表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
若隠居長太郎と幻の新田  作者: 武良 保紀
2/3

連載第二回

   四章 長太郎、戦略する

 元手が出来ましてから、長太郎、これの活かし方をまず考えます。

(まずは、これを使うて、入りますという態度を見せんとしょうがないかな)

 傳次郎から毎月決めの小遣いが出る日を待ちまして、そのお金を持っていつもの古手屋に行って職人風の風体に服装を改めます。住むところがはっきりせんというのんは具合が悪い。なるべく安い裏長屋を見つけまして、そこの家主さんに話をします。

「ひと月か、ふた月か、まあいずれにせよあんまり長いことお借りはしませんのやが、貸してもらえませんかな」

 家主さんも怪体な人やなと思わんことはないんですが、そらまあ空屋にして遊ばしておくよりはということで借る約束がでけました。

 家財道具や何かはちょっと良えものをひととおり損料屋で借りまして、人間ひとり住んでるなあと言うような体裁ができあがります。損料屋というのはもの貸し屋でございます。今から考えますと想像もでけんぐらい、いろんなもんを貸してたんやそうです。損料屋使えば男やもめの所帯道具ぐらいは簡単に体裁が整うたようでございます。

(この三十両を効かして、何とか上手いこと立ち回りたいもんやが……)

 というわけで、先だっての座元のところへ参ります。

「おや、これは先日お越しになった職人さんやおまへんか。これ子ども。お茶とおざぶをお持ちしなはれ。たばこ入れはお持ちでないようですが、たばこ盆のご用意はいかが致しましょう」

「ああ、結構でやす、たばこてな腹の膨れるもんやなし、私は無駄やと思てますので、吸わしませんのでな。ところで今日は話によっては頼母子に入れて貰おうと思いまして、このとおり三十両持ってきたんでやすが、もうちぃと詳しい話をお伺いしてよろしか」

「へえへえ、どんなことでございましょう」

「まず、これまでに集まったお金はいかほどにおなりで」

「まあ、およそ三万両ということになりますが」

「そらまたえらいもんでんなあ。そうすると、およそ千人からお集めということになりますか」

「口数で言えばそう言うことになりますが、お一人様で何口かお入りの方もいらっしゃいますので、数で言えば八百あまりということになりますが」

「何せお金のことですんでな。わたいも損はしとないんだ。帳面見せてもらうわけにはいきませんやろかな」

「さすがにちょっとそれは、そればかりはご勘弁を」

「でけんとおっしゃるか」

「私どもにもお金を増やす秘訣というものがございますのでな。それが店の外に出てしまうというのは、やっぱり困ります」

(もっともらしい理由つけてるが、実はほとんど無うなってしもた、と言うことも考えられんことはないな……)

「ほなら、せめてここの主さんに会わせておくなはれ。あんたはここの番頭さんですな。いやいや、これだけの店の番頭さんならご如才もあろまいが、やはり主さんにいっぺんご挨拶しておきたい。お願いでけまへんか」

「そうですか。まあしょうがおまへんな。ただいま呼んできますのでお待ちを」

 そう言うて待つことしばし。中から出てまいりましたのは、とてものことにそんな大きな商いが出来そうにないような、初老のしょぼくれた男でございました。

「これが当家相馬屋の主、倫太郎にございます」

「お世話になっております。倫太郎と申します」

 倫太郎が挨拶をする前に、番頭が倫太郎の背中をひとつぽんと叩いたのを、長太郎は見逃しませんでした。こら操り人形丸出しや。

「さよかぁ。わざわざ出てきて貰ろて相済みませんでしたな。店主様とお目通りがかなえばこちらとしては結構で」

「それなら私はこれで」

 倫太郎、逃げるように店の奥に戻ります。

「どうです。お入りになりますか」

 番頭がまた誘いをかけますが、長太郎はここで三十両払ろてしもたら手元がなくなる。迷いましたが、仲間内に入らんことには探りも入れにくい。結局入ることに致します。

「まあ、主さんにまで出てきてもうたんやさかい、入らせて貰いますけどな。何とか上手いこと儲け上げとくなはれや」

 そう言うて入る手続きをして帰って参りますが。

(どう考えてもあの帳面をいっぺん見てからでないと動きが取れん。今いくら残ってるか、それだけでも知れればあとは動きが取れる。木曾屋の件みたいに帳面を長々読み込む必要はないんやが……)

「また一芝居打つかな」

 ひとことつぶやきます。


 何日か後、長太郎は手代のお仕着せを着込みまして、紙袋にひと包み、火消し壺から灰と炭の粉を持って相馬屋の裏手までやって参ります。裏口に誰も居らんことを確認しまして、影に隠れたところで炭の粉を体中にばたばたと叩きます。それが済みますというとあらん限りの声で叫ぶ。

「火事や~~~~~~~~~~!」

 いっぺんに周りの人が集まります。おそらく、相馬屋の中の人間も裏に集まっているやろう。人が集まった頃合いでころこんで出て参りまして、

「お、お、お役人さん呼んできます」

 そう言うと立ち去ってしまう。そして相馬屋の表へ回りますとやはり店には誰もおらん。すっと入ってみますと帳面がそのなりになってある。開いてみますと。

(二百両……)

 どうやら、これは大騒動に出来そうでございます。


 それから長太郎は店へ戻って考えます。

(三万両集めて残りが二百両。なんぼかはあの見せるための田んぼ作るために使うた分もあるんやろうが、大方はもう他所へ移してしもうているに違いない。それだけの銭大坂の外へ持ち出すには手間がかかりすぎるさかい、いくつかに分けて隠してあるんやろう。まずは、それを一手に集めることから始まりやな)

次の日から長太郎、話聞かせて貰ろた新田講に入った人のところを回ります。

「こんにちは。お世話になっております」

「ああ、山紀屋さんと仰いましたかな。新田講の話を聞きに来なはった」

「ええ、その節はお世話になりました」

「それで、その後はどうしはりました」

「ええ、私も悪口触れて回るようなことはしとないんですが、お金のこってっさかい、お世話になった方にはお知らせしとおいた方が良えと思いまして、回ってまんのですが」

「何です、何やものの仰り方が穏やかではございませんな。何かございましたか」

「あの新田講ですが、これまで大体三万両ほど集めはったらしいんですな。そやけど、今あそこに残っているのは二百両内外らしいんです。私も人伝で聞きましたので、ほんまか嘘かは知らんのですが、ひょっともしほんまやとしたら、こらえらいことやと思いましてな。またもしかしたらほんまのところをご存じの方も居てはるかということもあるんで、こんなことしてますのですがな」

「何ですて、三万両集めといて残りが二百両。大方ないようになってしもてるということでっしゃないか。ほなら配当はどうやって出してるんでしょうな」

「さぁ、私にもわかりませんが、悪い方へ考えりゃ、新しく入った人の銭を古い人に回しているだけ、てなことも、考えられんことはおまへんな」

「それはえらいことですなあ」

 この調子で、実態はほとんど銭は残ってないらしいという話を触れて回ります。元々が口伝えで噂が噂を呼んで大きなったもんでっさかい、十日も過ぎますというと、銭を集めるだけ集めておいてほとんど残ってないらしい、という話が噂になるようになりました。

「これは、いっぺんみな集まって講元に話聞くことにせな、得心がいきませんな」

 長太郎の思うたとおりにこういう話の流れになります。とうとう、あるお寺の本堂を借りまして、話を聞かせというところまでになりました。一番前に立たされますのが、かわいそうにあの気の弱そうな倫太郎。

「二百両しか残ってないというのはほんまなんか」

「これだけ集めておいて二百両しか残ってないというのはどういうわけや」

 倫太郎も圧されてしもてもう泣きそうな顔をしています。

「みなさま、ご安心下さい」

 横からそう言うてすっと前へ出ましたのが、これまで顔も見たことのないような男。なかなかに自信が(みなぎ)った態度に見えまして、何言うても納得してしまいそうな、そんな男でございます。

「お預かりしたお金は、あちこちに分けております。ひとつには、あまりひと所に集めておきますと盗賊や火事に遭うたときにすべて無うなってしまいますのでこれを防ぐため。もうひとつには新田のみならずいろんな口にお金を使うて儲ける算段した方が確かなためです。新田の他にどうやってお金を増やしているか、それは今はお話でけませんが、決して皆様に損は出さしません。どうぞご安心のほどを」

 この男の自信に溢れる語り口で、何となくその場は収まってしまいました。

「私は看板上げて商売はしておりませんが、いろんな方の大事な財産をお預かりして殖やしております。どうぞご安心を。私は北浜通堺筋に住んでおります丸谷史郎と申します。何かご不審な点ございましたら、いついかなる時もおたずねいただきますればお答えを致します」

 ここまで言われたらそれ以上突っ込もうという気を持っておった人も、ほとんどの人が何となしに納得してしまいますな。ただひとり、納得しとらんのが一番後ろでじーっと見ておりました長太郎でございます。


 店へ帰って、長太郎、ひとり考え事をしておりました。

(銭を思うとおりに動かしているのはおそらくあの丸谷史郎とかいう男やろう。あの男を掴めば後がだいぶ楽になることは間違いなかろうが、その信用をどうやって得たものか。ああいう男じゃ、まとまった銭を見せれば話は早いが、それだけの金を与力様に貸して下さいとも言えず……)

 何とはなしに、碁盤に碁石を並べて詰め碁を解きはじめます。ついつい見てしまうのがウッテガエシの手の辺り、つまらんもんでも餌になるものを見せんと、相手も食いついては来るまい。何か良え餌はないかいな。

「ご隠居はん。ご隠居はん」

「何じゃ、熊五郎かいな。大きな声を出してどないしたんや」

「大きな声て、さいぜんから呼んでるのに碁盤見たまま動かんさかい、しょうがなしに大きな声出しましたんや。しっかりしとくなはれ」

「ああ、そうか。ぜんぜん気付かなんだが……なんぞあるのかえ」

「旦さんから、そろそろ雨の時期も近いさかい、(とゆ)をしかえてくれ言われてまんねん。少々音がしますけど、辛抱しとくなはれや」

「ああ、もうそんな時期かいなあ。まあ、せいだい長もちするようにようにやっとおくれ」

 そんなわけで熊五郎の仕事がとんてんかんとんてんかんと始まるわけでございますが。

「熊五郎、おまはんのその職人仕事、見てても良えかいな」

「そら見るくらいなら、なんぼでも見ててもうてかまいまへんが」

 熊五郎もこんな作業慣れておりますので、手際良うに進めて参りますな。まずは今ついてる樋を全部外すことから始めます。

「樋てなもん気ぃつけて見たこともなかったが、外すとなったらこんだけの嵩があるもんなんやな」

「そらそうだっせご隠居はん。この家の上に振る雨を全部この中に流し込もうと言うのやさかいな。赤銅(あか)もそこそこ使てまっせ」

「はあ、そんなもんかなあ。ほたらまた、新しい赤銅を持ってくるのやな」

「そういうことになりますかな」

 そう言うてぼんやりと赤銅を眺めておりました長太郎、ここでふと気がつきます。

「おまはん、それだけの仕事して、包み隠さず言うたところなんぼの金になるんや」

「そうでんなあ。赤銅の代金は別に旦さんから貰ろてますが、これだけのご大家で日に一朱でやすわ。それにこの古い赤銅は貰えますさかいに、それを地金屋に売ってその銭は貰える事になってますけどな」

「こんだけの古い赤銅、売ってなんぼになる」

「そうやなあ。表側はこんだけまだぴかぴか光ってますが、内側はこのとおり緑青吹いて真っ青や。この家一軒分でまあ二十五文、三十文が危のおまっしゃろなあ」

「そんな家に、何軒も出入りしてるんやろ」

「そうです。わたいが出入りしてる家で十軒ほど、わたいもこう見えて若い者の面倒も見てまんのやが、皆寄せて二十七、八軒でっしゃろかな」

「それだけ寄ったら、古い赤銅もかなりの量になるやろな」

「まあ、そこそこの量にはなりますわ」

「どうや、その古い赤銅、一軒分五十文で儂に売る気はないか」

「へ」

 熊五郎が思わず手を止めて長太郎を見やります。

「何に使いはるんです」

「それや。そんだけの銭で儂が買い取る代わりに、何に使うかは聞かんこと。儂が買うたことは誰にも言わんこと。それからその赤銅にちょっと仕事をして欲しいねん」

「仕事て何だんねん」

「その赤銅をな。光ってる方を上にして、まっすぐに延ばして欲しいねん。それから、決まった大きさに切って欲しい」

「決まった大きさちいますと」

 長太郎、口の端にちょっと含み笑いをして答えます。

「ちょうど十両小判が一枚乗る大きさくらいにな」

 古い話に千両箱というのが出て参ります。あれ中身はと言いますと十両小判が百枚入ってたんやそうですが、この十両小判というのは正式なお金やなかったんやそうでございます。この十両小判を一枚持って行て両替屋に替えて下さいと言うと一両小判十枚に替わった。そういう制度やったそうで。与力様にお願いを致しまして、千両箱を三つ借ります。光ってる方を上にして赤銅の板を箱の中にきっちりと納めます。足らん分は石でもって上げ底をする。そうしますと、重さと言い運んだときのがたんがたんという音と言い、開けたときにふたの裏に写る光の加減と言い、まあほんまもんの千両箱と瓜二つのものができあがります。見せ金はこうしてでけた。これを借りてある長屋の押し入れに詰め込みまして、後は丸谷史郎に近づくだけでございます。


 そのころ、頼母子の座元やその周りの連中は戦々恐々でございました。

「何で我々の残高が二百両やという話が漏れたあるんや!」

 丸谷が声を張り上げます。

「我々より知らん話なんやさかい、我々のどこかから漏れたと考えるより他ないやろう」

 別の男が返します。

「どこから漏れたてな話、今となってはどうでも良えやろう。丸谷、おまはん咄嗟とはいえ上手いこと言うた。看板こそ上げてないが我々が商売してることにして、銭を我々で分け分けにして持ってることは嘘やないのやからな。後は集めるだけ集めて倒すだけやが……少々、思惑より早いこと倒さんならんことになるのかも知れんな」

「今の残りは」

「総計で二万一千両ほどか」

「三割の目減りか。もう少々残したかったとこやが……」

 こうして、倒す話が出かかりました。

「いや、ちょっと待て」

 ひとりの男が口を開きます。

「まだ集める手立てなら、ある」

「何かあるのんか」

 丸谷が訊き返します。

「要は、我々のことを信じさせたら良えんやろ」

「そうや」

「金稼ぎが上手うて人から信用されてる人間つかまえて、相馬屋は安心でけると言わしたら良えんや」

「そんな当てがあるのかいな」

「今はない。そやけど、銭で何とでもするのが我々のやり方やないか」

「ほなら誰を……」


五章 大商人、登場

 大坂は川の街であり、また同時に橋の街でもございました。俗に大坂八百八橋。こう申します。

 ですが、お上が作った橋、公儀橋と申しますが、それは案外少なかったんでございます。他の橋はと言いますと周辺の住人が金を出し合うたり、お金持ちが寄進して出来たりした町人橋。大坂というのは幕府直轄の軍事拠点でございますので、大坂の街を縦横に流れる川というのは、お堀の役目もしていたわけでございます。それが公儀橋の少なかった理由ですな。町人橋というのも、勝手に架けるわけにはいかなんだんです。架けるにも修繕するのにもお上のお許しというのを願わんとあかんかったそうでございます。

 大坂某所。割と良う往来のある町人橋。もう散々に痛んでおりましたがなかなか修繕のお許しが出ませんでして、やっとお許しを取り付け、修繕がなりまして安全祈願で神主さんが呼ばれてお祓いをして、これから通ろうという。こうなるともう、ひとつのお祭りみたいなもんでして、ぜひ渡ってやろうというような連中が大坂中から集まっております。そんな中にもちゃっかりと長太郎、割と良え場所で祝詞を聞いております。

 それが済んだら、この修繕の立役者がご登場でございますな。

「ええ、皆様、おおきにありがとうございます」

 出て参りましたのが年の頃なら五十そこそこ。見るからに大家の旦那という風情のでっぷりと肥えた男でございます。

「皆様のご通行に差し障っておりましたこの橋、長年私も何とかならんもんなんかなあと案じておりましたが、皆様のおかげさまもいただきまして公許を得て、何とか本日の修繕開通にこぎ着けました。誠にありがとうございます。こうして神主様の安全祈願も済みまして、いよいよ安心して渡れることとなりました。これから私も渡らせて貰いますが、皆様もどうぞお渡り下さい。また今後とも、当家駿河屋もご贔屓いただきますよう、合わせてお願い申し上げる次第でございます」

 そう言うて深々と頭を下げますと大歓声。大向こうから「駿河屋」と掛け声がかかろうという。まあこれはどこを取っても文句のつけようのない旦那でございますが、長太郎という人間は根がねじ曲がってまっさかない、こういう立派な人を目にするとどうしても「ああなるほど立派な人やな」と言うて受け取ることがでけん。どっかにケチを付けとなるという性分でございます。

「もうし。ちょっとお尋ねを致しますが」

 隣の人つかまえて話聞き出します。

「あの駿河屋さんという人は、偉い人なんですかな」

「あんた知りまへんのか。そぉら偉い人でっせ。小さい元手から商売興さはって、いまではもう大店中の大店。それでまた使い方が偉いわ。こないして皆の使うものの役に立つようなところにお金を出さはったり、これから商売始めようかという人に融通したりしてまんねん。同じお金持ちでも、値打ちが違いますな」

「はあそうでっか。偉い人だんな。そんでその駿河屋さんというところの、そもそもの商売は何でんねん」

「両替屋さんですわ。そやけど、江戸とのやりとりの手間賃取ってるだけやのうて、並合(なみあい)で借りとうてもものがない商売人やら、その人となりを見極めて、これという人には素銀(すがね)でもぽ~んと貸しまっさかい、それがまたど~んと儲けて返しに来るんだ。これはもう天性の商売人ですな」

「はあ、えらいもんだんなぁ」

 長太郎、曖昧に相槌だけ打っておきます。並合というのはこのころの言葉で、何か担保を取っての金貸し。素銀というのは担保を取らん信用貸しですな。普通の場合素銀というのは低く見られたもんです。そらそうですわ、返ってくるやらどやらわからん金貸すのやさかい、こら一種の博打です。よっぽどの信用のある相手にしか普通は素銀貸しはせなんだ。そう上手いことするすると大店に育つもんやろか。また長太郎の頭の中で罅の入った器がかちんといいました。


 ここしばらく長太郎が何をしてたかと申しますと、ただただ碁盤と向かい合うておりました。詰め碁の本左手に持って。

(頼母子の連中がなんぼか金を持ってて、集めるだけ集めたらこかして逃げようという(はら)なんは、おそらく間違いない。そやけど、あの見せ田を作るやら何やらで何割かは目減りしてるはず。それを取り返して金出した人のところにもって行て「こんだけでも戻ってきてよろしかったやおまへんか。これからは気ぃ付けなあきまへんで」で終わらす、こらもひとつおもろない、何とかならんもんかいなあ……)

 そんなことを考えながら詰碁の本解いております。

(ここの黒先で白が死にやな……死にということをわかってて、何とかならんかとあがいたらどうなる)

 石をぱちぱちぱち……結論としては、死んだ方が無駄に抵抗したら、そこのところの石がひとかたまり、丸々ぽーんと抜かれてしまいます。アゲハマを相手に献上して終わり。そういう状態のことを、そもそも死にというものでございます。碁の方では。

(何にもないところからやさかい、アゲハマを抜いて儲かったということになるが、もう既になんぼか取られてて、それ以上を取り返したいということには、いかんもんかなあ)

 詰め碁の本をぱらぱらとめくっておりまして、長太郎、ふと気がつきます。

(この十五番の詰め碁と、三十七番の詰め碁、端の形が良う似てるなあ。こうくっつけて並べてみたら、ちょっとおもろいかな)

 石をぱちぱちぱち……ここで黒先白死。やけど白は死んでもとことんもがいてみますというと、ふたつの詰め碁で白がひとかたまり。そこにぽーんと黒をアテてやると、白がごそっと抜かれてしまいます。

(なるほど、どっかから持ってきてつなげてしもて、それごと抜いてしもたら仰山当たれるな)

 例のにやりとした笑いを浮かべて、喉の奥でくくくと長太郎は笑います。こういうことが長太郎にとっては面白うてかなわんという。それ以来、長太郎は大坂の街を歩き回って「もうひとつの詰め碁」を探していたわけでございます。この駿河屋、使えんか。


 それ以来、長太郎は毎日身なりを変えて駿河屋の周りをそれとなく見回ります。そうすると何や、おかしい。襟垢ついて首回りは真っ黒け、着物は方々破れておりまして、帯は元々織物であったんやろうなぁという痕跡が所々残っているというような、見るからに暮らしに困ってはる人が、駿河屋に来ては追い立てられるように店から出て行きます。

「もうし。つかんことをお尋ね致しますが」

 そんな中からひとりつかまえて長太郎、声をかけます。

「失礼ながら、日々の暮らしにもお困りのようなお方とお見受け致します。そのようなお方が、こんな大店にどんなご用事でお越しですかな」

 その人もすぐには長太郎の問いかけには答えませんな。お金というのは恐ろしいもので、ないときには世間の人間が皆鬼みたいに見える。ここで下手に駿河屋の悪口でも言おうもんなら、この男が駿河屋の差し金で、その受け答えに難癖つけてまたどんな目に遭わされるやわからん、てなことを、考えてはるんやろうなあと長太郎、推量致します。

「怪しいとお思いなんはごもっとも。実は私、あの駿河屋という店、少々怪しいと思とおります。それであの店を探っているわけでございます。もしあの店に何か困らされておいでなら、お話をお聞かせ願いたいと思いますのやが」

「そう言われてすぐにはいとは言われんわ……大体、あんた誰や」

「申し訳ない、それだけは明かすわけに行きませんので」

「駿河屋の手の者やないていう証でもあるのんか」

「まあ、あっさり言いますと、そのようなものはございませんな。そやけど、あんた、そうやって誰も彼もが駿河屋の回し者やないかと疑うて、皆敵に回して、その暮らしが、いまのどん底のその暮らしが少しでも増しになりなさるか。いずれ何かの手は打たんなりませんやろ。どうです。それが今じゃと思うて、私に駿河屋の話、聞かしてみようという気にはなりなさらんか」

 そのしばらく後には、長太郎、その男の住まいする裏長屋に居りました。三月裏、八月裏、釜ひとつ裏、貧乏長屋を言うのにもいろんな言葉がございますが、それを皆寄せたような裏長屋。そんな長屋の中に、その男の住まいがございます。まあ見事に何にもない。破れて綿の飛び出た布団の一枚もあるかと思いきや、それもない。中綿の値段で売ってしもたんやろか。当然枕もございませんな。その下に敷いてあるはずの畳、これもない。この人板の上に直に寝たはるんやろか。置いてあるのは火鉢やけど、これももうばらばらに割れたあるのを針金で何とかもたしてるだけ。その上に乗ってる茶瓶には蓋が無うて口が欠けてる。おまけに柄は取れかけてるという、およそこれだけでございます。

「俺の名前は松七。名前からわかるやろけど、昔はそこそこの米屋で奉公人しとった。手代まで行たんや」

 男が語り出します。

「やけどある日、旦さんが話があるておっしゃって呼ばれて、どうも米屋は向いてないな、小商いでもしたらどうや、言われたんや。要は足が上がったんや。あの身代が傾きかけてたんか、儂を片付けたかっただけなんか、それはわからん。今から考えりゃ、身代が傾きかけてたから人減らしで儂に暇が出たんかもしれんな。向こうの旦那から見たら、儂は奉公人の中でも要らん方やったんやろ。やけど小商いでもしたらどうやと言われたということは、儂も大店興すほどではないにしてもそこそこ商売でけるんと違うか、そう思てしもたんが間違いの始まりや」

(おおこ)を肩に当てるところから始めなはった、てなところですかな」

「そや。売れるもんは何でも売ったわ。そやけど担ぎの商いで生きていこうと思たら大概やないわ。大店の軒に入れて貰ろてた有り難みにそこで始めて気付いたわ。じきに仕入れの金にも不自由する羽目になった。そこで朸やめて、(いかき)(かた)げて紙屑屋でもやったらよかったんやがな。それやったら笊より他に元が要らんわ。やけど、そこまでは落ちたないと突っ張ってしもた。ほいで駿河屋から金借りたんや」

「なんぼほど」

「三両や。そやけど、仕入れの銭にするどころの話やないわ。何も食わんと生きていくわけにいかんのやさかい、じきに食う方の銭に回るわ。それで歩だけ膨らんでな。そうしたらあの駿河屋、えげつない取り立てや。これでも小商い始めたころに嬶のひとりも持ったんやが、このままやったら嬶も売られてしまうやろ、そう思て慌てて郷里(さと)へ去なした」

「歩はどんだけや」

「年に二割五分。そやけどどうしても歩に持って行かれてしまう。儂にもわからん」

「証文ぐらい交わさはったやろ。それ、今あるか」

 松七、何にも入ってない押し入れの襖を開けたら、その隅に畳んだ紙が何枚か放り込まれておりました。

「こないあるんやな」

「借る度に増えるさかいな」

高歩貸(たかぶがし)にはお上から禁令が出てるのはご存知やろ。お上にご相談しようとは思わなんだんか」

「そらもちろんしたわ。そやけど、年二割五分では禁令の出てる高歩貸には当たらんと言うて、取り合うて貰えなんだ」

(こら、この証文が臭うな)

 そう長太郎、見当をつけます。

「この証文、皆借りてよろしいか」

「そら構わんけど、何に……いや、聞かん方が良えな。良えようにしてくれ」

「ほな、お借りします。あんたみたいな人が、あの駿河屋からは銭借りてて、そんな人が仰山いるんやな」

「多いらしい。けど、儂もどれくらいいるのかはわからんわ。儂は商いしくじったところから始まってるのやさかい己が悪いんやけど、あの駿河屋は返せる見込みのない病人みたいな人にも貸してるらしいで」

「そうか。ほなまあ、この証文ちょっと読まして貰います。読み終わったら返しに来ますで、くれぐれもこのことは駿河屋には仰らんように。お気を付けなはれ。自棄(やけ)になったらあかんで」


 こうして隠居小屋へ帰って長太郎、この証文を読みます。

 このころのお金の勘定の仕方をお話ししとかんなりまへん。一番上の単位が両。これをひたすら四で割れるようにお金の勘定は決まっておりました。一両が四分。一分が四朱。一朱は四百文なんですが、ここでちょっと変わったことをしておりました。百文というのが一文銭を重ねて真ん中の穴に紐を通して、一本の棒のようにしたものでございますが、実はこれが九十六枚しかございません。九十六文を以て百文としたもので、棒にしたひと束を「ころり」なんて呼んだりも致しました。九十六、これはまた四で割れます。二十四。これをまた四で割ると六。これが最小単位ですな。うどんの銭が二八の十六やとか、皆これ四で割れる数です。この他に補助貨幣もいくつかございます。有名なところでは天保銭、四十枚集めると一両になったという、これもやっぱり四で割れる数ですな。

 このころの金貸しというのは普通月なんぼで歩、つまり利子を取りました。高歩貸、江戸では高利貸と申しましたが、これは三割以上であったそうでございます。十両貸して月あたり一分の歩を取る、こうすると一年十二ヶ月で十二分、つまり三両すなわち三割ということになるわけです。ここから上が高歩貸ということになって、その金利によって手鎖百日から遠島まで罪になったそうですが。

(こら、ひどいな)

 長太郎、証文を見ながら考えます。

 この駿河屋の貸金は一年の期間で貸し付けておりました。たとえ明日金策がついて返せるようになっても、一年は借りたことにして歩を払わんならん。押し売りやのうて、押し貸しですな。松七の最初の三両、一年で二割五分の歩がつきますので返さんならんのは元の三両と歩の三分。月あたりにするとちょうど一分の元金と一朱の歩になります。そやけども元の三両、月一分づつ元を返していくことになりますが、歩の元の金が減っていくのやさかい、歩も減らんとおかしい。しかし始めに一年と期限を切っておりますのでそれで勘定した歩は変わらんとしたある。最後のひと月には一分の銭に対して一朱の歩を払ろてることになります。ひと月で二割五分。最後のひと月だけの歩を年に延べれば歩だけで元金の三倍からの分を払うことになる。これでは歩を払うだけで火の車は目に見えております。

(お役人てな、こんな性質の悪いごまかしも良う見抜かんのか……気楽なもんや)

 お茶を一口啜ったら、長太郎の肚は決まります。

(このアゲハマ、儂が貰う)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ