虚構の男11
『うわー、すごいッスねー!』電脳捜査課の芳賀直子巡査は初めてINする日本リージョンの奇抜な風景や、さも自分の手足のように振舞う自身のアバターや、入力されてくる仮想知覚のデータに圧倒されていた。これは、彼女が今まで生きてきた中でも衝撃的な経験だった。
『……チッ、うるせぇなぁ……』そんな風にはしゃぎまくる芳賀を尻目に、電脳捜査課の田所賢悟巡査長は一人毒づいた。新藤課長の命令とは言え、自分がこの件を担当する事により課の――ひいては自分の――検索率が落ちる事がいささか気に食わなかったからだ。
補充要員として配属された新米のおもりをしつつ、バース内の監視対象トラフィック特定用のソフトで監視する。他人がやり残したこんな案件にかかるより課員が減った現状では、一旦それは保留にしてネット監視を強化するべきだと田所は考えていた。もちろん殉職した三人は気の毒だと思うし、彼らの為になるのならば少しぐらい骨を折ることはやぶさかではない。だが、死人はやり残した仕事の事なぞ気にはしないものだ。少なくとも、死人が現世に未練があるということなぞ田所は知りもしないし、自身が見たことも聞いたことも体験したこともなかった。こうやっている間にも、課のAI群は次々と監視対象として危険性があるかも知れない検索結果を上げてきているのだ。
サポート役に新米の芳賀がアサインされたことも気に入らなかった。捜査の基本も分かっていない新米が居たらサポートどころか足手まといになるに決まっている。そもそも芳賀の、電脳捜査課には馴染まない体育会系のノリが、田所の肌には合わなかった。加えて、課長に対して偉そうに指示を下すあの管理官の事も田所は気に入らなかった。課の貴重なリソースを使って得た成果も、あの管理官がすべて掠め取っていくのだからそれは当然のことだ。
もうこうなったら、こんな子供の使いのような仕事はさっさと終わらせて通常業務に戻ろう、田所はそう思った。まったく、バースにINするのはプライベートの時に限る……
『おらぁ! 遊びに来てんじゃないんだぞ、仕事だ仕事!』いらだちながら思考チャットを芳賀にとばすと、田所は課長から渡されたメモファイルに記載されているリンクポイントを展開させた。
『あ! なんッスか、それ?!』芳賀はリンクポイントに興味津々だった。
『いいからさっさと入れ!』そう言うと、田所のアバターがリンクポイントを覗き込んでいる芳賀のアバターを蹴り飛ばす。芳賀のアバターはリンクポイントの中に倒れこんだ。その後ろから田所もリンクポイントをくぐり、そして閉じる。そんな田所達が移動した先は、eスポーツスタジアム前の広場だった。
このスタジアムは多数のゲーム制作会社や銀行、カジノ運営会社の出資のもと、Cyberryが中心となって二十四時間三百六十五日休みなく運営されている。スタジアムは多元構成で何百ものステージを持ち、そこではリアルタイムであらゆる種目のeスポーツの試合が行われていた。これは、個々のリージョンで開催されているeスポーツのライブストリーミング配信に対して、相互のリージョンが干渉しないようにプログラミング設計されているためである。そして常にあらゆる種目のeスポーツの試合がビューイングスクリーンから、観客席から、あるいはプレミアムシートから観戦でき、そこから全てのeスポーツの試合に賭けることができた。ゲーム制作会社は、ここのスタジアムに自社のゲームが競技として採用されると、そのゲームの人気度合いに応じてゲーム使用料がスタジアムから支払われるようになっていた。捜査協力者の手はずによって、今日このスタジアムにBOGEYDOG が現われることになっていると、田所は課長から聞いていた。
スタジアムの壁のそこかしこに貼られているバナー広告が、今日のホットなゲームを告知する。人気の筆頭であるFPS、幻想世界の軍団が繰り広げる大規模戦闘、卓越した技術を駆使して戦う格闘ゲームや三次元的でテクニカルなコースを疾走するレースゲーム…… メジャーなものからマイナーなものまで、この世のありとあらゆるeスポーツの試合がこのスタジアムで観戦できるかの勢いで、バナー広告は目まぐるしくきらめく。
田所のアバターはおもむろにオブジェクトを取り出す。それは今日開催されるeスポーツのFPS、“SWATシミュレーター”で行われる“War Dogs vs BT”エキシビジョンマッチのプレミアムシート観戦チケットだった。このエキシビジョンマッチはチーム“BT”のスポンサーとされる謎の人物“M.Oome”が300万bv$を勝者に支払うと言う、とんでもない条件の対戦カードだった。その際の対戦相手の選抜条件が、100万bv$を参加費として支払えること、希望者が複数いた場合は抽選で対戦相手を決めることとなっていた。なるほど、課長が言っていた捜査協力者と言うのは意外と頭が切れて度胸があるやつなのかもしれない、と田所は思った。
『いきなり蹴るなんてひどいッス!、パワハラ!』立ち上がった芳賀のアバターが田所のアバターにまくし立てる。
『バカ! 仕事でINしてることが周りにバレるだろ。黙ってろ!』対して田所は本気で怒った思考チャットをフレンド設定でとばす。この新人は現場仕事に対する緊張感が欠けている。そして、それを今この場で指摘するほど田所は暇ではなかった。途端、芳賀もそれを察したのか、不満を押さえつつもあたりを見回して大人しくなった。
田所はオブジェクトとしてバース内に持ち込んだトラフィック特定用ソフトを起動する。このソフトは情科四研(科学警察研究所情報科学第四研究室の意。科学警察研究所は科警研とも)の連中がバース内で運用できるプラットフォームで作成したものらしい。オフライン環境でのテストは済ませてきたが、ここで問題なく使う事が出来るのだろうか。
『芳賀、ちょっとそれ、持ってみろ』そう言うと田所はソフトに付随しているマーカーオブジェクトを芳賀の方に放った。芳賀はすばやくマーカーをキャッチする。するとソフトのウィンドウに芳賀のアバターが送受信しているデータが表示され始めた――情科四研の連中を特別に疑っていたわけではなかったが、ソフト処理に問題はないようだ。
『芳賀、今お前が持ってるそのマーカーが周囲のデータ通信を拾ってその結果がこのウィンドウに表示されるようになっている。これがどういうことかわかるか?』田所は芳賀にたずねる。
『???、えーっと……』芳賀は賢明に答えを探す。『……盗聴?』
『なんだよ、わかってんじゃねぇか……』田所はちょっとだけ感心した。芳賀も彼女なりに今回のこの案件の概要をつかんでいたと言う訳だ。
『でも、田所さん……』『わかってる、言うな』田所は芳賀が言いそうになった言葉をさえぎると、さらにいくつかのマーカーを手渡す。『さっさと終わらせて帰るぞ』意を決した二人のアバターはスタジアムの入口へと向かう。
入り口をくぐりエントランスでチケットの認証を済ませた田所達のアバターは、エキシビジョンマッチが行われる会場に転送された。そこはすり鉢状に観客席が配置された競技場のような場所だった。開始時間一時間前、まだ観客席の込み具合もまばらだった。中央の対戦ステージは、両端にプレイヤー達の出入り口があり、中央にはキルハウスを模したオブジェクトが配置されていた。対戦ルールは対戦相手を全員打ち倒す殲滅戦で、三本先取したチームのが勝利となる。恐らく、ゲーム開始から素早く中央にあるキルハウス内に展開できたチームが有利になるのだろう。
今日のマッチでプレイされるSWATシミュレーターは、ホットゲーミング社が制作したリアル志向のFPSだ。FPSとしては標準的なゲームで特徴的なシステムがあるわけではなく、ただ単にVR空間内で可能な限り現実世界に近い銃撃戦やCQBを再現する物だが、古今東西の銃火器や防具等の個人装備がデータ化されており、プレイヤーは好きな装備を選んで戦うことができる。対戦ステージもあらかじめ登録されている基本ステージの他に、自作したステージでのプレイも可能である。そして特筆すべきは、その気になれば様々なシチュエーションをゲームシナリオとして作成しプレイすることが可能だと言う点だ。それが田所がこのゲームについて知っていることだった。このゲームを利用して対テロ対策のケーススタディを行うことができるとも言われていたが、そんなのは警備部の連中にやらせておけばいいと田所は考えていた。実際、バースにINしてもこのゲームをやる気になった事は無かった。
観客席の階段を降り二人のアバターは自分達の分として準備しておいたプレミアムシートの席に座った。プレミアムシートと言うだけあって、座席は前の方の対戦ステージがよく見える席だった。試合開始時間の二時間前にしては、もう観客席にはまばらにアバターが入りはじめている。これよりも遅かったら監視対象を特定する前に、観客として席を埋める他のアバターの通信データがトラィックを圧迫するところだっただろう。
田所のアバターが周囲を見渡す。スタジアム観客席の最上段に個別に仕切られたロイヤルボックスがあった。あの中のどれかは、今日行われる試合のチーム関係者――チームのオーナーやスポンサー――の席として割り当てられている。
『芳賀、お前あそこの階層にマーカー仕掛けて来い』そう言うと田所のアバターが目配せをする。『可能なら“War Dogs”関係者のボックスに、気付かれないように、重点的に』
『わかりました』芳賀のアバターもその方向に視線を送る。
『そうだ、これを使え。ここのコンパニオンが来ている衣装アイテムだ』そう言うと田所はアイテムオブジェクトを取り出し芳賀に渡す。
『え?』芳賀のアバターの視線が、この会場にいるコンパニオンを探す、そして理解した。会場にバニーガール姿のアバターが何体か歩き回っている事を。あの動きはどうやらAIがアバターを制御しているのように見えた。『……』
『どうした?』
『これって、セクハラじゃないッスよね?』芳賀の思考チャットによる問いかけには、微塵の緩さもなかった。
『アフォか!』思いもよらぬ芳賀の質問に、田所の思考チャットが感情的になった。『俺は下の試合場周りに行く。仕掛け終わったらこの席に戻って来いよ』田所のアバターは立ち上がると、会場の通路出入り口へと走って行った。
芳賀は釈然としないまま、同じく会場の通路出入り口へと向かった。




