15.箸
「その棒って、なんていう道具なの?」
ある朝、だし巻き卵を作るべく卵を菜箸でかき混ぜていたら、オルトさんが不思議そうに声をかけてきた。
オルトさんはナメコのお味噌汁に入れるお豆腐を切っているところ。
前に私が手のひらの上でトントントンとお豆腐を切って鍋に投入するのを見てたんだろうな。オルトさんは自分もそれをやろうとして、手の上でお豆腐を切りながら包丁を引いたもんだから、見事な血まみれのお豆腐ができましたとさ……思わず遠くを見る目になったわー。
まあね、初日に「包丁は押すか引くかして切るもの」ってお教えしましたよ? けどね、豆腐はそんなことしなくても切れるし、むしろ豆腐の下にある手のひらが危ないでしょうが!!!
お願いだから、まな板の上で切って下さい! ってお願いして現在に至る。切れた手のひらはご自分で治癒していただきました。血まみれ豆腐はよく洗って、オルトさん用にお肉と一緒に炒めて甘辛に味付けして食べてもらうことにしたから、オルトさんだけ一品多い。
ちなみに、私は少し煮込んだお豆腐が好きなので、お味噌汁のお豆腐は早くから投入する派です。……そんな派閥あるか知らんけど。
あ、そんなことよりお箸でしたね、見たことありませんでしたか? 昨日の休日、市場で東の国の行商人を見かけたので、買ってきちゃったの! あとね、鰹節と昆布も仕入れちゃったんで、それで今朝はだし巻きなの。昨夜から昆布を水につけるとかして準備は万端、早く朝にな~れってワクワクしてたのだ。
鰹節と昆布は滅多に手に入らないからね。鰹節を削る道具も買って来ちゃったよ!
ちなみに普段の味噌汁には、実家の祖母と同じく小魚の干したのやキノコの干したのを出汁に使っている。
それにこの前の市場巡りは米のお酒(日本酒的なヤツ!)とみりんを発見したから、それもラッキーだった。さっそく料理に使わせてもらいます!
昼食用の野菜スープ(さすがにナメコ汁とパンで昼食は厳しいと思ったので)の火を少し弱め、あくを取りながらオルトさんの質問に答える。
「東の国で使われている『菜箸』という道具です。炒め物に使ったり、何かを茹でるときにかき混ぜたりするのに使います。もう少し短いのは『箸』と言って、ご飯を食べるのに使います」
そう説明して、食事用のお箸も見せた。
昨日、市場でキレイな柄のお箸に一目惚れして、自分用に買ってしまったのだ。
「そういえば、メランのご家族が東の国出身だと言ってたっけ」
「はい。祖母が東の国出身です」
「……菜箸って便利なの?」
あー、箸を見慣れない人から見たら、ただの棒2本ですもんね。
「慣れれば便利ですよ~」
そう言って、卵焼き用のフライパン(昨日市場で……以下略)に卵液を流し込んで、菜箸でクルクル巻きながらだし巻きを焼いてみせる。
「……器用なんだね」
オルトさんはビックリして目を丸くする。
普段出してる味噌汁も、研究所のみんなはスプーンで飲むからなぁ……。研究所で箸を使えるのって、私くらいかも。
「それにしても、変わった形のオムレツだ……」
「だし巻きっていうんですよ。味見してみます?」
焼き上がったばかりのだし巻きを菜箸で一口大に切ってから、小皿に置いてオルトさんに差し出す。
「美味しい……! 食べたことがない味だ。それに菜箸って便利だね」
「この旨味が出た出汁は、特別な食材でないと作れないので、実家では特別な日の食べ物だったんですよ」
「へぇ~。……で、今日は何か特別な日なの?」
「いえいえ、何でもない日です。でも強いて言うなら、市場で東の国の行商人に出会えた記念って感じかなぁ~」
東の国の行商人さんに出会えなかったら鰹節も昆布も手に入らなかったし、美味しいだし巻きも作れなかったしね。
「私も箸が使えるようになりたいな」
その日の朝食で、箸を使う私の様子を見ていたオルトさんがそう呟いた。
それからすぐの太陽の日───前世で言うと日曜日───のこと。
その日、オルトさんは太陽の日の当番で勤務のはずだった。けど、数日前に体調が悪い(布団を蹴飛ばして風邪を引いたらしい)所員さん───よく聞いたらハルスさんだった───と休日を交換したそうで、ちょうど本日が休日になったとのこと。
私とオルトさんは、お互いに休日と言ってもどうせ食事係で食事の準備があるし、休日だけど一緒に行動しようかって話になった。バラバラに行動すると、食事準備に遅れたりすることがあるかもしれないからね。
朝食の後、私が市場に行く用事があると言ったら、オルトさんも行ってみたいと言い出した。
私としては短時間で用事を済ませるつもりだったから、午前中くらいはオルトさんにゆっくりしててもらおうと思ってたのに。
実はオルトさんは生まれてこの方、市場などには行ったことがないらしい。
考えてみればそうだよね、お貴族様が市場をフラフラ歩いて買い物とかしないよね。
上級貴族なら、買い物はお店の人が品物を持ってお屋敷に来るんでしょうし。……自分との身分差に思わず遠い目になっちゃうわ~。
朝食後に一度自室に戻り、着替えてから研究所の入り口で落ち合う。
あー、オルトさんの私服、目立たない色合いだけど、よく見ると生地が高そうな感じ。さすが上級貴族!
デニムっぽい生地の黒いクロップドパンツに、グレーのショールカラーの上着はカーディガンのようなそうでないような……。ごめん、前世おばちゃんの私にはオシャレを語る能力が足りないわ~。インナーのハイネックのシャツは青の細いボーダーで、さり気ないけど上質な物。
私なんて魔術学校時代と変わり映えしないおしゃれ感ゼロの安物の服だし、平民って感じ丸出しだし、オルトさんの隣を歩くの、嫌だな~……。
「そんな高そうな服を着てると、スリに狙われますよ」
で、つい、イヤミを言ってしまった……。そう言われたオルトさんの表情を見て、ものすごく反省した。
虚を突かれたような顔をした後に、すごく困った顔をしたから……。
慌てて、私が着古した薄手のコートを部屋から持ってきて、「これを上に着れば、少しは誤魔化せるかも……」と差し出す。
「ありがとう」
あぁっ、だからそんな笑顔でお礼なんて言わないで! 罪悪感が半端なさ過ぎる~!
……そんな感じで、私は罪悪感で重い足取りになりながら出かけたのだった。
で、市場に着いたら、オルトさんはワクワクと落ち着かない様子で、アレは何? コレは何? と見るもの見るもの質問攻めにしてきた。……貴方はどこの「おのぼりさん」ですか! てか、本物の紛う方なき「箱入り」だったのね。
私はいつも良くしてくれてる衛兵さん達や食堂のおばちゃん達に差し入れがしたくて、クッキーの材料を買いに来たのだけど、オルトさんがいちいち足を止めるので、なかなかそこまで辿り着けそうにない。
「あ、あれは箸じゃないか!?」
この前の人とは違う行商人さんが塗り箸やお椀、お盆などを売っていた。人が違うから当たり前だけど、品揃えもこの前とは違う。
「これ、キレイで好きだ」
オルトさんは持ち手の部分が菱形の模様に塗り分けられた箸に目をとめた。
うん、色合いも青から赤紫のグラデーションになるよう小さな菱形が塗り分けられていて素敵。
「これが欲しい」
そう言ってオルトさんは箸を購入した。
あ、お金を払うって事は知ってたんですね。えらい上級のお貴族様だと、侍従さんとかにお金管理してもらってて、自分ではお金を払ったことがないって人もちょくちょくいるみたいだから、ちょっとドキドキしてましたよ、私。
箸を購入したことで、オルトさんの興奮も少し落ち着いたようだ。……というか、大事に抱えた箸の包みが気になって、周りに目がいかなくなっただけみたい。
箸購入の後は、おとなしく私のあとをついてきてくれたので、無事に差し入れ用の食材をゲット。
研究所に戻って差し入れ作りをします!
……っと、その前に研究所に戻って昼食を食べたのだけど、オルトさんが箸を使いたいと言い出した。買ってきたばかりの箸を出して、箸の練習を兼ねて昼食を食べることに。
私をお手本にするから、私にも箸を使えと言う。えぇ、もう年上の方には逆らいません。好きにして下さい……。
だいたい想像はつくと思うが、オルトさんが昼食を食べ終わるのに大変な時間がかかったことは言うまでもない。
それにしても、バターを室温に戻そうと思って昼食前に出しておいたのだけど、しっかり室温になっていた。ある意味、時間がとれて良かったのかもしれない。
さて、気を取り直していきましょう。
「今日は休日なので、食事と関係ないけどお菓子を作ります」
「お菓子……?」
「クッキーです。お好きですか?」
「食べたことないかも」
え? お貴族様はクッキーなんて食べませんか???
「母上が甘いものは歯に悪いから……と、お菓子はほとんど食べさせてもらえなかった」
お母様……。お子様に少しくらいの甘味はあげて下さいよ~! 小さい子に甘いものを我慢させるとか、想像しただけでなんか涙が出そうになってきたわ。
「生地は甘さ控えめにして、オレンジピール入りとレーズン入り、ナッツ入りの3種類を作ろうと思います」
オルトさんが手伝いたいというので、バターに砂糖を加えてすり混ぜてもらう。その間に私は小麦粉をふるった。
バターが白っぽくなるまでですよって言ったら、おとなしく指示に従うオルトさん。ちょっと大きなわんこみたいで微笑ましい。
「本当に白っぽくなってきた……!」
何やら感動している人がいる。
まぁねぇ、バターが白っぽくなるとか、想像できなかったんでしょうね。私もそうだったから分かる。もちろん前世での話。
「じゃあ、溶き卵を混ぜましょう」
卵をつぶさずにキレイに割れるようになったオルトさんは、ちょっと得意気に卵を割って見せ、指示に従って溶き卵を作って混ぜた。少しずつ入れては混ぜる……ということを繰り返す。
きれいに混ざったところで粉を入れ、オレンジピールも加えてさっくりと混ぜてもらう。
「粉を入れてから混ぜすぎると、粘り気が出て固いクッキーになっちゃうので気をつけて下さい」
「え? そんなことで固くなるの?」
「はい。かじるのが大変なくらい固くなります」
真顔で言えば「それは大変だ……」と青い顔になるオルトさん。
「固くなったら、ミルクに浸してホイップした生クリームで和えると、少しは食べられるようになりますよ」
「……経験済み?」
「ええ」
遠くを見る目で答える私。
オルトさんも何かを察したのか、深くは追求しないでくれた。
その後、同じ生地を2回作って、一つにはレーズンを刻んだもの、最後の一つにはナッツ類を砕いたものを混ぜた。
型をとるのは面倒なので、のばした生地をナイフで3cm四方くらいの正方形に切り分け、天板に並べてオーブンで焼く。
焼き上がったクッキー3種類を、2人で一枚ずつ味見。
「このナッツのが香ばしくて一番好きかもしれない。でもオレンジのも捨てがたい……。いや、レーズンは苦手だったんだけど、これは食べられる。全部美味しいから、どれか一つなんて選べないかも。……うん、全部美味しいよ!」
オルトさんの笑顔、きましたー! そうしてれば天使様ですよね~。眼福眼福。
研究所のみなさんの分を取り分けて、残りは衛兵さんの詰め所と王城の食堂のおばちゃん達用に半分ずつ、それぞれラッピング。キレイな袋に入れて、ピンク色のリボンをかけただけだけど。
今日は休日で、少し手抜き料理にすることにしたから、夕食準備まではまだ少し時間がある。
さっそく、衛兵さんの詰め所と王城の食堂に持って行くことにした。
みなさん、喜んでくれると良いな~。
読んでいただきまして、ありがとうございます。
また明後日、朝5時に更新いたします。




