虚構の男4
河邉直人の葬儀が執り行われている都内の葬儀場は、弔問客もほとんどなく閑散としていたが、これは生前に河邉が行っていた捜査活動に起因する。新見輸送㈱は警察組織が秘密裏に捜査活動を行う際に使用するダミー会社であり、死亡した河邉がそこの所属として報道されてしまった為、警察は最低限の人員しかこの場に送れなかったのだろう。それが正しいことかどうかは別として、国のために殉じた河邉に対して、何ともひどい仕打ちじゃないか、そう雅臣は思った。特に事件性もなく事故として公式発表がされたせいか、マスコミ関係者も一報を報じて以降は、葬儀場にまで来ることはしなかったようだ。そんな様子を遠巻きに眺めていた雅臣は、着なれない喪服にむず痒さを感じながら、今一歩葬儀場に入る事をためらっていた。
雅臣と川邉は警察学校時代の同期だったとはいえ、卒配後にことさら深い交流があったわけでもなく、たまに連絡を取り合うぐらいだった。最後に河邉と会ったのは、河邉の結婚式の時だった。その時に着ていた礼服に、喪服としてふたたび袖を通すことになるとはなんと皮肉なことか。雅臣は記憶の連鎖で、退官した当時の事を思い出す。河邉にはそのことも告げずに、姿を消すように――逃げる様に――<出島>の最下層に移り住んだ時の事を。あの時の自分は、自身の気持ちに折り合いをつける事で精いっぱいだった。それまで築き上げてきたあらゆるものが、自身に対する負担でしかなかった。だがそんなことは、たとえ偶然であろうと、知り得た知人の不幸を何もなかったことかのように無視する言い訳にはならないと雅臣は思った。だから、雅臣はここまでやってきたのだ。人はいつか死ぬ。それは、自分の意識に近いところを占める人物がそうなった時に思い知らされる。今の雅臣の心中には後悔の念しかなかった。今はそんな心境と素直に向き合おう。これは自己満足でしかないが、そう自分に心の中で言い聞かせると、雅臣は重い足取りで葬儀場の門をくぐった。
受付にいる人物が知人ではなかったことにホッとすると、雅臣はそこへ歩み寄りお悔やみを述べ、香典を渡し、記帳する。すでに記帳されていた氏名が目に入ったがそこに、特に親しかった人物の名はなかった。
『人がいっぱいいるって訳じゃあ無いのね』不意に洋子が雅臣に語り掛ける。そして、ご丁寧にも喪服姿で描画された洋子のアバターが雅臣の視界に現れる。
『お前、ふざけてるんなら消えろよ』雅臣はぶっきらぼうに思考チャットで洋子に言い放った。
『そんなつもりはないわ。ただ……』
『ただ?』
『何となくあたしもここに来た方が良い様な気がしたの』
『……』雅臣には洋子の考えを推し量る事が出来なかったが、今は丁寧に相手をする気にもなれず答えるのをやめた。洋子の思わせぶりな態度は、別に今日はじまった事じゃあない。
雅臣は記帳を終えると、受付の邪魔にならぬようその場を離れ周囲を一瞥する。これから焼香し、仏の顔を拝み、遺族にお悔やみを述べる、そんなことをぼんやりと考えながら雅臣は斎場へ向かおうとした。ところが、そんな雅臣の元に二人の男が近づいてくる。その二人はどう見ても私服警官とわかる物腰だった。「ちょっとよろしいかな?」男のうちの一人が雅臣にホログラムの身分証を提示しながら話しかける。「少しお話を伺いたいのですが」そう言いながら場所を変えるように雅臣を促した。もう一人の男は小型の骨伝導無線機で指示を仰いでいるようだった。そして、二人の立ち位置は完全に雅臣の逃走経路を遮断するような立ち位置になっていた。
まるで容疑者扱いだな。雅臣は辟易しながらも、ここで彼らの申し出を断りひと悶着起こすのは得策では無いと思い、仕方なく彼らに従う事にした。彼らはそのまま、葬儀場の外にとまっている黒塗りの車――恐らく警察の公用車――まで雅臣を案内する。
「乗ってください」私服警官の一人が雅臣に告げる。それとともに車後部座席のドアが開いたので、雅臣は言葉に従い車に乗り込んだ。座席の奥には、きっちりした身なりの男が座っていた。車内には他に誰も居なかった。雅臣が座席に座ると、車のドアが閉じられ、外の二人の私服警官は再び葬儀場の方へと向かった。これはどう言った状況なのだろうか。雅臣は現在自分が置かれている立場を測りかねていた。少なくともこの状況は任意の事情聴取でも、ましてや逮捕でもなさそうだが……
「わざわざありがとうございます。警視庁の笹野です」そう言うと、笹野と名乗る男も胸ポケットからホログラムの身分証を雅臣に見せて、そのまましまう。雅臣はあえて何も言わなかった。それはこの笹野と言う男――提示した身分証が本物ならば警視庁の管理官である――が自分に何の用なのか?
まずはそれを語らせてみようと思ったからだった。
「退官後の生活はどうですか?」そんな雅臣の思惑を気にする素振りもなく笹野は社交辞令的な話題をくりだした。
「まあまあだ」対して雅臣は意識してはいなかったが、おそらく憮然とした態度で答えた。
「なるほど、仕事はどうですか? 新しい職には就きましたか?」
「いや、定職にはついてない」
「そうですか。そのままだと、将来について不安になったりはしませんか?」
「なんだと?」雅臣は笹野をにらみつけた。警察のこういうやり方は理解していた。それは、雅臣自身がまさにやってきたことだったからだ。不躾で、傲慢で、高圧的な態度。連中はそうやって今までを生きてきており、そしてこれからもそれは変わることが無いのだろう。そんな連中の枠組みから外れてしまった雅臣は、改めてそれを理解し、はっきりとした態度でそれに答えようと思った。
「お前は俺に喧嘩を売っているのか?」
「とんでもない。」笹野は慌てて否定した。
「もし日々の生活が忙しいようでなければ、いっそ復職してはどうか? と言うお話をしたかったんですがね」
本心なのかでまかせなのか。笹野の口から出たこの問いかけは、雅臣にとっては意外だった。「俺をリクルートするために、わざわざこんな大仰な真似をした訳じゃあないんだよな?」雅臣は、本庁の管理官ともあろう者がそんな無駄な事をするとは思えなかった。「それとも管理官ってのは、よっぽどな暇人なのか?」
「いいえ、大忙しですよ。猫の手も借りたいぐらいに」
なるほど、この返答で雅臣は笹野と言う男の人物像が若干見えた気がした。「分かった、もういい。回りくどい話は抜きにしてくれ」雅臣は吐き捨てるように言った。
「ああ、これはすみません」そう言うニヤけた口元とは別に、笹野の目付きは急に鋭くなった。「佐伯さん、あなたは川邉直人から何か受け取っていませんか?」
「いや、なにも受け取ってはいない」雅臣は即答した。
「そうですか……」それを聞いて笹野は言いよどんだ。
この質問が笹野にとっての本題なのだろうか。雅臣は探りを入れるべくさらに言葉を加えた。「これは何かの取り調べなのか? もしそうだとしたなら、令状もないお前に俺から話す事は一言もないぞ」
「いえ、そんな気は全くないですよ。ですが事と次第によっては川邉直人の遺族に遺族年金の支払いが行われなくなる事になるかもしれないので」
雅臣は笹野の言葉の意味を理解した。それは過去に警察と言う組織に所属していた雅臣にとって、すぐにある事柄が思い浮かぶ言い回しだった。“不祥事を起こした警官の遺族には遺族年金は支払われない”その上で、雅臣は昨日川邉の身に起きた事故について自分なりに推測する。川邉が誰かに何かを渡す、そのこと自体が川邉の起こした不祥事だとする。何かを渡すとはこの場合、賄賂や、特別な便宜や、捜査情報の漏洩や、押収品の横流し等を意味するのだろうか。その様な犯罪に手を染めて、何らかのトラブルで川邉は消されたのだろうか。そんな警察内部の不祥事について、この笹野と言う男は手掛かりを求めて俺に探りを入れてきているのだろうか……
雅臣は皮肉の一つも言ってやりたい衝動に駆られたが、何とかそれを抑え込んだ。雅臣が黙ってしまったのを見て、笹野はさらに続けた。「電脳捜査課内での捜査情報漏洩の疑いがあります」
それは本当なのだろうか。品行方正かどうかは分からないが、河邉がそんな事をする度胸を持ち合わせていたのだろうか。雅臣は笹野の意見には懐疑的だったが、それを否定する根拠もなかった。
「そんな事情は俺は知らない。第一、今日の弔問だってたまたまニュースで事故を知ったから来れたんだ。それに俺は退官してからは一度も川邉直人とは会っていない。連絡を取ったこともない」雅臣はありのままを答えた。笹野はまだ腑に落ちない様子だったが、雅臣はもうそんな笹野には付き合う気もなかった。「もういいだろう? 降ろせよ」
「分かりました。もし何か思い出したなら、私への連絡先はここに書いてあります」仕方なく了承した様子でそう言いながら、笹野は名刺を差し出す。雅臣はそれをひったくる様に取ると、車から降りドアを閉めた。すぐさま笹野も反対側のドアから降りてそのまま運転席へと乗り込むと、公用車のエンジンをスタートさせ走り去って行ってしまった。雅臣は肩をすくめると、そのまま何とはなしに周りを見回す。今から葬儀場に戻って遺族にお悔やみを告げる気力は、雅臣にはもうなかった。
自宅玄関前まで戻ってきた雅臣は、普段の生活リズムとは違った行動にくわえ、気分の落ち込みや、無神経なやからに対する苛立ちのせいでいつもよりも疲労を感じていた。今はただ合成酒でもあおって寝てしまうのがいい、そう思いながら玄関をくぐると、雅臣は靴を脱いで足早に歩きながら、上着を脱いでリビングにあるソファの背もたれに投げかけ、ネクタイを外し同様に放り投げる。そして、テーブルの上に置いてある半分ぐらい中身のある合成酒の瓶を手に取ると、ふたを開けて一口あおる。すると突如、玄関ドアを外から叩く音が聞こえてきた。
雅臣はすぐさまキッチンの冷蔵庫まで駆け寄ると、冷蔵庫の中に置いてあった――以前成り行きで手に入れた――拳銃を手に取った。どう考えても外にいる奴はどこかで玄関を見張ってて、雅臣が帰ってきた直後のタイミングで訪ねてきている。雅臣は息をころして警戒し、そのまま玄関へと向かう。その間にも玄関ドアを叩く音はやまなかった。
「居るのは分かってるんだぞ、さっさと出てこい!」玄関の外にいる男は苛立ちを隠そうともせずに怒鳴り声を上げる。
「だれだ?!」雅臣は外に聞こえる様、大声でたずねた。
「お前は佐伯雅臣か?」外の男は雅臣の問いかけには答えず、さらに大声で聞き返す。だが、雅臣は無言で様子をうかがった。
「ここが佐伯雅臣の家だってことは分かってるんだ! さっさと出てきてお前宛に届いたこの荷物を受け取りやがれ!」なるほど、どうやら外に居る男は宅配業者のようだった。それも、その態度からして恐らく高い料金をふんだくって〈出島〉最下層の様な危険な場所への配達も請け負う荒っぽい連中だ。あるいは、そう言う連中を装った押し込み強盗か……
考えてもきりがない、そう思った雅臣は右手に持った拳銃のセーフティを外すと、左手でドアのロックを外しドアを開ける。そこにはフルフェイスヘルメットにライダースーツという格好の男が立っていた。男は右手に茶封筒を持っていた。「さっさとIDを入力しろ」そう言うと男は、左手で入力端末を腰から外して雅臣の方へ突き出す。以前にもこんなことがあったな、そう思いながら雅臣は拳銃にセーフティをかけてズボンの背中にさすと、端末を受け取り個人IDを入力する。男は雅臣がIDを入力し終わるのを見計らうと、ひったくる様に端末を奪い取り記録照会通信を行う。そしてその結果が問題無いのを確認すると、茶封筒を突き出した。「OKだ、ブツを受け取りな」
雅臣は呆気にとられて茶封筒を手に取る。中には平べったい箱のようなものが入っているのが分かった。その間にも男は通りに止めてあるアイドリング中の大排気量バイクにサッとまたがると、猛烈なエンジン音を残して見張りとして来ていた相棒とともにいずこかへと走り去って行った。それを見送った雅臣はそのまま玄関の中へと引っ込むと、ドアをロックし、茶封筒の差出人を確認する。
差出人の名前は河邉直人、差出日は二日前となっていた。
途端に雅臣の全身を、氷水が浴びせかけられたような感覚が襲う。雅臣はその感覚に抵抗しながら、そして吹き出す汗に不快感を覚えながら、さらに茶封筒の封を切って中身を出して確認する。
取り出した中身は、梱包材にくるまれたUSCBBポート接続が可能なエクステンションだった。
「クソッ!」雅臣は怒りに任せて壁に拳を数回叩きつけた。なにが電脳捜査課内の捜査情報漏洩だ! そんなものなぞもとから無かったんだ! だいたい、河邉は俺が住んでいるここの住所なんか知りもしないはずだ! そして、そんなことが出来るヤツなぞ、おのずと誰かはわかることだ。このエクステの配達だってそうだ、あまりにもタイミングが良すぎる。さらに、これはおそらく配達業者もヤツとグルと言うことを裏付けている。ならば配達記録自体も改ざんされているに違いない。俺は、あの笹野とか言う管理官にまんまとハメられたわけだ。雅臣は深呼吸をすると、笹野から手に入れた名刺をもとに携帯に笹野の番号を入力して呼び出した。
「笹野です」程なくして回線が接続された。
「佐伯雅臣だ」
「ああ、佐伯さんですか、今日はどうも。一体どうしたんですか?」空々しい態度で答える笹野。
「腹芸をするつもりはないんで単刀直入に言うが、嘱託扱いで俺が復職することは可能かな?」
「可能ですね」笹野は即答した。やはりな、雅臣の想像通りだった。「分かった、じゃあそうさせてくれ。今から」
「いいでしょう」
「で、さしあたって俺は何をすることになるんだ?」
「川邉直人が行っていた捜査を引き継ぐことになります。詳細は捜査資料を……」
「それはもうもらった。了解した」
「そうでしょうね、こちらも了解しました。後で契約の詳細をそちらへ送ります」笹野がそう言い残すと通話が切れた。
力技だが捜査関係者が捜査情報を持つ分には情報漏洩は無かった事にできる。これで文句は言わせないぞ、そちらの仕掛けに乗ることにしたんだ。雅臣は内心そう思いながら、かなりの苛立ちを感じていた。
そして洋子は、雅臣と笹野のこれら一連のやり取りを密かにモニタリングしていたが何も告げなかった……
「待機させていた突入班の出動はなしになりました。撤収させて下さい」いずこかへ通話越しに指示を出し終わると、笹野は紅茶を飲み一息ついた。それは合成ではなく、汚染されていない土壌で栽培された正真正銘、本物のロンネフェルト、アッサムマンガラムだった。芳香が漂う執務席で、笹野は現状について思考する。まずは、想定内の方向に事態は動き出した。佐伯雅臣についての情報は以前より収集してはいたが、意外と同期の葬儀に弔問する程度にはまともな人物だったようだ。これは彼の人物像について若干修正しておく必要がある。だがそのおかげで、無用な費用がかからず済んだのはありがたい。今すぐに電脳捜査課を再編しての捜査再開する事は恐らく無理だろう。だが、その間にも事態はよからぬ方へと進んでいく。そうならない様に何らかの手を打っておくことは重要だった。そう言う点では、身内ではない佐伯雅臣がどうなろうとこちらの腹は痛まなく、時間稼ぎ程度にはあの男は使えるだろう。まったく何が役に立つかは分からないものだ。何パターンかの推移を予測しておいて布石を打っておいたのも、捜査情報漏洩と言うわざとらしい芝居を打ったのも功を奏したわけだ。そして、死亡した捜査官と交友関係があった他の警官や元警官ではなく、佐伯雅臣を捕まえることが出来たと言うのはとても良い結果になったとしか言いようがない。これは恐らくそうなるであろう事なのだが、佐伯雅臣と繋がっているであろう電脳女王の力を佐伯雅臣を経由してうまく利用できるのではないか。少なくとも笹野はそう考えていた。




