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25.光の線

 マルさん、滞在2日目。

 朝食を食べ終えた後に食器を片付ける所員を見て、不思議そうな顔をするマルさん。


研究所(ここ)では、自分で片付けをするんだよ」

「昨日も思ったのですが、使用人は何をしているのですか?」


 オルトさんが教えると、いかにも使用人の怠慢だと言わんばかりの様子。


「昨日も言ったでしょう? ここには使用人はいないから、自分のことは自分でしなくてはならないよって」

「では、私たちより身分の低い者がやれば良いことではないですか。あの、いかにも平民という雰囲気の方などに……」


 そう言って、私の方を見るマルさん。


「……マル、ここでは身分の差はないのだよ。そういう発言は控えなさい」


 ご隠居様がマルさんをそう窘める。

 食器が載ったトレーを手に立ち上がるオルトさんを見て、マルさんは諦めたように自分が使った食器を見よう見まねで片付け始めた。ついでに、こっそり私を睨むことも忘れない。

 ……はぁ~、やっぱり「上級貴族」って感じがビシバシとします。




 朝食後、私が思った通り、マルさんがひっついているおかげでオルトさんの髪の毛を結う時間はとれなかった。マルさん、私に対して威嚇してますって感じなんだもん。あれは近寄れないわ~。

 その日、オルトさんは髪の毛を鬱陶しそうに掻き上げながら、作業の様子などをマルさんに見せていた。




 私は午前中、普通に修理作業をして合間にノルマの魔石に魔力を入れ、午後はちょっと慌てて修理記録を書き、食事準備までの残り時間を複合魔法陣の改良に費やす。……と言ってもそれほど成果は上がらないんだけど。


 日中、マルさんはオルトさんにずーっとひっついたまま。昼食もお隣で食べていた。


 その様子を見ていて、私は少し迷っていた。

 今、マルさんとオルトさんはセットになっている。この状態でオルトさんにはいつも通り食事係補佐として普通に食事準備してもらう方がいいのか、それともマルさんがいる間はマルさんの世話に専念してもらった方がいいのか……。


 決めあぐねているうちに、夕食の準備をする時間になってしまった。


 オルトさんがいつものように厨房へ向かおうすると、もれなくマルさんもついてきたので、オルトさんが立ち止まってマルさんに向き合った。ご隠居様のところへ行くよう説得している。

 私は時間がもったいなくて、オルトさんを待たずに先に厨房へ入った。


 昨日は部屋の使い方(掃除など)や浴場の使い方(特に洗濯機など)を教えるという名目で、マルさんを厨房に近寄らせなかったんだけど、今日は口実がないから無理そうだなぁ……。

 仕方ない、一度厨房の中を経験させてみて、ダメそうだったらご隠居様かハルスさんにお願いしてマルさんの面倒をみてもらえばいいかな?


 その時はそんな感じで気軽に考えていた。




 厨房に入ってエプロンと三角巾を身につけて、手を念入りに洗う。

 私が作業前の準備をしていると、オルトさんが1人で厨房に入ってきた。


「マルさんはどうしました?」

「撒いてきた」


 そう言ったオルトさんはどこを走ってきたのか、ちょっと息が切れていた。

 時間がもったいないので、オルトさんも慌ててエプロン・三角巾を身につけ、念入りに手を洗い、それからニンジンの皮むきをするべく、ニンジンの山から1本取り出し、ピーラーで皮をむき始める。


「兄様! 何故(なぜ)兄様が使用人のような真似をしているのですか!? 兄様はそんなことをするべきではありません。兄様はそんなご身分ではないのですよ!」


 あちゃー、マルさんに見つかっちゃった!


「……マル。これは私がご隠居様から賜った仕事だ。それに研究所の中では身分は関係ないものとされているじゃないか」

「そんなこと関係ありません。兄様は兄様です。高貴な方なんです」

「…………マルは一番大切なことを忘れている。私はもう『ヴノ』だ」

「いいえ! 兄様はどんな状態であろうと兄様です。兄様は「マル、黙りなさい!」」


 オルトさんが苛立ったように、途中でマルさんの言葉を遮った。


「『兄様』ではなく『オルト』という呼び名をもらったと教えたはずだ。どうしていつまでも『兄様』のままなんだ!」

「だって、私には兄様は兄様でしかありませんから……」

「……話にならない。マルはもう黙って、口を出さないでくれ。そうでなければ、ここから出て行きなさい」


 私はマルさんとオルトさんの会話を聞きながら、黙々とカボチャを一口大に切る作業をしていた。


 今夜のスープはカボチャのポタージュだ。主食はパンで主菜はポークピカタ。キノコとパプリカのソテーと彩りでレタスを添える。あとはニンジンと大根の細切りサラダ。サラダにはみじん切りのカリカリベーコンを散らす。デザート代わりの果物は8等分したメロン1切れ。……どっちつかずの人って食が細いのよ~。多めに用意するから、メロンのおかわりが必要な人は言って!!!


 私がポークピカタとカボチャのポタージュの担当。オルトさんはメロンの切り分けとサラダの担当だ。一週間のメニューを決めたときに、役割分担もしてある。


 オルトさんがニンジンの皮むきを再開した。

 マルさんは唇を噛みしめて、キッと睨みつけるように黙々と作業する私たちを見ていた。


 鍋に水を入れてカボチャを煮始めると、それまで黙っていたマルさんが突然、ズカズカと私に近寄ってきた。刃物から手を離すのを待っていたのかもしれない。


「貴方、何!? 貴方がご隠居様にお願いして兄様をこんなことに引き込んだんでしょう!? 私から引き離すために!」


 なんだかよく分からないけれど、これは因縁をつけられているのかなぁ……?

 マルさんは激高しすぎて、感情的な思考しかできなくなっているのだろう。言ってることが妄想じみている。


「貴方なんてっ!!」


 バチーン! と音がして、目から火花が散った。

 自分が平手打ちされたのだと気がついたのは、遅れてやってきた頬の痛みからだった。


「マル! なんてことを!!」


 オルトさんがマルさんを羽交い締めにしようとするけど、マルさんはサッと身を捩って逃げた。


「……出て行ってください。作業の邪魔をする人は、厨房(ここ)には要りません。邪魔です!」


 私は作業を邪魔されたことに腹が立って、珍しく腹の底から声が出た。


「出て行くのは貴方の方だ! 異国の血の混じった人! どうせ平民なんでしょう?」

「……平民だからって何なんですか? 研究所内では身分は関係ありませんし、それが保証されているんです。貴族の権力を振りかざして、言うことを聞かせようたってダメですよ! 偉いのは貴方自身ではなくて、貴方の親御さんでしょう。貴方の力でないものを振りかざさないで下さい! さぁ、邪魔をするなら早く出て行って!」


 駄目押しに出入り口を指さして促せば、マルさんはぶるぶると拳を震えさせながら何かを言い返そうとしていたようだ。けれど、結局は何も言葉が出てこなかったのかダッと走って厨房から出て行った。

 私も頭に血が上ってしまったらしい。こういうときは黙々と料理で発散だ。怒りながら夕飯の準備を進めた。


 オルトさんがほっぺたのことを何か言っていたけれど、今は何も聞きたくないし答えたくなかった。頬が痛くてじんじんしている気もするが、それすらも気にならないほど感情が昂ぶっている。魔力も私の体の中で渦巻き始めた。

 ……ダメだ、落ち着け。今は料理のことだけ考えるんだ。まずキノコを小分けにして、次に豚肉の薄切りに塩こしょうと小麦粉を薄くはたいて、卵を割ってほぐして……。

 オルトさんの声が聞こえなかった振りをして、どんどん料理を作る。

 正直、自分が平民であることの惨めさとこの怒りがどこかへ行くまで放っておいて欲しい。

 平民の私なんか心配してないで、いとこ(マル)さんを優先させたら良いんだ!


 私の内心に渦巻くオルトさんへの文句はただの八つ当たり。うん、分かってる。でも、止まらない。だから口は開かない。黙って作業を続ける。

 そのうちオルトさんは呆れたか諦めたかしたようで、自分の作業を再開させた。


 夕飯に、マルさんは現れなかった。

 私の頬を見て、夕飯を食べに来たみんなが何かを言いたそうだったけれど、私の不機嫌オーラとオルトさんにひっついていたマルさんがいないことで何かを察したのか、黙っていてくれた。




 夕飯の片付けのとき、私はオルトさんに切り出した。


「これ、マルさんに持っていってあげて下さい」


 差し出したのはバゲットサンド。バゲットは、今朝パンをを届けに来た業者さんから試食品としていくつかいただいたもの。粉の配合を変えた新商品らしい。

 それに切り込みを入れて自家製からしマヨネーズを塗り、レタス・ハム・チーズ・トマトのスライスを挟んだ。バゲットは噛み応えがあって満腹感も得られると思う。


「それから、マルさんがいる間は、オルトさんはマルさんの世話に専念して下さい。食事係は私1人でもなんとかなりますから」

「……」

「あの様子では、マルさんはオルトさんが食事係補佐をしているなんて受け入れられないでしょうし、また邪魔をされたら適いません」

「……私は要らないのか?」

「……え?」

「メラン1人でなんとかなるって、実際そうだとは思う。けど、私の力は、存在は必要ないって、そう言うのか!?」

「違います! オルトさんがいてくれてどんなに私が助かってるか……。けど、今はそういう話をしているんではないんです」

「……結局は、私がいない方が良い、そういうことだろう!?」


 何か分からないけれど、私はオルトさんの地雷を踏んだらしい。オルトさんはそう言い残すとバゲットサンドをつかんで厨房から出て行ってしまった。


 はぁ……、やっちまったなぁ……。


 夕飯後の諸々が終わった後、私は研究所の外にいた。あの後、私1人で片付けをし、朝食の下ごしらえもした。

 研究所の入り口へ上がる小さな階段に座り込み、私は花壇に咲く花をぼんやりと見つめる。建物から漏れる明かりで、かろうじて見える程度だったけれど。


 私は膝に置いた袋を抱え直した。お風呂セットだ。

 少し前に浴場に行ったらオルトさんがマルさんと仲直りしている様子が見えて、顔をあわせるのが気まずかったから逃げてきたところ。やっぱりいとこ同士だから、仲直りも簡単なんだろうな……。


 誰かとこんな風に仲違いをした経験が今世では全然なかったから、今は感情の整理が追いつかない。実家での兄弟ゲンカなんて数のうちには入らないし。

 前世では何度かこういうことがあったけれど、相手は幼馴染みの気のおけない子だったし、どんなに酷いケンカをしても、仲直りもいつの間にかって感じだった。少し拗れても、何が地雷か分かってたから、ちゃんと謝れば大丈夫って安心感もあった。


 けど、オルトさんは私の幼馴染みでもなんでもないし、地雷が何なのかも私は知らない。それどころか本来ならずっと身分が上の人で、私のような平民が近寄れる相手でもない。

 それに単純に謝って許してもらう問題でもない気がする。

 だってオルトさんが要るとか要らないとか、そういう話じゃないのだ。

 マルさんが食事の準備をするオルトさんを受け入れられず、厨房にまで来て邪魔をすると言うなら、そんなのは御免被りたいだけだ。


 浴場で2人を見かけた後、部屋に戻ってシャワーを浴びてしまえば良かったのかもしれないが、なんとなくオルトさんの隣の部屋に戻るのが気詰まりな感じがして、部屋にも戻れなかった。気持ちが落ち着かない。落ち着かないと……。このままでは魔力が暴走してしまう……。


 魔術学校の最終学年の頃はただ落ち込むだけだったけれど、今はマルさんへの怒りも少なからず混じっていて感情の起伏が激しい。これはよくない兆候。


 私はこの感情から目を逸らすべく、周囲に目をやる。

 花壇は王城の裏山から持ってきたというユリの香りでいっぱいだ。衛兵のおっちゃんがそんなことを言ってたな、実家の庭にも同じ花が咲いていた気がする。あの頃は嗅ぎ慣れた香りだったから気にならなかったけれど、こんなに強い香りだったんだな……と思った。


 ふと隣に座る人の気配があって、横を見たらハルスさんだった。


「……ごめん、食後にのんびりお茶を飲んでいたら、話が聞こえてしまったんだ」


 食後のお茶は個人で好きに飲んでもらっている。だから厨房の隣の食堂にいたとしてもおかしくはないし、話が聞こえてしまうこともあるかもしれない。


「大丈夫、オルトはちゃんとメランの言いたいことは分かってるよ。でも怒ってしまった手前、メランにどう謝ったら良いか分からなくて、きまりが悪いだけなんだ」


 本当にそうならいいな……。

 その後しばらく、ハルスさんはただ黙って隣に座っていてくれた。


「そうだ、こんな時に役に立つよって、小さい頃、祖母から習った小さな魔法があるんだ」


 不意にそう言って、ハルスさんは地面に木ぎれで何かを書いた。そこにハルスさんが魔力を込めると、書いた線が光って浮かび上がる。やがてその光でできた線がふわりと空中を泳ぎだした。


『だいじょうぶ』


 光でできた線は文字だった。ハルスさんの書いた字がそのままの形で浮かび上がっている。ちょっと癖のある字。前世で見たアルファベットの筆記体のような。それが私から遠ざかったり近寄ったり、空中を泳ぐ魚のように。


「本当は花とか可愛い動物とか、絵の方が良いんだけど、生憎、私は絵が苦手でさ……」


 苦笑したハルスさんが、また何かを地面に書いて光の線にする。浮かび上がったそれは、幼稚園児が描いたトカゲかワニのように見えた。


「トカゲですか?」

「……猫のつもりだったんだけどな。メランは猫が好きなんでしょ? 前に猫がついた歯ブラシとタオルを買ってたから」


 あのシリーズ、覚えてましたか。歯ブラシは今でも同じシリーズで買い換えて使ってますよ。


 しかし、浮かび上がった絵は長い胴体に短い手足、バランスが悪い配置はどうひいき目に見ても猫ではなくてトカゲだ。

 トカゲのような猫が、私の周りを泳ぎ回る。元気出せって言ってるみたい。思わず笑い声が零れた。


「ハルスさん、絵が苦手って本当ですね。けど、ステキな魔法です。これは光魔法ですか?」

「うん。祖母が珍しい光属性でね。このくらいの小さな魔法なら無属性でも使えるからって、小さい頃に教えてくれたんだ。『お前は一番上(モノ)なんだから、兄弟がケンカして落ち込んでたら、これで元気づけてやるんだよ』って」

「ふふ。良いお祖母様ですね。本当に元気になりましたよ」

「でしょう? この魔法は兄弟にも好評だったんだ」

「そうでしょうね、心の中にも灯りが点ったような気がします。……ありがとうございます」


 ほんのちょっとした光魔法が、私の心を照らしてくれた。

 今度、光の魔法陣も研究してみよう……と考えて、私はやっぱり魔法陣オタクだな、と思った。




 その後、ハルスさんと一緒に浴場に行ったら、オルトさん達はもういなくなっていたので、安心してお風呂に入った。

 気持ちが落ち着いたのか、オルトさんの隣の部屋に戻るのも気にならなくなっていた。


 今日はハルスさんに助けてもらって、気持ちが上向いた。本当に感謝だ。

 明日はしっかり気持ちを入れ替えてがんばろうと思った。





読んでいただきまして、ありがとうございます。

また明日、朝5時に更新いたします。

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