27.顔料
あの日、私がお茶をいれるために席を外している間に、オルトさんは所長さんやご隠居様など、その場にいた人たちにきちんと謝罪していたらしい。
それから、翌朝の連絡の時に所員のみなさんにも正式に謝罪して、オルトさんは通常業務に戻った。
マルさんはご実家でみっちり絞られた後、再教育を施されているそうだ。
まぁ、その前にご隠居様からもきっちり指導されたらしいけど……。ご隠居様の指導なんて、想像するだに恐ろしい……。
結局のところ、マルさんは魔術学校で取り巻きにちやほやされたあげく、自分やオルトさんは身分が高い上級貴族で特別だから、どっちつかずの無属性であろうと血筋は特別なんだっていう変な自尊心が拗れて、今回の問題に繋がったらしい。
マルさんのお母様はたいそうご立腹で、1人で何もできないような子が一丁前に偉そうなことを言うんじゃないって、啖呵を切ったとか。それで、自分で自分を律せないのは甘えがあるからだ! とお母様が奮起して、掃除や洗濯、その他マルさんが1人でできなければおかしいことをビシバシやらせているという。
それから、学校内での取り巻きの様子など、そういうことも問題になって、マルさんを取り巻いていた下級貴族の家にも通達が行ったらしく、マルさんの家に恩を売ろうと思っていた人々は顔を青くしたとかしないとか。
そんなことを、いつの間にか研究所の食堂に紛れていた「お父様」から聞かされて、オルトさんと顔を見合わせて苦笑する。
「今後コレに懲りて、勝手に恩を売ろうとする下級貴族が減ればいいのだがな……」
様々な話をしながら、素早く「なんちゃって酢豚」等をぺろりと完食して「お父様」は去って行った。当然、ニクス様もご一緒に完食していかれましたよ。
本日の夕飯は白飯、なんちゃって酢豚、キャベツのおひたし、中華風味なもやしスープ、それと16等分にしたスイカ1人1切れ。
え? 何が「なんちゃって」酢豚かって?
豚肉や具材を揚げずに作るから「なんちゃって」なの。揚げない代わりに豚肉は塩こしょうをしてから薄く粉をはたいてフライパンで焼き、野菜などの具材は茹でて、あとで甘酢あんと和えるだけ。前世、何かのお料理番組で見たの。サラッとしてて油っぽくないから、ご隠居様にも食べやすいし、酸味で口の中がさっぱりするって所員さん達にも割りと好評なのだ。暑いとさっぱりしたものがうれしいもんね。
この前、市場近くの商店街でケチャップを発見しちゃってさ~。これなら甘酢あんも楽に作れるわ~って私の中のおばちゃんが喜んじゃって、で、今回のなんちゃって酢豚になったの。
パイナップルは入れませんよ。この国で見たことないし。代わりに香りが強すぎない果物のジュースを隠し味にして、フルーティーさを出してます。
王都が内陸ってのがネックだけど、市場で大きなカニが見つかれば、今度はカニ玉でも作りたいな~。
でも、殻をむくのが大変か……。前世はカニ缶があったから楽だったよなぁ。天津飯、好きなのよね~。
あ、また、思考が脱線していた。……私も通常運転に戻ったらしい。
☆ ☆ ☆
さて、気づいたら、いつの間にか8月に入ってしまっていて、「通話器」の開発があまり進展していない状況にちょっと焦りを感じている。
しかし、普段通りの修理作業もあるし、複合魔法陣にかかり切りになるわけにもいかない。
それに新人のペーペーは雑用も多い。今日も「新人2人で行ってきて~」と所長さんからお使いを頼まれた。
魔力を通しやすい特殊顔料を納入している業者さんのとこの馬車が壊れて、特殊顔料が運べない事態に陥っているというのだ。馬車の修理に2~3日かかるので、その日数分だけ納入を待って欲しいとのこと。
特殊顔料って使われる事業所が限られてるから、業者さんもそんなに大きい商会じゃなくて、馬車も1台しかないんだって。
しかも馬車を引いていた馬さんがこの猛暑でバテ気味。荷車を借りて運ぶという案もあったそうだけど、馬車が直るまでの間はせめて休ませてやろう……となったらしい。
しかし、研究所に残っている特殊顔料は残りが少なくて心許ない。そこで、遅れる日数分の顔料を人力で運ぼうというのだ。
ただ運悪く今回は複数の得意先で納品日が重なったとかで、馬車が万全であれば問題ないはずが、そうもいかなくなってしまった。
その商会の従業員さんは、魔道具を生産している工場などに人力で納品に行っているとのこと。馬車と違って人力では運べる量が限られるために何往復もしなければならず、とにかく人手が足りないらしい。
そこで、オルトさんと私の新人コンビに白羽の矢が立ったわけである。
……真相は、所長さんが「ウチの若いもんに運ばせるから大丈夫!」と安請け合いしてたって、そばで業者とのやりとりを見てたリムネーさんからこっそり聞いた。
「衛兵さんの詰め所に荷車があったはずだから、それを借りて顔料を積んできてね~」
所長さんは事も無げに言い放った。見た目は美人なのに、けっこう人使いが荒い。……いや、美人だからか? 見た目が良いと周りが動いてくれたとか、それが普通だった?
しかし、ここで文句を言っても誰かが代わりに行かされるだけ。先輩の手を煩わせる訳にもいかない。私たち新人のがんばりどころだ。
オルトさんと2人、衛兵のおっちゃんに事情を説明し、荷車を借り受けた。
荷車は、前世のリヤカーを二回りほど小さくしたくらいの大きさ。それを引いて、2人で王城から商会まで歩く。
件の商会に着くと、土下座しそうな勢いで商会の主さんらしき人──ヒュドールさんというそうだ──が謝罪してきた。
「お手数をおかけして、本ッ当に申し訳ございません!」
案内されたのは倉庫とも作業場とも言えるような場所。聞いたら、ここで特殊顔料を製造して配送しているそうだ。
見れば、馬車が出入りできるような大きな扉の左横には緑色の石が山になっている。そのすぐ横に、石を砕くらしい魔道具が置かれていた。
なんでも緑色の石は魔力を通しやすい特殊な石で、これを粉末にして特殊な液体と練り合わせて顔料にするのだと説明された。この石の特徴は魔力は通すけど貯め込まないことだという。魔石みたいに魔力を貯め込む性質があると魔道具の経路に魔力を流す度に余分に魔力を吸われてしまうから、魔石を粉にして顔料に混ぜるのはダメなんだって。
「顔料が作られる様子を見せていただいて、ありがとうございます。思いがけず職場見学ができて、得した気分ですよ」
「そう言っていただけると心苦しさが和らぎます~」
ヒュドールさんはそう言って、上着の内ポケットからハンカチを取り出すと額の汗を拭き拭き、また頭を下げる。スキンヘッドなのは剃ってるから……っぽい。額を拭き終わると、後頭部までそのままツルンっとハンカチを滑らせた。
本気で「得した」って思ってるんだけど、社交辞令と受け取られたかな……?
時間がもったいないので謝罪はその辺にしてもらって、さっそく顔料を積み込むことにする。
特殊顔料は特殊な石と液体が原料だけあって、思ったより重かった。小さい子が砂場で使うちっちゃいバケツくらいの入れ物でも「何これ!?」というくらい重い。
なんでも特殊な液体は蒸発しやすいので、フタを開ければそこから顔料の乾燥が始まっていく。小分けにしてるのは、使い切るまで短時間で済むようにという配慮なんだそう。特殊な液体を使っているだけあって、水魔法では保湿しきれないのが難点なのだ。
確かにな~、でっかい入れ物のフタを開けて、そんなに使わないうちにカピカピになられたら残念過ぎるもんな~。しかも地味にお高い特殊顔料だし。
いつも研究所で使っているのは、この小分けのバケツ(?)から更に小分けにした瓶だ。各個人に瓶で配布して、特殊なペンに各自で詰めて使う。使った都度、瓶のフタはしっかり閉める。じゃないと、どんどん乾燥しちゃうからね。
瓶に入れて配布するのはご隠居様。みんなご隠居様のところへ空き瓶を持って行って顔料の入った瓶と交換してもらうのだ。……しかも、あまり頻繁にご隠居様のところへ顔料をもらいに行くと「私の修理作業の邪魔をするな」と言外に言われているかのような威圧感があって、「まさか無駄遣いしてるんじゃありませんよね?」と目が笑ってない笑顔で言われる恐ろしさ。
そんなわけで、みんななるべく節約しようと努力はしておりますよ、はい。修理する物によってはそうもいかないんだけどもね~。……だいぶ前に私が修理したライトなんて、配線に特殊顔料を何度も塗り直したから……ごにょごにょ。あんな恐ろしい思いはもう御免被りたい。記憶の彼方に葬り去りたい過去ではある。
さて、特殊顔料が入った小さいバケツ(?)を10個ほど積み込んだらけっこうな重さになったので、ヒュドールさんに「この程度でどれほど保ちますかね?」と尋ねたら、「魔道具研究所様でしたら、これで3日とは言えませんが2日は充分に保つかと思います」とのことだった。
どっちつかずは男でも女でもない体で、大人になりきらないから筋力もイマイチなのだ。ちゃんとした大人じゃなくても男なら違うんだろうなぁ~と遠い目になる。
「もしこれで馬車が直らないうちに足りなくなってしまいそうなら、また来ますね」
「はい、お待ちしております」
そう言いあってヒュドールさんの商会を辞した。
荷車を前で引く役と後ろで押す役を交代しながら、炎天下、汗だくになりつつ王城へ向かう。
道中、オルトさんが
「メランは凄いな~」
としみじみ呟いた。この人は何を言ってるんだろう? って顔で見やれば、
「だってさ、私なら、商会主殿とあんなに和やかに会話することはできなかったと思うんだ」
というお答え。
「え? けど思ってることを言っただけですし、今回は上手くかみ合っただけじゃないですかね?」
「そうなのか? ……じゃあ、そういうことにしておこうか」
納得いかない様子で、「絶対私には無理だ」と呟いているオルトさん。
あー、まぁ、オルトさんは元々が尊大な態度の方ですからねぇ。研究所に来たばっかりの頃よりは、今はだいぶ良くなったと思いますけど。
途中、ちょっとした上り坂が地味にキツくて休憩をとった。近くの屋台で飲み物を買ってきて、2人で一息つく。冷たい飲み物がうれしい。
用意してきていたタオルをオルトさんに渡せば、「メランの分は?」と聞かれたので、ちゃんと私の分もあると小さい猫マークのお気に入りのタオルを示した。
安心したような情けないような笑顔で「ありがとう」と言って、オルトさんは汗をぬぐう。
「自分では気がついていなかったけど、私もマルのように取り巻きに毒されていたのかもしれないな。メランから教わって、まだ全部ではないけど、自分で自分のことができるようになって、私ができることとできないことがハッキリして……。なんでも自分でできる気がしていたけど、そうじゃなかったってことに気がついた。自分一人では生きていけない、人というものはお互いに協力し合って生きているんだなと実感したら、貴族だから偉いとかそんなことを言うのはおかしいと分かった。身分が上の者に力があるのは、身分が下の者を扱き使うためじゃなく、私たち上の身分の者の生活を支えてくれている領民とか国民を守るためなんだって思った」
それから、と飲み物を飲み干して、オルトさんは続けた。
「前にメランがマルに言った、偉いのは親だってのと、自分の力でないものを振りかざすなっていう言葉は効いたな~。ハッとしたよ。私も自分の力でないもの、親の力だったものを自分の力と勘違いしていたんだなって」
あぁ、あのときの、あれ。……カッとして言っちゃったけど、思い返すとなんて偉そうなこと言ったんだと思う。恥ずかしい~。
「あ、あれは、カッとして偉そうなこと言っちゃいましたけど、恥ずかしいんで忘れて下さるとありがたいです~」
本気で涙目になってオルトさんを見れば、荷車の荷台に腰掛けたオルトさんがプッと吹き出した。
「アハハッ! 黒の顔が真っ赤だ。……今とあのときじゃ、勇ましさが全然違うね~」
だからあのときはカッとなってたんですって! もう言わないで~。
その後もオルトさんは時折思い出し笑いをするから、私はその度にちょっと拗ねたり、呆れた冷たい目で見てやったりした。
それでも2人で交代しながら荷車を引いたり押したりして魔道具研究所に帰りつくと、「汗だくじゃないの!」と所長さんに言われ、2人揃って浴場に放り込まれた。
「荷車はちゃんと返しておくから、しっかり汗を流しなさいね!」
「着替えとかどうすれば~~~っ!?」
と叫んだら、バスタオルが2枚、脱衣場に放り込まれ、
「今着ている服を洗って乾燥機にかけなさい」
と素気なく言われた。
オルトさんと顔を見合わせ、仕方ないねと服を脱いで洗濯機に放り込み、自分たちの体の方は洗い場でササッと洗ってから湯船に飛び込んだ。
さっきから、なんだか分からないけれど笑いが止まらない。
とんでもなく重たい顔料を2人で運びきったっていう達成感で、テンションがおかしなことになってるのかも。
2人でお湯を掛け合ったり、潜りっこしたり、泳いだり、はしゃいだ子どもみたいな真似をしてしまった。ご隠居様が見ていたら、絶対にお叱りを受けていただろうな~。
お風呂から上がった頃には、私たちのテンションもある程度は落ち着いたようだ。
「小さな子どもの頃に戻ったようだった」
「ふふ。お風呂で泳ぐとか、ご隠居様に見つかったら大目玉でしたね」
「本当だ」
2人で顔を見合わせて笑い合う。
「……メランと一緒にいるのが楽しい。こんなことは学校時代にもなかった」
「それなら、私はオルトさんの一番の友人と言ってもいいかもしれませんね」
「あぁ、そうだね。きっと『親友』と言っていいと思う」
「平民の私と?」
「メランはメランだ。私にとって、それ以外の何者でもない」
「……光栄です」
私が私だから良いんだと言われた。単純に嬉しかった。
それから、2人で洗い上がっていた服を乾燥機に入れ、服が乾燥するまでの間、バスタオルを体に巻き付けて髪の毛を乾かしたり、髪の毛を結い合ったりした。
オルトさんは三つ編みが初めてらしく、私が口で説明したけれどなかなか上手くできなくて、凄く歪になった髪型に、またクスクスと笑いが止まらなくなってしまう。
顔料を運ぶのは凄く疲れたけど、小さい子どもの頃に遊んだ暑い夏の日を思い出させるような、そんな1日だった。
読んでいただきまして、ありがとうございます。
また明日、朝5時に更新いたします。
ちなみに「なんちゃって酢豚」は生姜焼き用などの薄切り肉で充分ですよ。
ウチは切り落とし肉を使うか、鶏胸肉のそぎ切りで「酢鶏」にしてます。




