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虚構の男  作者: HYG
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虚構の男1

 いくら昨今のVR(仮想現実)空間が現実世界をほぼ完全に描写できるとはいえ、空腹感や疲労感を解消する方法まではサポートされてはいない。いや、厳密にいうとそれは違い、空腹感や疲労感を感じないようにする電子ドラック的なコンテンツを利用すれば、それらの感覚をごまかすことはできる。しかし、そうまでしてVR空間に入り浸りコンテンツを消費したいという消費者心理は全く理解できない。

 河邉直人は漠然とそんなことを考えていた。それはもちろん、今現在、直人自身を襲うわずかな空腹感がそうさせていた。今日はINしてからもうどれくらいの時間が経ったのだろうか。直人は、思考コマンドで時計機能を確認する。すると視界内に、15:46と表示された。待ち合わせ時間はとうに過ぎているのだが、待ち人が現れる気配は一向になかった。まったく、電脳世界の住人の時間に対する意識というのはろくな者じゃあない。やはり、引きこもりとか呼ばれている一日中コンピュータモニタを眺めているヤツ等にはろくな者がいない。直人はアバター越しにVR空間内を見渡す。そこは3DCGで緻密に描画された広場で、実写系からジャパニメーション系やカトゥーン系まで様々なアバターをまとったプレイヤー達が溢れかえっていた。

『あんたが〝おとやん”さん?』直人に向けられたチャットメッセージが不意に視界内に表示される。

『ああ、そうだよ』直人は思考チャットを入力しながら、送られてきたチャットメッセージにカーソルを合わせてロックする。直人のアバターの視線がオートでメッセージ主のほうを向く。そこにはモーニングコートに身を包んで人の様に立つ、いかにも胡散臭いカトゥーン調のイヌのアバターがいた。その頭上には“BOGEYDOG”とハンドルネームが表示されている。

『“BOGEYDOG”でーす。“Kiyokiyo”から聞いて来たんだけど?』

『ここは人が多すぎるし、プライベートボックスに行こう』直人は二人だけでのチャットを提案した。

『それじゃ味気ないから、俺のお気に入りの場所に行こうぜ』しかし、BOGEYDOGは直人申し出を断った。

BOGEYDOGのアバターが手をかざすと、その空間にリンクポイントのマークが浮かび上がる。

『お先にどうぞ』BOGEYDOGがリンクポイントを指し示す。直人は促されるままに、そのリンクポイントをアバターの手で触れる。すると、表示されている背景が即座に変わった。どうやらそこは、照明が暗めのバーのボックス席のようだった。

『どう? なかなかいい感じのところだろう?』何時の間にか背後に表れていたBOGEYDOGのアバターは得意そうだった。『さぁ、そこに座って』

 実際にはアバターの描画が少し変わる程度のコマンドを、座ると表現する。直人は、この空間でのそんな感覚に居心地の悪さを覚えながらも、BOGEYDOGのに言われたとおりに自分のアバターをボックス席のソファーに着席させた。

『スペシャルを二つ持ってきて』BOGEYDOGは実写系で描画されているウェイトレスのアバターにそう言うと、同じくボックス席のソファーに座る。『おとやんさんはこの世界には慣れた?』BOGEYDOGは前置きなしに直人に質問した。

『質問の意図が良くわからないんだが』直人は警戒しながらも、それを気取られぬように言葉を選んで聞き返した。

『誰をモデルにしたのかわからない実写系のアバターは初心者が良く使うアバターなんでね。そういうのは大体がアカウント作成の時に自撮りした写真を3Dレンダリングしたアバターなんだ。そうなんだろう?』BOGEYDOGの説明に対して、直人は自分のアバター越しにただ見返すだけだった。『だから俺はアンタがここの初心者なんじゃあないかって思ったわけ』

『なるほど、確かにそうだ。よくわかったな』確かにBOGEYDOGの指摘は的を射ていると直人は思った。

『今の時代、自分の素顔をネットに晒すのは賢いやり方じゃあない。全部説明しなくてもわかるだろう?』BOGEYDOGのアバターが悪巧みの表情で顔を近づけてくる。『これは俺からの忠告だけど、身バレが嫌なら実写系のアバターはやめたほうがいい』BOGEYDOGは得意そうに講釈する。

 だが、直人も何も工夫なくこの世界にやって来た訳ではなかった。その工夫さえ見抜かれなければ、このふざけたアバターで挑発気味に振る舞う彼(?)を出し抜くことができるはずだ。

『確かに、そのほうがよさそうだな。それでアンタはそんなアバターにしてるのか? よくできてるな』直人は話をそらすべく、BOGEYDOGのアバターの出来について率直な感想を述べた。

『よくできてる? 本当にそう思う?』

『ああ、描画がすごく滑らかで自然に見えるよ。キャラクター自体の違和感は別にしてね』事実、直人には本当にそう見えたのだ。BOGEYDOGのアバターはいわゆる普通の3Dモデリングとは違い、キャラクターとしての見栄えを優先して描画されるトゥーンレンダリングが採用されていたのだが、それはどう動いても、どの角度から見てもBOGEYDOGのアバターの存在感を違和感なく描画していた。

『そう言ってもらえるとうれしいねぇ。苦労して作った甲斐があったよ』BOGEYDOGは素直に答えた。

『お待たせしました』ウェイトレスのアバターが、持ってきたトレーの上からドリンクを模したアイテムを二つテーブルに置く。『これは俺の驕りだ、おとやんさん』BOGEYDOGはそのうちの一つを取りながら言った。

 直人はこの儀式めいたやり取りに辟易としていたが、ここで固辞してBOGEYDOGの機嫌を損ねる必要もないと思い残りの一つを取った。BOGEYDOGのアバターはそれを見るとグラスを少し掲げてからドリンクをあおるモーションをする。直人のアバターもそれに習ってドリンクに口をつける。するとどうだろう、明らかに本当に飲んだわけではないのに、そのドリンクの味がするではないか。直人はもう一度確かめるために、アバター越しにそのドリンクを口にする。やはり味があった。一体どのようにして味覚情報を俺の脳に伝えているのだろうか?

『いいねぇ、その反応。苦労してプログラミングした甲斐があったよ』BOGEYDEOGのこの言葉に、直人は違和感を覚えた。確かさっき、自分のアバターを作ったと言っていた。そして、このドリンク状のアイテムもプログラミングしたと言った。それが、どれほどの技術力が必要なことかは、その方面の専門家では無い直人でも容易に想像がついた。だとすると、BOGEYDOGはただのギークではないということなのだろうか。

『じゃあ、そろそろ本題に入ろうか』そんな直人の思考を遮るかのようにBOGEYDOGが話しかけてきた。『おとやんさんは、俺になにをやってもらいたいわけ?』

 ここでもう少し駆け引きをすることは多分簡単な事なのだろうが、それで好機を逃してしまっては、苦労して手に入れた手がかりをもとにわざわざここまでやってきた意味が無くなってしまう。『KiyoKiyoさんに聞いたんだ。その、アンタがそっちの方面でかなり顔が効くってね、金の……、洗濯の……』直人は意を決して、当初の手筈通りに話題を切り出した。

『ふむ……』BOGEYDOGのアバターの動きが止まった。直人は唯々BOGEYDOGが答えるのを待つだけだった。

それと同時に、これまで、ここに至るまでに踏んできた手順に間違いはなかったはずだ、と思い返していた。『もっと面白い話かと思ってたんだけど、まぁいいか』BOGEYDOGが語りはじめた。『方法はいろいろあるよ』

『と言うと?』

『バース(Metaverseのverseから、この物語でのVR世界の俗称。Metaverseという言葉はSF作家ニール・スティーブンスンが提唱した)で使える電金(仮想通貨、造語)、VR空間内不動産、各種会員権、それからオリジナルアイテムの売買が一般的だね』

『なるほど』直人は答えつつも、おおむね予想通りの回答だと思った。そして、この場はもう少し揺さぶってみるかと付け加えた。『でも、俺が聞きたいことはそういうことじゃあないんだよ』またもBOGEYDOGのアバターの動きが止まる。

 彼は今、何を考えているのだろうか。そもそも、バースには様々な人物がいる。それは単純に娯楽コンテンツの消費が目的の者もいれば、逆に娯楽コンテンツを発表、提供して一山当てようとする者もいる。

バース内空間の見栄えを良くするべくアイテムを作成して売りに出す者もいれば、アバターのオリジナルスキンやオリジナルモーションを作って売りに出す者もいる。それ以外にも、バースでは様々なものが取引されているが、それは単にバース内で行われていると言うだけで、現実世界とは何ら変わらない純粋な商業活動なのだ。そして、現実世界と変わらないなら、もちろん裏の商業活動だって存在する。ならば今、BOGEYDOG自身を商売の相手と見込んで訪ねてくる人物がいても、それは何らおかしい事ではないではないか。何を迷っているのだろう、そう、直人は考えていた。しかし同時に、これはまだ向こうはこちら側の真意を測りかねているのだろうとも直人は感じ取った。今はただ相手の出方をうかがおう。

『ちなみに、アンタはどれくらいの規模の取引したいんだ?』やっと発せられたBOGEYDOGの質問はもっともなものだった。

『とりあえず、日本円にして一千万円分だ』直人は自身のアバターからこちらの表情を読まれないように細心の注意を払って答えた。

『まじで?』初めて驚いたかのような表情を見せるBOGEYDOGのアバター。だが、直人は何も答えなかった。もう少しだけBOGEYDOGの反応を伺ってから話を続けようと思ったからだ。

『さてさて、これは困ったぞ』直人の様子を見て何かを察したのか、BOGEYDOGのアバターは席を立ったかと思うと、目まぐるしく歩き出す。店内にいる他の客もBOGEYDOGの異常な動きに気付いたようだが、それらの反応はすぐに消え我関せずを決め込んだ。そしてBOGEYDOGは、店内を一通り歩きつくしたかと思うと猛スピードで席に戻ってきて、直人のアバターに思い切り顔を近づけて尋ねた。『それって、まっとうな金?』

『もしそうなら、わざわざ新規にアカウントを作ってこのバースにINしてアンタに会いに来たりしないさ』突発的なモーションで意表を突こうったってそうはいかない。直人は冷静に答える。

『違いない! あんたの言うとおりだ』BOGEYDOGはそう答えると、大げさなモーションでソファーに深々と座り、両腕を広げ背もたれに肘をかけリズミカルに指を動かす。このBOGEYDOGの人を小ばかにした発言やアバターの大げさなモーションが、リアルに描画されたVR空間と相まって、直人自身の思考をおぼろげなものにしてゆく。だが、このままヤツのペースにのまれてはいけない。

『さて、そろそろ真面目に本題に戻ってほしいんだが』直人は構わず会合の続きを促す。直人の発言を受けて、肩をすくめてやれやれと言った仕草をするBOGYDOGのアバター。『わかったわかった、真面目なビジネスの話といきますか。おとやんさんの希望を聞かせてくれ』

『そうだな、バース内で何らかのものを購入するのなら、その資産価値が急変動しないものがいいな。価値が上がってくれるなら大歓迎だ。それと、換金手続きは必要最小限なほうがいい』直人はあらかじめ考えていた要望を告げる。その内容ははたから見ても直人だけに都合の良い無理難題のように思われた。だが、あらかじめ提示しておいた運用金額は決して安いものではなかった。いわば、これはBOGEYDOGに対しての挑発でもあった。この要求に対して彼がどう言う反応をするかで彼の程度を量ることができるだろう、直人はそう考えていた。

『なるほど、それならうってつけのがあるから任せてくれ。ちなみに、俺に対する手数料は?』だがBOGEYDOGはそんな直人の思いもどこ吹く風で取引を詰めてくる。こいつはどこまで本気なのだろうか?

そんなことを考えながらも直人は相手にペースを握られないように答えた。『換金額の5%でどうだ?』

『それは安すぎる、20%は貰いたいね』

『おいおい、そっちこそ俺がバース初心者だと思って吹っかけてないか?』この程度の条件なら想定の範囲内だが、直人は気取られないように演技をつづけた。『仕方ない、10%だ。それに俺はとりあえず一千万円と言ったんだぞ。この意味、分かるよな?』こっちは儲けさせてやる側だ、という強い態度で直人は答えた。

『チッ!』舌打ちのモーションをするBOGEYDOGのアバター。そんなモーションまで作りこんでいるのか。いや、そんなモーションだからこそなのかと、直人は少し感心した。

『分かったよ、分かりました。その代り2回目以降は少し色を付けてくれよな』

『それは、アンタの仕事次第だよ』

『ちょっとすまない』BOGYDOGはそう言うと胸ポケットから携帯端末(を模したアイテム)を取り出して通話を始めた。直人は黙ってそれを見守る。

『……ふむふむ、そうか。分かった、知らせてくれてありがとう』程なく通話を終えるとBOGEYDOGのアバターは直人に告げる。『悪い知らせだ。アンタにとって』

『どういう意味だ? 取引は出来ないとか?』

『そうだね、俺も信用を無くすわけにはいかないからな。だって……』大げさなモーションの後にドヤ顔で言った。『アンタ、電脳捜査官なんだろ?』

 直人は血の気が引く思いだった。この会合に至るまでに細心の注意をはらってきたはずだ。いや、まだそうだと気付かれた訳では無いかもしれない。こうやってこちらの反応を見てカマをかけているだけなのかもしれない。それなら、ここで素直に認めるようなそぶりを見せたりするのはまだ早すぎる。そう言い聞かせながら、直人は何とかその場を取り繕おうとした。『何を言っているのかさっぱりだ』直人は何とか自身のアバターにやれやれと言ったモーションをさせた。今の直人にはそれが精いっぱいだった。

『とぼけても無駄だよ。俺、もう何もかも知ってるからさ』

『どういう意味だ?』

『今にわかるよ』

 BOGEYDOGがそう答えてから刹那、直人の視界が暗転した。


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