伊藤マンション203号室 小柳夫妻
夏のホラー2016投稿作品。
ジャンルはホラー(を馬鹿にした感じ)です。
怖くないです。
ここは裏野ハイツ…
という建物の裏の伊藤マンション。
小柳夫妻はこのマンションの203号室に住んでいた。
裏野ハイツのベランダは西向きで、このマンションのベランダも西向き。
そして裏野ハイツとの間に駐輪場、駐車場があって少し距離があり、なおかつ平行に建っているためベランダからは裏野ハイツの玄関口の方の全景が見える。
時期は8月。時刻は深夜9時を回っている。
小柳夫妻は風呂上がりにベランダで涼んでいた。
「あなた、お向かいの裏野ハイツって、幽霊が出るんですってよ。」
「本当かい妻よ、怖いねえ。」
夫は未だ熱を持った体に、左うちわであおいでいる。
妻は夫に寄り添うようにして佇み、裏野ハイツのほうを見ている。
「あそこの部屋に出るらしいわ、あなた。」
妻が202号室の部屋を指す。
「ここの正面の部屋じゃないか妻よ。怖いねえ。」
夫はそう言うと、下を向いて「ふう…」と息を吐いた。
その瞬間、202号室のドアの前に青白い顔のようなものが浮かび上がり、すぐ消えた。
「あ、あなた!幽霊よ!見えたわ!202号室の前!」
「え!?本当かい妻よ。今、目をそらしていて気づかなかったよ。」
「本当にいたのよ、あなた!」
「気のせいだったんじゃないのかい?何かの見間違いとか…」
あの顔のようなものは既に見えなくなっている。
「そうだったのかしら…?」
そう言われてみると、そんな気もする。今は見えないのだ。
「そうとも。幽霊なんて非科学的なもの、この世にいる訳なんてないさ。」
夫は再び下を向き「ふう…」と息を吐いた。
その瞬間、202号室の前に青白い半透明の顔が、今度はハッキリと見えた。
「あなた!今!顔が!」
「顔?私の顔に何か付いているのかい?」
夫が妻のほうへ向き直りながら右手で鼻のあたりを触る。
たまたま出来物のようなものが指先に触れた。
「あ、これか。」
「違うの!202号室よ!」
「202号室…?なんだ、幽霊のことだったのかい?」
夫が裏野ハイツのほうへ顔を向けた時には、既にあの顔は消えていた。
「今完全に顔が見えたわ!」
「私としては鼻のこれのほうが非常に気になるんだがねえ、妻よ。」
夫は鼻のイボ?をさする。
「今見えたのよ!幽霊よ、アレ!」
「信じたいけど…私は見ていないしねえ、妻よ。」
夫は再び下を向き「ふう…」と息を吐いた。
その瞬間、202号室のドアの前に半透明の青白い顔の人物の全身が見えた。
全身と言っても足は無かったが…
「あなた!あなた!カラダ!今度は顔だけじゃなく体が見えたわ!」
「また幽霊かい?妻よ。」
夫が見た時には、やはり消えていた。
「というか、あなた。息するのやめてくれない?」
「死ねというのかい?妻よ。」
「ごめんなさい、言葉が足らなかったわ。下を向いて息をするクセ、やめてくれないかしら?」
「そうかい。確かに『ため息は幸せが逃げていく』と聞くからねえ、妻よ。」
「どちらかというと『天丼は三回まで』という言葉のほうが正しいかしら…」
「ふむ。よくわからないけど了解した、妻よ。」
そういうと夫は下を向き「ふう…」と息を吐いた。
その瞬間、202号室の前に半透明の青白い顔の人物が見えた。
風もないのにゆらゆらと蠢き、気のせいか近づいて来ているように見える。
妻が咆える。
「うぁなたぁああああああああああ!!!」
「悪かった!今のは私が完璧に悪かった!!申し訳ない!!」
夫は妻に向かって平謝り。
拝むように土下座した。
もちろん、あの顔の人物は既に消えている。
「次ため息吐いたら離婚よ。」
「うえ!?マジかい?妻よ…」
「わかりましたか?」
「わかりました、妻よ…」
また、2人で202号室を見る。
夫は意識しすぎているせいか「ヒュー、ヒュー」という呼吸をしている。
そこに、少し強い風が吹いた。
「へっくしゅん!」
夫がくしゃみをした。
その瞬間、青白い顔の人物がこちらから数メートル先あたりに見えた。
ゆらゆらと左右に揺れている。
髪は腰の下あたりまで伸びていて、乱れた髪の間から見える目はどす黒く、抉られた窪みのようになっている。
表情は不気味に笑っているように見える。
「あなた!今幽!今幽!!」
「すまない、汗をかいてしまって今の風で寒気が…略し過ぎじゃないのかい?」
「絶対幽霊よ!しかも近づいているわ!」
「落ち着いてくれ、妻よ…っくしゅん!」
その瞬間、青白い顔の人物がベランダから手の届きそうな場所に見えた。
表情はハッキリと笑っていた。
今にもベランダの柵を掴もうとしている。
「あなた!あなた!居るわ!そばに!!」
夫が見ると、やはり居なくなった。
「おい、落ち着いてくれ、落ち着いてくれよ、妻よ…」
「きっと私を狙っているんだわ!だってそうじゃない?あなたが見てない時ばかりみてるなじゃない!」
「妻よ、落ち着いてくれ…近所迷惑になる。」
「何よ!もしかしたら私が殺されるかもしれないのよ!?落ち着いてなんかいられないわ!」
夫は扇いでいたうちわを置き、妻の肩を掴んだ。
「な…何よ。」
「目を閉じて…」
妻は戸惑いながらも夫の言う事に従う。
そして、ゆっくりと抱き寄せた。
「私が守る。大丈夫、大丈夫だから…」
「あ、あなた…」
「こうしよう。そのまま…目を閉じたまま、ゆっくりと裏野ハイツのほうへ向くんだ。
そして、ゆっくりと目を開く。幽霊が居なければそれで良いだろ?」
「う…」
「私も勿論見ている。それで良いだろ?」
「…うん。」
妻は夫からゆっくりと離れ、ゆっくりと裏野ハイツに向き直る。
そして、ゆっくりと目を開ける…
目の前には…
幽霊は居なかった。
「大丈夫だったろう?妻よ。」
夫も同じ方向を向いて話しかける。
「うん…」
夫は静かに微笑み…そして
下を向いて「ふう…」と息を吐いた。
その瞬間、妻の眼前に青白い顔。
殆ど触れるほどの距離にそれが現れた。
ひと際高い悲鳴が上がった。
「嫌!殺される!殺されて!埋められて!犯されて!悪い男に騙される!!」
妻はパニックになり、部屋に引っ込んだ。
幽霊は肩を震わせて笑っている。
「順番が逆だし、それなんかヤクザかなんかのやり口だ、妻よ。」と、声をかけようとした夫がそれに気付き、驚く。
今度は夫にもハッキリと見えた。
妻の目線に合わせたため高い位置には居るが、近くで見るとあまり大きくはない。
子供…?女の子の幽霊だろうか。
部屋の奥…台所だろうか?のほうから何かガチャガチャ聞こえた後、直ぐに妻が戻ってきた。
右手には銀色の細いものが握られている。
月明りでそれがギラリと光った。
「殺される位なら!一緒に死にましょう!」
幽霊がその様子を見て、ビックリしたような仕草をした。
「妻よ!わかった!居るから!そいつ居るから!!」
夫は側に立って?いる幽霊を指して喋る。
幽霊は低い位置まで降りていて、オロオロしている。
眼球が真っ黒なので、まるでウーパールーパーみたいな表情だ。
「どうせ死ぬのよ…」
妻はジリジリと夫との距離を縮めている。
「え~と、幽霊さん!?妻は殺さないよね?驚かそうとしてただけだよね?」
幽霊はコクコクと頷いている。
「ほら!ほら!殺さないって!幽霊が!!」
「見えてないんでしょ?今更何よ…!」
今度は妻のほうが幽霊を見ていない。
そしてここのマンションのベランダは、あまり広くない。
夫は喋りながらも後ずさりをして妻との距離を保っていたが、ついに端まで追い詰められた。
【非常時にはここを破って避難できます】と、書いてあるが後ろを向いている夫からは見えない。
「さあ…死ぬときは一緒よ…」
幽霊が必死に妻を止めようとしてくれている。
しかし、腰を掴もうとしても腕を掴もうとしても「スカッ、スカッ」と空振って、どうしようもない。
壁に追い詰めた夫に対して妻は振りかぶり、銀の獲物で心臓の辺りを一突き。
夫は「う…」と低く呻いて突かれた場所を両手でおさえながら、壁にもたれかかるようにして崩れ落ちた。
「さて…次はあたしね…」
幽霊は泣きそうになっていた。
妻はその場に座り込むと持っているものを両手で構え、切腹のようなポーズで突き刺した。
そのままグラリと前のめりに倒れる。
ベランダには2人の人間と1人?の幽霊。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
向かい側の建物から見ている夫婦を、驚かそうとしていただけなのに。
「うええ…」
幽霊はついに泣き出した。
しかし死人に口なし。
周りからは僅かな呼吸の音しか聞こえない。
…呼吸?
幽霊が夫のほうに向いた。
…確かに「ヒュー、ヒュー」という特徴的な呼吸音が聞こえる。
夫のほうへ近づくと、ふいに妻が状態を起こした。
「ドッキリ大成功~!」
声に驚き妻のほうを向いた。
腹を刺したはずなのに、傷どころか血すらも見えない。
ワンテンポ遅れて夫が「テッテレ~♪」と言って起き上がる。
二人とも全く出血していない。
「銀色の凶器の正体は、バターナイフでした~」
「トゥットゥル~♪」
幽霊は唖然としている。
「ビックリした?ビックリした?」
「妻よ、結構本気でいったろ。バターナイフで突かれた場所、アザになりそうだ。」
「ねえ今どんな気持ち?nidk?nidk?」
「妻よ、聞いているのかい?」
幽霊は気恥ずかしくなり、すうっと消えていった。
ここは裏野ハイツの裏のマンション。
日常的に心霊現象が起きるため、住民も霊の扱いに慣れてしまっている。
物件情報①裏野ハイツ
2階建てで各階3戸ずつ
築30年の木造で、「いかにも」な雰囲気がある
地元では有名な心霊スポットで、特に202号室に「出る」と言われている
物件情報②伊藤マンション
裏野ハイツの裏にあるマンション。
築15年と少しくらい。
6階建てで、各階6戸ずつ
鉄筋コンクリート造
売り文句の一つに「心霊スポットまで徒歩10秒!」というものがある。
「心霊スポット」とはもちろん、裏野ハイツのことである




