14.呼び名
あれ以来、魔石の魔力補充は順調だ。しかし、いかんせん所員が26人しかいないので、今は平民まで回すのは大変かなって話になっているそうだ。……先日は財務がちょっと浮かれすぎて、話が大きくなりすぎたってのもあるみたい。
数ヶ月に1度くらい、イベント的な感じでなら平民に売り出せるかもって話がある一方で、お貴族様の屋敷に引きこもってるどっちつかずな人たちを、なんとか研究所に呼べないかって話も出ているとか。単純に研究所の人数が増えれば、補充できる魔石も増えるから。
そんなこんなで国の上の方ではいろいろと画策しているところ……らしい。
どっちつかずを忌み嫌ってるお貴族様の所為で人前に出て来られなくなった無属性な人たちって、案外多いのかもしれないなぁ……。
なんにしても、利用できるとなったら声をかけるとか、虫がよすぎるんじゃないの? と面白くない気持ちがちょっとあって、それでも外に出てこられる人が少しでも増えるんなら、それはうれしいことだと思う気持ちも確かにあって、なんだか複雑な気分だ。
うん、きちんと感情を整理すれば、お貴族様に思うところはいろいろある。だけど、どっちつかずで無属性な研究所の仲間が増えるというなら、それは歓迎するよ~! って感じかな。
☆ ☆ ☆
「ヴノさん」
「はいはい、なんですか?」
えーっと、新人のヴノさんを呼んだはずが、何故かご隠居様がにこやかにお返事してくれた。
いや、お二人は親戚筋で同じ家名ですしね、お返事下さるのは理解できますけど、ご隠居様は「ご隠居様」とお呼びするんで、家名呼びには反応しないでいただきたいんですが~。
それとも、もしかしてバリバリ現役で修理作業に勤しんでいるのに、何故かみんなから「ご隠居様」と呼ばれるのは納得いかないという抗議のあらわれなんでしょうか???
……と脳内で高速思考していたら、周囲から声が上がった。
「ご隠居様~、そのお遊び、やめていただけると助かりますー」
「そうですよ。ご隠居様は『ご隠居様』としか呼ばないので、『ヴノ』の家名に反応されると困るんです~」
声を上げたのは、ちょっとお調子者のピュールさんと、生真面目なリムネーさん。お二人とも、ちょっと涙目になっている。
あ、この2人は所員さんの中では例外的にフードを下ろすのが平気な人たち。ご隠居様もだけどね。
「この前、私が新人の『ヴノ』を呼んだときも返事しましたよね?」
「昨日もです。ホント、困るんですよ~」
お調子者のピュールさんは薄茶の髪と水色の瞳で、ひょうきん者って感じのお顔。
生真面目なリムネーさんは茶色がかった赤髪と焦げ茶の瞳で、神経質そうな感じ。
この研究所の最長老であるご隠居様に意見するとか、ホントに恐れ多いもんねぇ。
いや、ホントにご隠居様を怒らすと怖いんだよ~。
この前のライトの修理の時、お高い特殊顔料を無駄遣いしてしまった私は、顔料を配布する係のご隠居様に「随分と顔料のなくなるのが早いですね?」と疑問を持たれ、理由を述べるよう求められた。
だってご隠居様、誰がいつ顔料の小瓶をもらって行ったか、ちゃんとノートに表を作ってまとめてるんだよ~。誤魔化しきれませんって。
その後、「何故そうなったのか」「自分の悪かったところは何処か」「今後は何に気をつけたら良いか」……などなど、目が笑ってない笑顔で小一時間きっちり問い詰められた。
あれは、トラウマになってもおかしくないレベルだったよ……。
先輩方2人が涙目なのに、ご隠居様ってば悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、知らんふりをしている。
「今まで同じ家名の人はいませんでしたし、不便を感じたことはなかったのですが……。仕方ありませんね。新人の方のヴノさんに呼び名をつけますか」
そんな三すくみだか四すくみだか、なんだか分からない状況に、所長さんが助け船を出してくれた。
「呼び名ですか……」
一般的に男でも女でもない時期は、ちゃんとした名前がない。だから普通は髪や目の色などの特徴であだ名のようなものをつける。ご隠居様は「ご隠居様」が呼び名だけど。
「……オルトロス」
私は思いついた言葉を口にする。
昔の言葉で「夜明け」と言う意味だ。赤みがかった金髪に紫色の瞳が、夜明けの色を想像させるから。
「夜明け、ね。いいんじゃない? 略して『オルト』はどう? それとも『トロ』とか『ロス』とかの方が短いし呼びやすくていい?」
所長さんが私の言葉に賛同する。みんなも納得の表情だ。
けど、トロとかロスって略し方はいかがなものかと思いますよ、所長さん。
「……『オルト』でお願いします」
ほら、ヴノさんもそう言ってるじゃないですか!
「えー? 『ロス』って格好良くない? 『トロ』も捨てがたいと思う~」
お調子者のピュールさんは黙ってて!
「……『オルト』で」
「よし、じゃあ『オルト』で決まりだね!」
ヴノさんが眉根を寄せて絞り出すようにもう一度言うと、所長さんが話を打ち切るように明るい声を出した。
「ついでにヒューレーの呼び名も決めとく?」
いや、ヒューレーって一人しかいないんで、呼び名はなくても良いんじゃないでしょうか?
……と思ったのに。
「じゃあ、ヒューレーは『メラン』だ」
ヴノさん改めオルトさんが、私の呼び名候補を口にする。
黒って、私の髪と目の色そのまんまですね……。まぁ、単純で良いかも?
「分かりやすくて良いね。黒も略して『メラ』とかにする?」
所長さん、その前世にあったどっかのRPGの魔法みたいな呼び名はやめてもらえませんか。黒焦げになりそうです……って口には出さないけどね。
「いやいや、元々短いですし、略さなくても! メランでいいですよ~」
「オルトとメラン。いいね、みんなにも教えてこようっと」
「これでご隠居様に絡まれなくて済む~」
「……何か言いましたか?」
「あぁーっ! ご隠居様、すみません!」
うっかり口を滑らせたピュールさんがご隠居様から突っ込まれて焦っていて、思わず笑ってしまった。
笑ってるうちに「オルトとメラン~」と言いながら、賑やかな声が遠ざかっていった。あー、こりゃすぐに呼び名が広まるなぁ、定着するのはいつ頃かなぁ……なんて、ぼんやり思った。
正直、呼び名が決まったからうれしいとか、そういう気持ちはなかった。
ただ、そうか……と思っただけ。
だって、男か女に変化すれば、「黒」なんて犬か猫につけるような呼び名じゃなく、ちゃんとした名前がもらえるんだもの。
「メラン」って呼び名が嫌なんじゃない。それは本当。親しみを持ってもらえてるんだと、ちゃんと分かるから。
ただ、ちゃんとした大人になれない自分が、ただ単純に、悲しくて悔しい。
表面上は取り繕ってなんでもないような顔をして、普段は忘れているけれど。
でも、不意に、どうしようもなく落ち込む瞬間がある。
それはきっと、この研究所にいる人なら誰でも思うことなのかもしれない。
もう少し時間が経てば、この気持ちに折り合いがついて、楽になれるのかもしれない。
でも、私はまだ、どこかで諦めきれなくて、どうしようもなく泣きたくなることがあるんだ。
前世で子どもができなかったことに心の折り合いがついたように、時間が経てば静かに凪いだ気持ちになって、どっちつかずでいることに諦めがついて、受け入れられるようになるんだろうか……。
☆ ☆ ☆
「オルトか、良い呼び名だね」
呼び名が決まった日の翌朝、すーっごく渋くて見目麗しいおじさまが、なぜか研究所の「会議もできる広間」改め「食堂」にいらっしゃって一緒に朝食を食べてるんですが、何がどうしてこうなった?
すごく上等そうな布地でできたお召し物の上品そうな方が、灰色ローブ集団に紛れてるのってすごく違和感あるんですけど~。
身なりや雰囲気からして、おじさまの身分が高すぎて本当なら平民の私と遭遇することすらないような方なんじゃないかと思われた。どう見ても雲の上の方って気がするし、私どもの作った食事なんて、お口に合わないのではないかと思うんですがどうでしょう。
「この料理をオルトが作ったの? すごいじゃないか。美味しいよ」
ヴノさん改めオルトさんは、スクランブルエッグが作れるようになりましたー!
チャラララチャッチャー! と、私の脳内で某RPGのレベルアップの効果音が流れたのは内緒。
ええ、スクランブルエッグの横のカリカリベーコンも、今朝はオルトさんが焼きましたけどね。
ところで、あの、その、食堂の壁際、おじさまのそばにいらっしゃる護衛と思われる騎士様には、朝食をお出ししなくていいんでしょうか……。直立不動で立っている様は強面の威圧感が半端ない! できれば、ご飯で懐柔してしまいたい!
それとも、もしかして、騎士様はこのようなところに来たくなかったという無言の抗議を、威圧感を醸し出すことで表してでもいるんでしょうか。
濃いグレーの髪に眼光鋭い琥珀の瞳が重苦しいです……。
「父上のお口に合ったようで、良かったです」
オルトさんはちょっと不機嫌そうだ。がんばって表情に出さないようにしてるみたい。言葉も感情を抑えてるせいか、えらく棒読みだった。
あ、この方はオルトさんのお父様なんですか、そうですか。
そう言われてみれば、瞳の色が同じ。顔立ちも目元とか、すっと通った鼻筋とか似てるかも。髪の色はちょっと違ってて、お父様は明るい琥珀色って感じの金髪だけど。
オルトさんのお父様の服装は、騎士様とほとんど一緒の型なんだけど、生地が全然違うし、刺繍の豪華さが違う。お父様の服の値段は騎士様の服の倍以上しそうな感じだもん。王城内では制服を着るのが通常だから、お父様のも制服なんだろうけど、絶対、高位の役職の方だと思います。
こんな雲上人って感じの人がお父様ってことは、やっぱりオルトさんはすっごい上級のお貴族様だったのね~……。
「元気にやっているようで安心した。また来る」
オルトさんのお父様はすごい勢いで朝食を完食し、あっという間にいなくなった。
「もう来なくて良い……」
オルトさんが小さく呟いたけど、オルトさんの隣にいた私以外に聞こえた様子はなかった。
でもさ、オルトさん。どっちつかずの属性なしになったとしても、家族がこうやって会いに来てくれるって、私にはうらやましいよ。他の所員さん達だって、きっと、そう思ってる。口には出さないけれどね。
いや、でも、落ち着いて周りをよく見渡せば、所員さん達みんな、オルトさんのお父様がいなくなって心底安堵って雰囲気になっている。
なんで!? 護衛の騎士様の威圧感が半端なかったから? それとも私が知らないだけで、オルトさんのお父様ってそんなに偉い人だったのかしら。
それにしても、そうか、あんな雲上人がお父様なら、魔術学校時代は取り巻きとかわんさかいたんだろうな。それで、何でもかんでも当たり前のように世話してくれて、洗濯機なんて使ったことがなかっただろうし、掃除もしたことなかったかもね……と今更ながらに納得した次第。
けど、そんな上級貴族であるオルトさんを取り巻いていた人たちも、きっと、どっちつかずで無属性なオルトさんには用はないと思ったんだろう。
今までの経験から言って、そういうことが容易く想像できる。
オルトさん自身のことを心底思って、本当の意味で仲良くしてくれた友人がいなかったんだとすると寂しすぎる。
本当の友人だと言える人がいなかったとすれば、その人達はみんな、オルトさん自身ではなく、オルトさんのお父様の身分が目当てだったということで。
オルトさんが研究所に来た初日、あんなに反抗的だったのも分かる気がする。ずっと仲が良い友人だと信じてた人たちが、次々と離れていってしまったんだろうから……。人間不信にもなるよね。
あんなに身分が高そうなお父様でなかったら、オルトさんをやたらとちやほやする友人だけでなく、本当の意味での友人だってできたと思う。
たぶん、お父様に反発したくなる気持ちも、どうしようもないんだろう……。まぁ、これは私の推察でしかないけれど。
お貴族様の行動なんてだいたい想像がつくから、この予想は当たらずとも遠からずなんじゃないかと確信している。
今はご隠居様の「賭け」にのせられて、オルトさんも反抗なんてしてる場合じゃないみたいだけど。
そういえばあのお父様、ご隠居様に挨拶するとき深々とお辞儀してたな。
雲上人が深々とお辞儀するとか、本当にご隠居様って何者なの!?
読んでいただきまして、ありがとうございます。
また明後日、朝5時に更新いたします。




