第02話 大樹国家ウォーディアン・後編
* * *
「「「宝石強盗!?」」」
アステルたち四人は、全員一斉に驚きの声を上げていた。
現在アステルたちがいる場所は『星の大樹』から直線距離で一・五キロほど離れた地区にある、市内のメインストリート近くの商店街であった。ブルーマと同じような石で舗装された円形の広場の周囲に、多くの商売用テントと一本のサロマニア杉が立っている。ただし樹の内部に入っているのはブルーマと違って教会ではなく、多数の商店テナントだ。
そしてそのテナントのひとつでもある一階部分の宝石店が、強盗によって今現在占領されているらしいというのが、ディアスとマナスの説明であった。
実際、目の前のサロマニア杉には通信石から見たように、広場中の人々の注目が集まっていた。見上げたり、指差したりしながらざわめく群衆の姿は余計に不安を煽り立てる。
説明を続けるディアスとマナスの二人も、かなり深刻そうな表情であった。
「うむ、なんでも『牙の強盗団』とか名乗っている連中でな。しかも、奴らの言葉を信じるならば、街の何処かにバシリスクを放っているらしいのだ」
「バシリスクって何?」
不安げに問うたミーシャの言葉に対し、アステルは簡潔に答えた。
「ひとことで言えば、馬鹿でかい蛇の化け物だよ」
バシリスク。それはヴァース生態系における、高位の捕食者である。
平均的な体格でも胴の直径は一メートル、体長は二十メートルに達するとされ、密林などに生息してはその悪夢のごとき巨体で、ありとあらゆる生物を襲い喰らってしまう。
加えて、どの個体も生まれつき眼球の裏側に天梵文字とよく似た模様を持つため、それを介して擬似的ながらも魔術を行使し、そのふたつの眼から強力な破壊光線を発射することが可能なのだ。
本来の視覚機能をほぼ犠牲にしながらも、その能力と巨体を駆使することでバシリスクは恐るべき破壊者たりえている。同種が出会うと雌雄を問わずたちまち殺し合いが始まるため、絶対的に繁殖力が弱いのがせめてもの救いである。
そんな脅威の怪物を、『牙の強盗団』とやらは街に放ったというのである。嘘でなければ、まことに恐ろしいと言う外なかった。
「ハッタリかどうか分からない以上、君たちだけで街中をうろつかせるのは危険だと思ったのでね。連絡して、我々の下に来てもらったという訳だよ」
なるほど、言われてみれば確かに広場にくるまでの間、あちこちで慌てた様子の警官たちとすれ違った気がする。きっとあれは、バシリスクがいないか探して回っていたのだろう。
アステルは一瞬納得しかけたが、あれ、と何やら腑に落ちないものを感じた。
「でも、どうしてこの広場に呼び出したんです? 強盗がいるのはすぐそこなのに」
アステルの言うとおり、強盗が占拠したという宝石店は、すぐ目の前のサロマニア杉内にあるはずである。先ほどから群集の注目している樹がそれだ。アステルたちを危険から守るのが目的だというのであれば、合流するにしてももっと別の場所にするべきである。
するとディアスは突然、不敵な笑みを浮かべたかと思うと、アステルの横にいたリリィとジェイドの方を向いて、
「リリィ、ジェイド、これから戦えるか?」
「矢もいっぱい手に入ったし、バッチリよ♪」
「お腹はいっぱいだけど、戦うのは怖いんだナ……」
「よし、ならば警官に掛け合ってこよう。ジェイドはアステル君とミーシャを守って、ここで待機していてくれ」
「分かったんだナ」
「――待ってください、本気で言ってるんですか!?」
妙に嬉しそうなジェイドの言葉を遮り、アステルは慌ててディアスに詰め寄った。なんでもないことのようにホイホイと話を進めているが、要するにディアスは自分たちで強盗団を退治しようとしているのである。流石に無茶ではないかと思った。
だがディアスは、アステルの心配もどこ吹く風といった具合だった。
「心配せずとも、君とミーシャはここで待っていてくれればいい」
「いや、でも……」
「大丈夫、大丈夫。盗賊とか相手にするのは、これが初めてじゃないし」
と、リリィが補足するように、アステルに向かって言った。
「警官隊はバシリスク探しに人員を割いていて突入できないようだし、私とマナスは元軍人だからね。モラーヴァン相手ならばともかく、盗賊なら十人かそこらで頭打ちだ。ちゃんと状況さえ把握してから乗り込めば、負けたりはしないよ」
「自分たちの武器は、決して飾りではないですしね」
ディアスに続いて、マナスがそうつけ加える。それにしても、マナスが本当に軍人だったとは驚きであった。ついこの間まで戦争をしていた間柄なのに、よくディアスと一緒に旅が出来るものだとアステルは思った。
「それにね、こういう事件を解決してあげると、責任者の人が大体一宿一飯の手配ぐらいはしてくれるのよ♪」
そう言ったのはリリィである。
…………本音はそれが目当てじゃないのだろうか。
ディアスにマナス、そしてリリィが警官たちに助力を申し出ようとしていなくなってから、残されたジェイドとアステル、そしてミーシャは広場の隅で待機したまま周囲の野次馬たち同様に、宝石店の入った樹を見上げて不安な面持ちでいた。
しかし三人の周囲から聞こえてくる声はといえば、ロクでもない噂話ばかりで、
「――強盗団の首領は血も涙もない奴らしい。噂だと、百人近い警官をバラバラにしたとか」
「――傭兵崩れが何人もいて、軍隊でも敵わないって聞いたぜ」
「――教会を襲って司祭の首を刎ねたって本当?」
聞いているだけで気が滅入りそうであった。一体この短時間で何処から仕入れてきた情報か知らないが、根拠の無い噂は慎んでほしいと思うアステルであった。
「……わたしにも、何か手伝えないかな」
「余計なことしないほうがいい。足手まといになるだけだからな」
ミーシャがポツリと呟きを漏らしたのに対し、アステルは言下に斬り捨てた。戦闘のプロが自分たちで解決しようと頑張りにいったのだから、素人は下手に手出ししないほうが得策である。
ところがその言葉は、単にミーシャを怒らせただけであった。
「足手まといって何よ! わたしは、いざとなったら自分で戦えるんだから!」
「……は?」
言われたことの意味が分からず、アステルは思わず聞き返してしまう。途端にミーシャは何かを思い出したようにサッと顔を背け、そのまま何も答えなかった。一体なんなのだ。
代わりにミーシャから返ってきたのは、新たな質問であった。
「あなたこそ、変身すれば戦えるのにどうして行かなかったの? そういえばさっきも……」
「あのな、気軽に言ってくれるなよ。あんな姿になるなんて、俺は二度とゴメンだからな」
「そんなこと言って、本当は怖いだけなんじゃないの?」
「戦えっつったり、逃げろっつったり、自分勝手な野郎だな」
憎まれ口を叩かずにはいられないアステルであった。
ところがそんな会話を繰り広げるうちに、アステルにとある考えが思い浮かんできた。
「……ある、かもしれない」
「え?」
「戦わないで、ディアスさんたちの力になる方法が一つだけあるかもしれない」
そう言うとアステルは、キョトンとしているミーシャを尻目に、二人の前でサロマニア杉を見上げているジェイドの背中を叩いて振り向かせると、即座に質問した。
「ジェイドさん、通信石の使い方って分かりますか?」
* * *
「(――ったく、何でこんなとこまで入っていくんだお前は!?)」
「(仕方ないでしょ、裏口に誰もいなかったんだから)」
「(だからって忍び込むか普通。どうなっても知らねーぞ!)」
声を殺して暗闇の中で囁きあっているのは、宝石店の裏口から忍び込んできたアステルとミーシャである。二人は今、緩やかなカーブを描いて伸びる裏口通路を抜き足差し足で進みながら、時折積んである木箱の陰に身を隠しては、強盗団の居場所を探していた。
どうしてこんな事になっているのかというと、元はといえばアステルが、通信石を用いて裏口からの様子をディアスらに中継できないかと言ったことが発端であった。そもそもの案では、裏口を固めているであろう警官たちに通信石を渡して使い方を教え、後はアステルもミーシャも元いた広場に戻る手はずであった。それならば危険に晒されることもない。
ところが何の手違いやら、裏口には警官どころか強盗団の影すらなく、しかも扉に鍵のかかっていないことを発見したミーシャが勝手に中に入り込んでいってしまったため、それを連れ戻そうと追ってきたアステルも今ここにいるのである。
毎度の事ながら、間が悪いにも程があると思うのだった。
それにしても不幸なのは、ディアスたちの下へ作戦を伝えに行って帰ってみれば、アステルもミーシャも一向に戻ってこないジェイドの立場であろう。きっと今頃はひどく取り乱しているに違いない。後で饅頭でも奢るべきだろうか。
二人は物陰から出たり入ったりを繰り返しながら、少しずつ暗い通路を進んでいった。
するとやがて進行方向左奥に見える開けっ放しの扉の向こう側から、人工の灯かりとともに人の声の漏れ出ていることを発見した。たまに男の怒鳴り声や、小さな子供のすすり泣きらしき声まで聞こえてくる。
二人は互いに顔を見合わせると、急いで扉の手前まで足音を立てないように走っていって踏みとどまり、息を殺してそっと奥の店内を覗き込んだ。そこに見えたのはなんと、宝石を陳列するためのショーケースが無数に並んだ、店舗のメイン区画と思しき吹き抜けの大ホールであった。
樹の内側を大胆に彫り抜いたホールは、直径が二十メートル近くもある同心円状の空間が頭上十五メートルぐらいの高さまで広がる形となっていた。同心円の中央部にはホール全体を支えるようにして、床から天井まで一本の円柱が伸びている。柱や天井のあちこちからは魔術の光が無数に放たれ、ホール全体を外部と同じぐらいの明るさに保っていた。
全部で三階層に分かれたフロアには、普段は宝石類を展示していると思われるガラス張りのショーケースがそこかしこに設置されていた。普段は、というのは今現在、見える範囲にあるケースの中身はことごとく空になっているからである。ケースのガラスは粉々になってフロアの床一面に散らばっており、実に無惨な光景を作り出していた。
ふと、フロアの中央付近に大勢の人間が捕まっているのが見えた。客や従業員と思われる彼らはその周囲を徘徊する人相の悪い男たちから武器を突きつけられ、円柱の近くでひと塊にさせられていた。外部に対する人質の役割もあるのだろう。中にはまだ小さな子供の姿もあって、先ほどから泣き声を発しているのはその子たちであった。
アステルが思わずその光景に目を奪われていると、人々の周りを徘徊していた強盗の一人が突然、店の表口のほうへ向かって楽しげに声をかけた。
「ガオさま、金目のものはあらかた押さえました!」
「おぅ、ご苦労だったな」
低く、気だるげで、聞き取りづらい声であった。
返答とともにフロア中央に現れたのは、あごにエラが張った精悍な顔つきに加え、浅黒く日焼けした肌、棘のようにツンツンと固まった短い頭髪など、見るからに屈強そうな見た目をした男であった。
アステルは直感的に、その男が強盗団の首領であると悟った。
早速アステルは通信石を取り出しジェイドに教わった方法で送信用の操作を行うと、敵に気取られないようゆっくりと本体を扉の外に押し出し、水晶の部分を敵のいる方向に向けて床に固定した。これでディアスらが受信用の操作を行えば、あちら側でも店内の様子が映し出されるはずである。
ガオと呼ばれたその男は、真っ黒な厚底のブーツを履いた足でフロア中に乾いた音を響かせ続けながら、人質たちを見下ろしその周囲をじっとりと歩いてまわってみせた。爬虫類の皮を粗っぽくつぎはぎしたようなジャケットをなびかせ、刃の部分が鋸のようになった刀を携えた大男にそんな真似をされたら、誰であっても縮み上がってしまうだろう。
現にガオの足元では、一人の幼い少女が母親らしき人物にしがみつきながら震えていた。
その姿を見咎めたガオは何を思ったか、立ち止まって億劫そうにしゃがみ込み、それまで自分が鷲掴みにしてガツガツと貪っていた特大の饅頭を少女の鼻先に差し出すと、妙に軽い調子で話しかけた。
「食うか嬢ちゃん、ん?」
その問い掛けに、少女は口をつぐんだままブルブルと首を横に振る。相当怯えているようだが、無理もないことである。
するとガオは愉快そうな顔になって笑ってみせた。
「そりゃ残念だ。ウチのバシリスクに喰わせようってのに、痩せてたんじゃ歯応えが無い」
そう言ってガオは再び自分で饅頭を噛み千切り、ムシャムシャと頬張ってみせた。いっそ微笑ましいぐらいのジェイドと違ってこちらは完全な粗暴さの塊で、まるで肉食獣であった。食べているだけで恐怖を発散する人間など、そうそう居はしない。
一方で五人ほどいたガオの部下たちは、首領の台詞にドッと笑い転げていた。
少女は益々怯えた結果半泣きの様相を呈してきて、そのやり取りを目撃したアステルは、胸の内に言いようのない嫌悪感が込み上げてくるのを感じた。
ガオは残っていた饅頭を一挙に丸呑みにすると、相も変わらず気だるげな動作で立ち上がり、人質に背を向け淡々とした口調で部下たちに命じた。
「そろそろ、行くぞ。その嬢ちゃんも一緒に連れてこい」
部下の殆んどは命令どおり、ガオの後に続いていった。残った一人はガオに目をつけられた少女を捕まえて強引に引っ張っていこうとしていたが、母親とともに泣き喚いて抵抗したため、なんと母親の方を足蹴にして引き剥がすという暴挙に打って出ていた。
「うるせえっ!」
部下の男が怒鳴り声を上げる。
その瞬間、アステルの全身を流れる血がさっと冷たくなっていった。
そればかりか、男は泣き止まない少女にも業を煮やしたらしく、あろうことか少女の体を床に叩きつけ、手にしていた鉄棒を高々と振り上げたのだ。悲愴な顔つきで子供の名を叫ぶ母親の声を聞き、アステルの胸中で渦巻いていた何かがついに限界を超え、爆発した。
ミーシャが制止する間もなかった。
アステルは設置してあった通信石を引っ掴んで咄嗟に物陰から飛び出すと、勢いよく振りかぶったそれを敵に向かって投げつけた。半分木製の重く角張った魔道具は、空中を飛んでいって男の顔面に命中し、見事に怯ませることに成功していた。
「な……?」
「やめろ、クソ野郎!」
アステルは我慢しきれずに、敵に向かって啖呵を切ってしまう。
一瞬にしてフロア全体がしんと静まり返って物音ひとつしなくなったかと思うと、首領のガオを含めた強盗団と人質全員の視線が、一斉にアステルに向かって集中した。
ここから見る限り、殴られかけていた少女はどうやら無事な様子である。それは良かったのだが、今度はアステル自身がピンチの真っ只中であった。この後どうするか、全く考えていなかったことに気がついてアステルは冷や汗が噴き出すのを感じた。
「……なんだぁ、お前?」
目を細めてアステルの方を見たガオが、開口一番で口にした台詞がそれである。先程までと全く変わらぬ気だるげな態度だというのにも関わらず、アステルは何故か背筋か凍るような感覚を覚えた。ガオにとってはアステルの闖入など、意にも介さない出来事であるということだ。
「どっから入ったのか知らんが、英雄ごっこはまたの機会にしな。こっちは忙しいんだ」
余裕たっぷりにそう言ってのけたガオに対し、アステルは何か言い返してやろうと思って必死に口を開いてみせた。
だがしかし、そこから声は発せられなかった。恐怖か、怒りか。おそらくは前者であろうが、とにかく次の言葉を紡ぐことが出来ないのである。気付けば敵の死角で震えていた自分の手をもう一方の手で無理やり押さえつけて、アステルは必死に声を出そうとした。
「――アステル!」
そのとき、見ていられなくなったのか、ずっと物陰に隠れていたミーシャが自分もフロア内に飛び出してきて、アステルの元に慌てた様子で駆け寄ってきた。
ガオの冷たい眼差しがさっとミーシャへと向けられる。ガオがその左手を掲げたかと思うと、そこに握られていた一枚の魔符から突然オレンジ色の光が発せられた。輝いているのは間違いなく、そこに描かれた天梵文字である。
アステルはそれを見て、即座に不吉な予感を覚えて周囲を見回した。何か、煌めく無数の物体が、自分たちの左横から飛んでくるのが見える。アステルは考える間もなくミーシャの前に飛び出すと、その体を力ずくで抱き寄せて自分の内側に匿った。
次の瞬間、背中側から全身に向かって、鈍く突き刺すような痛みが断続的に沸き起こった。
それはあっという間の出来事だった。
いきなりアステルが駆け寄ってきて自分のことを抱きしめたと思ったら、見る見るうちにその体から力が抜け落ちていき、最後にはミーシャの前に音を立てて崩れ落ちてしまったのである。一体何が起きたのか、ミーシャには全く分からなかった。
フロアの床に倒れ伏すアステルの背中には、首から腰辺りにかけて、銀色のナイフが数え切れないほど突き立っていた。それを見てもミーシャはまだ、自分の置かれている状況が理解しきれなかった。
アステルが、死んだ?
眼前に横たわる無惨な現実が信じられず、ミーシャは咄嗟にその体に取り縋ると、何度も何度も強く揺さぶった。アステルの体は、ぐったりとしたまま動かなかった。
その光景が眼の奥に焼きつけられるにつれ、ミーシャの頭の中が真っ白になっていた。
「アステル……アステルってば……起きてよ……ねえアステル、アステルってば!」
ミーシャは声が枯れるほど叫んだが、何度呼んでみてもアステルの体はピクリとも身動きしなかった。ミーシャの心に、後悔の念がドッと押し寄せてくる。
するといつの間にか、すぐ側まで近づいてきていたガオが呟いた。
「……あーあ、バカの揃い踏みだな」
その口ぶりは明らかに嘲っていた。
ミーシャは怒りと悔しさに身を任せ、目の前にいる屈強な強盗団の首領を見上げた。
ガオは自分を睨みつけるミーシャの顔を見て押し殺したような笑い声を上げると、その右手に持っていた鋸状の刀をミーシャの眼前に突きつけて言った。
「あばよ、嬢ちゃん。彼氏と一緒に、あの世で仲良く暮らしな」
絶体絶命かと思われたそのとき、突然表口のほうから飛んできた一本の矢がガオの背後でホールの支柱に突き刺さったかと思うと、一瞬遅れて間近に太陽が発生したかと思うような光の爆発がホール全体を埋め尽くした。そこにいた全員が、反射的に眼を覆ってしゃがむ。
「なんだ!?」
予期せぬ事態に強盗団が下っ端のみならずガオまでも驚いていると、突如として宝石店の正面入り口が開け放たれ、鬨の声とともにディアスらが警官隊と一緒に店内になだれ込んできた。その中には、弓に矢をつがえた状態のリリィも混じっている。
「ミーシャ、今助けるからね!」
「リリィ!」
窮地に駆けつけた仲間たちの姿を見て思わず、ミーシャは涙声で叫んでしまった。
実は先ほど発生した閃光は、先んじて店内に突入したリリィの放った矢の矢羽の部分に、光魔法の魔符を結びつけたものであった。着弾すると同時に、目くらましの閃光を放つよう仕組んでいたのである。
不意を突かれた強盗団は事ここに至ってようやく反撃に出ていたが、真っ先に閃光で目をやられているため皆殆んど上手に戦うことが出来ず、次々に武器を叩き落されては警官隊によって捕縛の憂き目に遭っていた。例の少女をはじめフロアの中央部に集められていた人質たちも続々救出されていき、もはや悪事もこれまでといったところであった。
「チッ……役に立たない連中だ!」
「きゃっ……!」
いきなりミーシャの首に、背後から太い腕が回ってきた。何の前触れもなくガオに羽交い締めにされたかと思うと、顔の右側に例の特徴的な刀を突きつけられ、人質として警官隊やディアスらに見せつけられる。案の定、ディアスはひどく狼狽えた様子だった。
「ミーシャ!」
「おっと動かないほうがいいぜ。この娘の命が惜しかったらな」
ガオはそう言ってミーシャに刃を向けたまま、戦闘態勢のディアスらからじりじりと距離をとりつつ、ミーシャたちが侵入してきた店の裏口通路へ向かおうとした。
このままでは攫われてしまうと思い、ミーシャはガオの腕の中で必死に暴れて抵抗を続けた。その様子を見たガオは、脅しのつもりなのか刃をより接近させ、笑いながら告げる。
「尤も、嬢ちゃんが彼氏のところに行きたいってんなら、考えてやってもいいけどな?」
「……だったら、今すぐその手を離しやがれ」
その言葉が聞こえた瞬間、ガオは初めて瞳に驚愕の色を浮かべて背後を振り向いた。
ガオに捕えられたままのミーシャも、ガオが振り向いたのにつられて一緒に声の主を目撃することになり、そしてやはり言葉を失った。
「な……に……?」
「うそ……!」
死んだはずのアステルが、通路の入り口前で立ち塞がっていた。
ぜえぜえと苦しそうに息をし、前屈姿勢でガオを睨みつけるその姿は無事とは言いがたいものの、それでも確かに生きていた。何故かその周囲に血は一滴も流れていない。
その姿を見るやいなや、ガオは不愉快なものを見たとばかりに吐き捨てるように言った
「みっともねぇ……喚くしか能が無いなら黙ってくたばっとけ、小僧!」
「さて……それはどうかねぇ、首領さまよ」
疲弊しながらもそう呟くアステルは、いつもと全く変わらぬ皮肉混じりな口調であった。
それを聞いて自分でも驚くほど安堵しているミーシャの前で、アステルは両腕を顔の前で交差させると大きく溜めを作り、ある呪文を高らかに宣言した。
「――『フェイス・オン』!」
ミーシャはその呪文に聞き覚えがあると思ったが、それもそのはず。その呪文はブルーマを襲撃したスティングが、モラーヴァンの姿に変身する際に口にしていたものであったのだ。
ということは、つまり。
たちまち、アステルの肉体に異変が起こり始めた。
顔や腕などの肌の上にびっしりと半透明の天梵文字が浮かび上がり、その全身がメキメキという筋肉や骨の変形する音を立てながら、皮下より生じる鋼の鎧に包まれ始める。
やがてその腕も、脚も、胸部も、黒みがかった銀色をした爬虫類のウロコのような形状の装甲で覆われ、手と足の先端にはそれぞれ三本の鉤爪が生まれた。頭部は角の生えた犬面の怪物の形となり、その牙の合間からは白濁した複眼を持つ銀色のマスクが浮かび上がる。
サロマニア市民曰く、ガーゴイルの化身。異形の戦士、ガルギオン。
それがいま、ミーシャたちの前に顕現した。
変身し終えたばかりのアステルは、その姿を見た警官たちが続けざまに驚嘆の声を漏らすのを見た。畏敬、あるいはただの恐怖だったのかもしれないが、いずれにせよ驚いているのに変わりはなかった。そんなものには構わず、アステルはじりじりと敵に肉薄していった。
一方、思いのほか顔を引きつらせていたガオだったが、急に開き直ったように高笑いし、
「面白いじゃねえか。だがな、これが本当の切り札ってヤツだ……出てこい、オロチ!」
叫ぶやいなや、ミーシャを捕らえていたその腕の先端が突然、赤い光を放って輝き始め、咄嗟にミーシャは目を瞑っていた。見てみればガオのごつごつした左手の甲には、幾重にもなる天梵文字の刺青が彫られていて、赤く光り輝いていたのはその刻印であった。
アステルはミーシャが人質にとられていることも考慮し、次に敵が何をするのか見守った。
ややあって人々のいるホールの頭上からゴゴゴという、腹の底に響くような不気味な低音が聞こえてきた。同時に店の外からは、野次馬たちが上げたと思しき悲鳴もしている。
ディアスたちも警官たちも、何か異変が起きていることだけは理解して、慎重にあたりを見回していた。このホールの下でガオだけが、変わらず不敵な笑みを浮かべている。
アステルは直感した。
「何か」が、樹上よりこちらに近づいてきている、と。
そう思った瞬間、突如としてホールの壁の一角から緑色の光線が噴出しその周囲が瞬く間にメラメラと炎上し始めると、呆気にとられる人々の目の前でその部分の壁が勢いよく突き破られ、木屑の中から異様に巨大な頭がヌッと現れた。
橙色の体表に、緑色の両眼を備えた巨大な蛇。バシリスクである。
その姿を見た途端、ホールにいた人々が一斉に叫び声を上げ、逃げ出し始めた。アステルが変身したときのそれとは比べ物にならず、今回は完全に恐怖一色のようであった。警官隊の殆んどは手近な出口目掛けて殺到し、踏みとどまったのはディアスらを含めほんの数人である。
「アステル君!」
ホールの端から、警戒を強めたディアスの声が飛んできた。
アステルはホールの反対側で鎌首をもたげる巨蛇の姿を見つめながら、こんな巨大なものが街中にあって気付かれないはずがないと思った。きっとこれまでは高所にでも潜まされていて、主人の召喚に応じて樹上を伝い、ここに現れたのに違いない。
ガオは自ら呼び出した怪物を背にしながら、心底楽しそうに笑って言った。
「食っちまえ、オロチ!」
ガオが命じると同時に、オロチと呼ばれたバシリスクはシューシューという低い呻り声を上げながら、壁の穴から這い出して一気にアステルに向かって飛びかかってきた。アステルは横っ飛びになってその突進を回避すると、地面を転がって即座に立ち上がる。
背後の床を滑る巨獣は動きが割に素早く、並の人間であれば一飲みにされているところであった。しかしガルギオンと化したアステルは自分でも驚くほど冷静でいられて、この状況にも関わらず、恐怖とかそういった感情は一向に湧いて出てこないのだった。
アステルが振り返るとその白濁した複眼に、バシリスクのおぞましいほどの巨体が映って見えた。ホール中を埋め尽くすような橙色の鱗で覆われた体表に、背面から後頭部にかけて生え揃ったいくつもの突起。頭部にあるトサカは、短い角といっても差し支えない。
時たま開け広げられる巨大な口内には、内側に湾曲した長太い牙がずらりと並んでいて、それらの隙間から漏れ出るシューシューという鳴き声が、小さき者をことごとく萎縮させる。緑色に爛々と光る両方の眼は巨大だが、そこから発せられるのは視線ではなく、全てを焼き尽くす灼熱の光熱線なのだ。
そんな全身破壊の塊であるバシリスクが一人の人間によって使役されるなど、本来ならばありえない光景であった。ガオには何か秘密があるのに違いなく、現状最も怪しいのはその左手に見える刻印であった。その発光に併せてバシリスクが出現したのだから、因果関係としては極めて順当なはずである。
アステルがちらりとガオの様子を窺っていると、不意にバシリスクの両眼が一直線に自分のことを捉え、その丸い瞳孔が急速に絞られていくのがわかった。瞳の奥から徐々に緑色の光が溢れ出し、次に起こることを予測したアステルは咄嗟に走り出していってバシリスクの懐へと飛び込んだ。
次の瞬間、それまでアステルのいた場所を緑色の光線が直撃した。僅か二、三秒着弾しただけなのに、命中点ではすぐさま火の手が上がって周囲の床へと燃え広がっていった。恐るべき威力である。
バシリスクはアステルの動きに合わせて何度も光線を放ったが、その度にアステルが回避するため、ホール内はたちまち火の海と化した。
「ハハハハハ! やれやれ、もっとやれ!」
そう叫ぶガオの表情には悦楽の色が浮かんでいた。破壊が楽しくて仕方ないといった様子である。その腕に捕えられたままのミーシャは、なおも抜け出そうともがき続けていた。
どうやら迷っている暇はないようだった。
そのとき、入り口のほうから矢がサッと一本飛んできたかと思うとあっという間にガオの左腕に突き刺さり、恍惚の中にいるこの男にうめき声を漏らさせた。その隙に力の緩んだ腕の中からミーシャはするりと抜け出して、矢を放った主の下へと全力で駆け寄った。
「ミーシャ!」
「リリィ!」
リリィがミーシャをしっかりと抱きとめた。バシリスクが出現しても根気強くホール内に留まり、ガオの注意が逸れるのを狙って待ち構えていたのであった。
そしてアステルもこの機を逃さず、腕を押さえて怯んでいたガオへと飛び掛った。
「このっ……!」
それに気付いたガオは慌てて刀を振り下ろすが、変身したアステルの方が格段に速かった。
アステルは刀を持った敵の手首を受け止めると、次のジャンプと同時に繰り出す膝蹴りでその腕を打ち抜き、ガオに刀を取り落とさせた。それを拾い上げるとすかさず、アステルは後退しかけていたガオに向かって斬りつけた。
一瞬の後、ガオの左の手首から先が宙を舞い、離れたところにボトリと落下した。
「ぐああああああああ! この小僧――」
ガオは腕を押さえて思わず悶絶しかけたが、すぐに頭上で大きく口を開けたバシリスクの存在に気付くと絶句し、その巨大な頭を仰ぎ見た。バシリスクの口からは粘り気のある液体がぼたぼたとこぼれ落ち、真下にいる元・主人の体に降り注いでいた。
やはりアステルの予想通り、手の甲の刻印こそがバシリスクを自在に操る術式だったようである。その呪印を物理的に失ったガオにはもう、この巨大な破壊者を制御し動かすだけの権限はなかった。
アステルは奪った刀を無造作に放り捨てると、ガオからゆっくり距離をとって後退した。
「そうか……喰われるのは俺のほうか……」
末期の言葉を呟いた瞬間、ガオ目掛けてガッとバシリスクの牙が降った。アステル以外の全員が目を背けるなか、その身体はバシリスクの大顎に噛み潰された挙句、断末魔を上げることも許されぬまま胃袋の中へと落ちていった。首領の呆気ない幕切れであった。
かつての主人を食い殺したばかりのバシリスクは、今度はすぐ足元に立っている黒銀色の怪人へとその矛先を向けた。もはや、この生物を制御できる者はいないのだ。バシリスクは地の底まで轟くような甲高い雄叫びを上げると、目にも留まらぬスピードでアステルに襲い掛かってきた。
しかしアステルはその場から一歩も動くことなく、敵の上顎に生えていた二本の牙を瞬時に鷲掴みにすると、僅かに押されつつも踏み止まった。ホールの床に叩きつけるような衝撃が走ったが、アステルは自身の数十倍はある怪物の巨体を押しとどめて動かなかった。
その後敵の動きが止まった瞬間を見計らい、アステルは気合一閃すると、敵の牙を掴んだままの両腕を全力で左右に振り払った。たちまち上顎から血に塗れた牙二本が引き千切られ、痛みに悶えたバシリスクは鎌首をもたげ、頭を振り回して絶叫していた。
アステルは両手にそれぞれもぎ取ったナイフのような牙を足元に放り捨てると、敵から眼を離さぬまま、ぐっと右の拳に力を込めた。すぐさま鎧の表面に刻まれた天梵文字が青白い光を発し、拳から突き出ていた三本の鉤爪が光とともに伸長した。アステルは腰を低位置に落とし、肘を曲げると拳をきりきりと引き絞った。
やがて悶えるだけ悶えたバシリスクの頭部が、やや脱力した様子になってアステルの上に落下してきた。アステルは怪物の喉元に覗くやや白くて肉の薄い部分に狙いを澄ませると、可能な限り引きつけてから、引き絞った拳にありったけの力を込めて打ち上げた。
どむ、という弾力のあるものを押し潰すような音ともに、一瞬にしてアステルの右拳から肩までが、バシリスクの喉の奥に深々と埋め込まれた。直後、アステルの全身を覆う銀色の鎧に、バシリスクから噴き出した真っ赤な血の雨が降り注ぐ。
下顎から脳天までを一直線に貫かれたバシリスクは、ギギギという聞き取り不能な断末魔を上げながらピクピクと痙攣していたが、しばらくするうちに動かなくなった。この巨獣もまさか、人間風情に殺されるとは夢にも思っていなかったであろう。
アステルは、本来ならば地上最強の部類に入るであろう生物を殺した感慨もなく、淡々と右腕をその喉元から引き抜くと、バシリスクの巨体を音を立ててホールの床に横たえた。
見守っていたディアスらが言葉を失う中、戦いが終わったホールの真ん中では銀色の肉体を真っ赤に染め上げた異形の怪人だけが立っていた。
* * *
「まったく……どうしてこんな無茶をしたんだ。無事だったからいいようなものを――」
腕を組み、今までにない怖い顔をしたディアスに延々と叱られながら、ミーシャはしょんぼりとした様子で目を伏せていた。
事件がひとまず集束したということで、アステルたちは宝石店の隅に集まってお互い無事を確認しあっていた。ただ一人戦いに参加しなかったジェイドは初めて現場に入った瞬間、ホールのど真ん中で血溜まりに転がるバシリスクの死骸を見て腰を抜かしてしまっていた。きっとそれが、普通の人間が示す反応なのだろう。
バシリスクを仕留めた張本人たるアステルは、元の人間の姿に戻ってからも、ただずっと自分の両手を見つめて押し黙っていた。そんな様子を見ていて心配に思ったのか、ミーシャを叱っている最中のディアス以外は全員、自然とアステルの傍に集まっては気遣う様子を見せてくれていた。
「アステル殿、本当に大丈夫なのですか?」
「あんな戦いの後だもん……ショック受けてもしょうがないよ」
「何だかよく分からないけど、元気だすんだナ」
一同の励ましを受けるアステルだったが、ふと離れた床に、あの時ガオの罠で飛んできたナイフの一本が落ちているのを見つけて立ち上がると、黙ってそれを拾いに歩いていった。
手に取ってみたナイフは重量は軽いものの、その銀色の刃は鋭く研ぎ澄まされていて大抵のものなら切り裂けてしまいそうだった。鏡のようなナイフの腹に、それをじっと見つめるアステルの複雑な表情が映って見えていた。
アステルは、決心した。
アステルは手に持ったそのナイフを徐に逆手に持ち替えると、自身の左の手首に思い切り突き立て、そのまま力を込めて肘の辺りまでを一気に引き裂いていった。
これを見て驚いたのはリリィたちで、あまりのことに全員面食らっていたが、すぐ正気に戻るとアステルの元へ駆け寄ってきて、力ずくでその行動を制止させにかかった。
「アステル殿、冷静に!」
「やめなさい、アステル!」
持っていたナイフを即座に奪い取られ、羽交い締めにあってそれ以上の自傷行為を出来ないようにさせられる。だがその直後、傷を手当しようとアステルの腕に目をやった彼ら全員の間に、一瞬にして沈黙が広がった。彼らはその目を疑うことになったのだ。
たった今アステル自身が切り裂いたばかりの左腕が、異常としか言いようのないスピードで再生していた。
見る見るうちに出血が止まり、引き裂かれた皮膚と皮膚とが繋がり、恐るべき勢いでその傷を修復していく。それは、常識の数十倍ともとれる早さであった。
背後の騒ぎを聞きつけて思わず振り返ったディアスとミーシャも、何が起こっているのかすぐに理解したようで、その目を見開き絶句していた。
アステルは自分の腕を見つめながら、皮肉交じりに笑みを浮かべて言った。
「どうも俺は……死なない体になったみたいですね」
やがて完全に再生しきったアステルの左腕に、若干の血がこびりついている以外は、傷を負った痕跡は欠片も残っていなかった。




