表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚構の男  作者: HYG
3/17

虚構の男3

 照りつける太陽の日差しが肌を刺し、柔らかい潮風が体にまとわりつく。遠くから聞こえる波しぶきの音や、人々の歓声。

 佐伯雅臣は一人砂浜に腰かけ遠く水平線を眺める。その脇には無造作に置かれたサーフボードがあった。アメリカ合衆国フロリダ州のマイアミビーチ市、ノースビーチの天候は良好だった。海水で濡れた肌もほぼ乾き、まとわりついていた砂がパラパラと落ちる。雅臣が手を伸ばして地面の砂を掴むと、その隙間から流れ落ちる砂を見る。その砂はやがて砂浜に極小の砂山を作る。『全く、すごいもんだな……』雅臣は改めて感心する――この緻密に描写されたバースの砂浜に。

 今、雅臣が味わっているこのすべての感覚が、雅臣自身の補助電脳のインタフェースから入力されている電気信号が起こしているものだと頭で理解することはできるのだが、それでも只々驚くことしかできなかった。そして、この感覚を味わいつつも、本来の雅臣の肉体はVRポッド内で催眠状態で眠っていることにも。

 雅臣は今日初めてバースにINした時、最初は物珍しさから空間内の砂浜を走り回ったり、空間が描写する海に入ってみたり、そこでサーフィンをやってみたりもした。しかし、時間が経つにつれて感覚が空間内に慣れていくと、それは全く現実世界と変わらない物だと、脳の認識が折り合いをつけ始めていった。それほどに、“Cyberry社”が運営するこのリゾートバースは緻密に作られているのだった。これは全く持ってすごいことだと雅臣は思った。これだけの規模のリゾートバースをリアルタイムで認識できるように細部まで再現するなんて狂気の沙汰としか思えない。いったい、どれだけのリソースを使ってこのリゾートバースは再現されているのだろうか。

 雅臣は、Cyberry社が運営する“berryverse”は電脳空間内に存在する唯一の国家だと、Cyberry社CEOのマイケル・デュランが宣言していたのを思い出す。もちろんサービス開始当初はそんな世迷言を取り合う者もいなかったのだが、そんな評判はすぐに覆されたのだった。マイケル・デュランの宣言通りに、berryverseは電脳空間内に領土と経済力と軍事力を持っていたのだ。外部から接続可能かつ鉄壁なサイバー防壁を持つアドレス座標、電金と現金のトレードを可能とした為替取引所、そして何時いかなる時でも即座にサイバー攻撃を行うことも、外部からのサイバー攻撃を防ぐこともできる技術力とマシンパワー。berryverseはこれらを持つことによって今現在成功している唯一の電脳国家と成り得たのだ。berryverseはアカウントを持つ誰をも国民として向かい入れた。これら国民が支払うberryverse内コンテンツ利用料金や、そこで独自の経済活動を行った際に納める税金が、莫大な金額となってberryverse自体の維持費――厳密にはそれだけではないのだが、公称ではそう言うことになっている――となっていた。

 このberryverseを取り巻く複雑な状況が捜査活動に支障をきたすと、雅臣は現職だったころに本庁の電脳捜査課の連中に聞いた。berryverseは唯一アメリカ合衆国とだけ外交関係にあり、その外交窓口を他国に開くことは無いからだった。これは一説には、アメリカがberryverseにサイバー防衛の一部をアウトソーシングをしている、とも言われていた。

 何もかもが、とりとめのない話だと雅臣は思った。だが今日、このリゾートバースを初めて体験して雅臣はその片鱗を見たような気もした。

『どう? 楽しくやってる?』突然の思考チャットの呼びかけに、雅臣は振り向く。そこには、軽そうな着心地の半袖シャツにハーフパンツをまといビーチサンダルをはいた神田雄正のアバターが立っていた。『ああ、なかなか良いものだな。これは』雅臣は率直な感想を述べた。『自分がこんなにサーフィンが下手だとは思わなかったよ』実際、雅臣は本物のサーフボードさえも触ったことがなかった。

『そう? だから俺がノービスアクション(ゲームで言うところの初心者向け難易度)にしておけって言ったのに』

『ごもっとも』そう言いながらも雅臣はふと考えた。

 あの時に洋子と交わした約束の手前、バースでのサーフィンでも多少は練習になるのではと思い、そのあたりの事情に詳しそうな神田にことを相談して――洋子との約束のことは話してはいないが――現在に至るわけだが、これは意外と正解だったと思っていた。それにしてもあの時、なぜ俺はあんなことを言ったのだろうかと雅臣は思い返す。何も考えずにただ意味深なことを言って、洋子の事を煙に巻きたかったのだろうことは覚えているのだが、それにしてももう少し考えてからまともなことを言えば良かったなと。

『で、これからどうすんの? まだポッドの時間は一時間ぐらいあるけど……』神田は言い淀んでからつづけた。『他にもいろいろ体感出来るぜ』どうやらここではないバースに行きたいらしい。

『いや、今日はもういい』

『マジで? 二万もかかってるんだぜ。もったいないなぁ……』

『いいんだ。わざわざポッドを抑えてくれてありがとう』そう言うと、雅臣は思考コマンドでログアウトを入力する。

『またのご来場を、心からお待ちしております』女性の声の電子合成音が挨拶する中、雅臣の視界はゆっくりと暗転していく。

 やがて、意識がバースから現実世界に戻され、雅臣の視界が徐々に明度を増すポッド内照明で明るくなりそして、ゆっくりとポッドのふたが開く。体調に異常はない。バース内では感じられた体の疲労感もすっかりなくなっていた。雅臣は、首をかしげるとVRインタフェースを補助電脳から引き抜き、そしてゆっくと上体を起こす。そしてポッドから出ると、間接照明が淡く照らす室内にあるクローゼットまで近寄り、ナンバー入力式鍵を開ける。VRインナーから自分の服に着替えると、使用済みVRインナーをクローゼットの中にあるカゴに放り込む。何か盗られたものは無いか着衣のポケットを確認すると、雅臣は会計伝票を手に部屋から外に出た。

 雅臣がそのまま廊下を進もうとすると、背後の方から扉が開く音がする。「おいおい、そんなどんどん行くなよ。つれねぇなぁあ」神田が足早に雅臣の元にやってくる。この神田と言う男の態度も、初めてあった時と比べると随分柔らかくなったなと、雅臣は思った。「どうだった? 気に入ったなら今度FPS用バースで大会があるんだけど」そんな雅臣の考えなぞおかまいなしに神田は話し続ける。なるほど、やけに今日は親切だと思ったら本命はこっちの用事のほうだったのかと雅臣は理解した。だが、ここで興味のあるそぶりを見せると多分ろくなことにならない。

「わかった、その話はまた今度にしてくれ」そう返すと、雅臣は会計機に伝票を通す。

「追加料金はありません、ご利用ありがとうございました」そしてそのまま会計機の挨拶を背後に、雅臣は外へと出て歩き出した。雅臣を追って店から出た神田が叫ぶ。「今度っていつだよ!」

しかし、雅臣は振り返らずに右手を上げて振るだけだった。


 秋葉原駅周辺の地下に広がる地下街の地下四階に押し込められた電気街には、まだ若干の人通りがあった。時間はとうに十九時を過ぎており、平日の今日はこれから地上のオフィス街を取り巻く飲食店街の方へと賑やかに人出が移っていく。そんなことを思いながら、雅臣はコートのポケットから取り出した合成酒を一口煽ると、地上にある秋葉原駅へと足早に向かう。そして、上りのエスカレーターに乗るともう一口。飲酒した状態でのVRプレイは禁止されていたので、やっと人心地ついた感じがした。

 雅臣はこの後どうするかを、ぼやっと考える。特に急いで何かすることは無い気ままな一人暮らし、適当に夕食をすましてニュースや娯楽番組でも見ながらいつの間にか眠りに落ちる。翌朝目覚めたら、またその日に何をするかを考える。当分はそんな生活でも構わないと雅臣は思っていた。

 マネーカードをかざし駅の改札を抜けると、雅臣は<出島>――東京湾メガフロート――行きのリニアが到着するホームへ向かう。だが、向かう方向からは人波が押し寄せてくるところを見ると、どうやら上りか下りのリニアが到着した直後だったらしい。これは急いでも間に合わないことを理解し、雅臣は普通に進むことにした。階段を上りホームに出ると、やはりリニアは出発したばかりでホームは閑散としていた。この時間帯に<出島>に向かう人間は少なく、下り側の乗客は雅臣を含めて数人だった。雅臣はホームのベンチに腰掛けると、手近なホロビジョンに視線を移す。ホロビジョンはニュースヘッドラインを映し出していた。

『……』そんな雅臣の脳に思考チャットがアクセスする。

『洋子か?』雅臣の問い掛けに、洋子のアバターが視界内に姿を現す。

 洋子はことのほか神田を嫌っているため、雅臣の今日の予定を聞いた途端に雅臣の補助電脳との通信を切っていた。もっとも、雅臣にとってはその方が、普段の生活を覗き見られていないのでのんびりできるのだが。そうでなくても、雅臣自身の状態を監視して神田の元を離れたと知るや否や、こうしてすぐに表れる。今日はそんなに暇だったのだろうか。

『外出おつかれさまー』気だるそうな洋子の思考チャット。その言葉使いはさも、雅臣が神田と共に何をしていたかについて興味を持っていない風を装っていた。

『どうした? 何か用か?』雅臣は洋子に問いかける。

『別にぃ……』

 確かに、洋子が雅臣の補助電脳に通信接続して思考チャットをすることは、普段から何か意味がある行為ではない。彼女にとっては単なる暇つぶしなのだと、雅臣は思っていた。そして、しばし思考の沈黙が二人を隔てる。雅臣は、今日の洋子は珍しく大人しいと思った。いつもなら、とりとめのない些細な思考チャットが雅臣の脳に流れてくるのだが、今日はそうではなかった。そんなに今日、神田の所に行ったのが洋子の気に障ったのだろうか。

『あのさ……』思考の沈黙を破ったのは洋子のほうだった。『何か面白い話無い?』

『いや、特にはないな』

『そう……』洋子はそれ以上話を続けようとはしなかった。

 しょうがない、あまりこじらせる前に洋子の機嫌を取る方法でも考えておくかと思いながら、雅臣はぼんやりと見ていたニュースヘッドラインに突如見つけた文章に釘付けになった。

“……新見輸送㈱の河邉直人ら三人が死亡した昨日の追突事故は……”

『せんせー、どうかした?』雅臣の脳波を感知してか、洋子が雅臣に問いかける。

だが、雅臣の意識にはその問いかけはとどかなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ