしかわたくぼく坪内逍遥つぼうちしょうようと言った文豪たち愛用の原稿用紙を作っていた。松宮は、中学生から社会人になる現在まで、この地に住んでおり、牛込神楽坂は馴染みの街である。もともと、母方の祖父が若かりし頃、牛込に所帯を持ち住んでいたこともあり、松宮にもえんがあるのであろう。

 松宮は、相馬屋で大学ノートを二冊買い、その後で、毘沙門天にお参りをして、昼前に家に着いた。家を出る時とは違って、何処どこか吹っ切れた気持ちで玄関のドアを開けた。

「ただいま、今日は、平日だから人通りが少なかったよ。」

「あら、今、郵便局の人が隼宛てに速達を持って来たわよ。就職試験の結果じゃないの?」

「ああ、有難う。多分、駄目だろうけどね。」

 松宮は諦めながらも急いで裏面を見た。〖書類選考の結果、重役による面接試験を十一月二十日月曜日午前十時に行います〗と第一次がパスした知らせであった。

 昭和四十二年十一月二十五日土曜日、朝から快晴で、昼前に松宮の手もとに【合格通知】の速達郵便が配達された。松宮は、重役面接の二十日のことを振り返り、その日は朝から本降りの雨であった。家を出る前は、【これがラストチャンスかも】と今までにない緊張感を感じていたものの、いざ面接が始まると半分開き直っていて、不思議と今までになく、自然に話せたことを覚えている。

 ところが、あれほど待っていた【合格通知】のハガキを手にした松宮は、予想していたような感激の思いよりも、【意外と呆気あっけないものだな】【やっとか、随分ずいぶんと出版会社を受験したな】といった自分自身をねぎらうような気持ちが込み上げてくるだけであった。

 それでも、しばらくすると松宮は、わざわざ家の黒電話を使わず、自宅近くの公衆電話ボックスから大学のゼミ仲間数人に喜びの電話を掛けまくった。

 松宮は、〖てる神あれば ひろう神あり〗だと、つくづく思った。何れにしろ、出版社への就職を執拗に希望していた松宮隼二十一歳は、どうにか出版社の就職が極めて厳しいと言われた時代に、老舗しにせ中の老舗とも言える明治二十九年創業の法律・経済・商業関係の専門出版社である敬文館けいぶんかんに念願がかなって入社することが出来たのである。

 昭和四十三年三月二十七日水曜日、今日は、松宮の二十二回目の誕生日である。日中も気温十度しかなく、朝から冷たい雨である。昼には上がる予報であるが、何れにしても出掛ける予定も無いし、どちらでも良かった。松宮は、【さて、いよいよ月曜日からだな】と洗面所の小窓から空を見上げて、鏡に映った自分の髪が伸びていることに気が付き、

「母さん、これから散髪屋に行ってくるから。」

「隼、散髪なら、神楽坂の三国みくに理髪店が良いわよ。」

「いいよ、家の近くの井上理髪店で・・・。」

 松宮の母親は、以前から、自分が見つけてきた、夫や次男が行っている神楽坂の三国理髪店を松宮にも薦めていた。松宮は、【髪の毛なんて、どうせ何処どこで切っても変わりがない】と、独りだけ何時も近くの井上理髪店にしていた。

 井上理髪店では、松宮に店主が、

「私はね、【小笠原諸島の父島ちちじま】出身ですけど、どうなりますかね。」

 この年、新聞、テレビでは、【米国、小笠原返還を承認】のニュースが、連日のように報道されていた。

「そうですね、一月に現地調査をしていますから、間違いないでしょう。おそらく、報道されているとおり、六月に小笠原諸島は米国から返還されるようですよ。」

 松宮は、店主が父島の出身であることを、以前から聞いていた。昨日の【毎日新聞】によると、六月末までには、アメリカ海軍司令部で小笠原諸島の日本への返還式が予定されているとのことを知っていた。

「そうですか、向こうには、親戚も結構居ましてね。これで私も行き来できますよ。」

「ところで、今日は、松宮さん、何か嬉しそうですね。」

「はい、来月一日から初出勤ですので・・・。」

「え、もう社会人におりですか。早いものですね。」

 中学生の頃から来ているのに、店主が鏡に映った松宮の顔を見ながら今更ながら驚いているので、松宮は思わず可笑おかしくなった。

 松宮は、井上理髪店で店主がってくれて短くなった頭を触りながら、自分の部屋に入って椅子に座り、【とにかく、精一杯せいいっぱい努力するだけだな】と心に決めて、買ってきた大学ノートの一頁目に、会社勤めの自分の目標を書きしるした。


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