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巨大な螺旋を支える支柱は、中央にそそり立つ柱状の構造体から幾本も不定期な間隔を置いて水平方向に生えている。
どれも半ばで折れたように途切れるそれらの枝は、今や、もう水中に没して面影すらも残さず腐食してしまった瓦礫がまだ都市の一部として機能していた時代、似たような構造体同士を繋ぎとめておくための通路として機能していた箇所の名残らしかった。
そして、形ばかり残った橋梁の上に何者かが継ぎ足したこの螺旋の構造体もまた、やがて崩れ、遥か下方の水の中へといずれ没し、長い長い時間の中でとけてゆく。
茫洋とした空想にでも耽るように、その釣り人は、自前の巨体を、比較的太い支柱の中ほどにじっと腰掛けて動かなかった。仰ぎ見る高さの彼の耳にも届くようにと、少女は大きな声を張り上げて問う。
「つーれーまーすーかー?」
「……ご覧の、とおりさ」
化石のような背中越しの声は、その体格相応にのしりとして重々しかった。
釣り人の示すままに、傍らに置かれたの入れ物の縁に手をかけて覗く澱んだ水の中には、覚えのある面立ちがその眼を凝らすように細め、こちらを覗き返し浮かんでいるばかり。
「……ワタシのじいさまの、じいさまあたりが言うには、このあたりもな、昔はもっとたくさんサカナが、獲れたんだそうだ」
つぶやくような独り語りさえ魚籠の水面を震わせる。少女の顔が波紋の中に掻き消えたのと同じくして、突如、とがった背びれがぴしゃりと水の面を裂いた。
驚きに悲鳴を上げる間もなく尻餅をついた少女を脇目にみたものか、釣り人がかすかに愉快げに肩を揺らした。なだらかな背中を伝って、小石の欠片がぱらぱらと零れた。
「……いまじゃぁ、そのちっこいの程度が、たまにかかるくらいなもんでね」
「……食べられるかと思った……」
釣り人とっては確かに小物なのだろう。
『餌もないのにー? ぱくぱくとまーものずきねー。ご飯ないのなんてやーよやーよー』
「……エサなんぞ、つけようがつけまいが、たいして違いはせんもんさぁ」
穏やかに笑う釣り人の周囲には、餌を必要としなかった獲物が無造作に散らかり積み上げられていた。その中央に陣取る釣り人自身、そうした残骸の中にあって違和感がない。
「……ときに、お嬢さんがたは、上へ、向かわれるの、だったな」
うっそりとした質問に、目玉は騒ぎ、狼は黙し、少女は小さく首肯した。
その姿に何を得心したものか、釣り人は、己が身体の即部から多関節を有した副腕を伸ばすと、山積された瓦礫をかき回し始める。
「……ワタシのじいさまの、じいさまの……どのくらいまえだったかな。まぁ大昔のじいさまが釣り上げた獲物だと、きいている」
やがてその派手に埃の舞う中から、明らかにほかのガラクタとは異なる一振りを摘み上げると、少女の前にぶらりとそれを差し出してみせた。
刀身は中ほどで折れ、ことごとく潰れ、所々欠けてさえいる刃は本来のその役割など果たせなくなって幾久しいに違いない。かろうじて形と意匠を保っている柄の部分ばかりが、かつての用途を物語ってはいたが、とてもそれは剣などと呼べるような代物ではなかった。
「これは、お前さんのものでは、なかったかな」
釣り人の、紡錘の形をした頭部の先端、煌々とした緋色の単眼が少女をまっすぐ穏やかに見降ろす。
やがて、じっと硬直するばかりだった少女の腕がそっと、その鉄塊に伸びる。
刃全体を支えるにはいささか細すぎるようにも思われた柄は、しかしそれこそ当然のように、少女の小さな手のひらの内にぴたりとおさまった。そして剣全体を胸の中にかき抱くようにして、少女はしばし愛しむように顔を埋めた。
去り際に少女は、眼下の暗闇の、淡く照らされた水面の一点を指差しながら言った。
「あのあたりなら釣れると思いますよ」
はっきりとした口調で微笑みを向ける少女に、釣り人は淡々と訊ねた。
「……どうして、そう思いなさる」
わずかに横に首が横に振られる。
「前も、同じ場所で釣れましたから」
少女の瞳が深い色合いを帯びて釣り人を見上げた。ひどく遠い場所に向けて投げかけるような、そんな答えだった。
拾っていただいて、どうもありがとう。
最後に一言のお礼を言い残して、少女一行は釣り人の元を立ち去った。
またひとり残された釣り人は、手元の握りをついと絞る。
僅かな挙動に反して、竿の先が大きく振るう。びょうと空を切って響いた音が、今は遠い、少女の耳に届いたものかはわからない。
やがてその余韻も霧消し、再び、しんとした静寂が大気の中に満ちていく。
時折届く囁くような震えは風か、遥か階下の波の音かも定かではなかった。
もしかすれば、あの少女たちもまた、そうした類と同じく、この場に存在などしていなかったのかもしれない。
「……いやいや、なかなかどうして」
不意にひとりごちた釣り人が、うっそりとしたその声で重々しく笑った。
最初は微かに、徐々に大きく撓っていく竿の有機的な手ごたえに、釣り人は握りを強く構えなおす。少しづつ巻き上げられていく糸の、弦となって揺れる唸りが、曖昧だった震えの中に形を成していく様を確かに聞いた。
「……じいさまの……まぁ、昔話も与太じゃあなかったというわけだ」
曰く、大きなサカナを釣り上げたといういかにも釣り人らしい、古くからの語り草だった。
久方ぶりのアタリを引いた釣り人は、その幅広い肩を満足気に揺すると、竿の先にかかった獲物との静かな格闘に没頭しはじめる。
傍らの魚篭の中で、またぴしゃりと魚の尾びれが跳ねた。




