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轟音と共に水柱があがった。
ここには時折、老朽化によって限界を迎えた構造体の一部が落下してくる。
円筒状らしい吹き抜け構造のはるか上層から、底面を満たす藍色に澄んだ水の面へと吸い寄せられ呑み込まれていくそれらは、いつしか折り重なりうずたかく積もり、点々と小島のようないくつもの足場を湖面に形成していた。
水面に屹立する島々の間を白く輝くふたつの影が舞う。
踏み切りからのゆるやかな上昇と、服の間に空気をためて、はためかせながらの急速な自由落下。着地の一拍を、たん、という乾いた休符で刻みながら、一定のリズムが水面に満ちる凛とした空気の中に一瞬反響しては吸い込まれ消える。
着地の衝撃をばねに、連続して飛び移る要領で、少女と狼の彼は湖の上を危なげもなく、むしろその振れ幅を楽しんでいるかのように渡っていく。
「今度のはおおきいねぇ!」
喜色ばんだ声で少女は、重力に従い、すでにゆっくりと形を崩しつつあった水柱の頂を見上げた。
その視線の延長には、この円筒の壁面同士を繋ぐ架橋や、巡る配管、配線の類で複雑に絡み合った構造部が遥か高くに認められ、その更に向こう側には、時折ちらちらと淡く瞬く光源が垣間見えた。
その明かりは、上層の遮蔽物を通り過ぎる段階で拡散し、奇跡的な光の帯へと変化して、水面と群島の合間合間にまっすぐと、微かに煌く柱となって降り立つ。
湖面に反射し拡散したその光の粒子は、薄暗がりの空間全体を仄かな明るさで粛々と満たしていた。
ひと吼え、呼ぶ声に向き直ると、数歩分先の小島の上で狼の彼が少女を振り返り、立ち止まっていた。
普段にもまして憮然としているようも見える彼の表情を窺って少女は小首を傾げる。
やがて理由に思い当たったらしく黒目がちな瞳を見開いたが早いか、瓦礫の影から飛び出してきた球体が、少女の周囲をケタケタとした勢いで回転しはじめた。こぶし大ほどのそれは、ホログラムで投射した翼を広げ、少女の前で急激に速度を緩めると、そのまま眼球状の身体でもって、じっと少女の顔を覗き込んだ。
『あっれー、あれあれー、君ねー。そう君きみ。なんか覚えてる。見覚えあるね。知ってるね! いつだったかなぁ。もうだいぶ前になるんじゃないかなー。そうけっこう昔、今は昔? えっと、うんと、あーそうだ!』
次いで、ものすごい勢いで点滅信号を発信しながら、「彼」らしいその球体が明滅してみせたのは、一定の法則性を持った記号の羅列をコード化した……経過時間を示す数字の類だった。
『おそろいのお姉ちゃん! お久しぶりー。でもね、あれー。今はおそろいじゃないのね? ね? 残念だなぁ』
言葉とは裏腹になんとも愉快そうに光は弾む。
目玉の彼らは、自分たちの間で、それぞれの持つ情報を共有していく性質を有した種族だった。いくつかの群れに分かれてはいるようだが、それらもいずれ互いに交配を繰り返しては群れを再編し、分かれ、種族全体の統合情報を適度にずらしながら刷新していく。
しかし、この無邪気無神経な饒舌さだけは、どれだけ世代交代を経ても受け継がれ続ける彼らとしての本質なのか、一向、変わることがないらしい。
当然、対する少女の表情が僅かに強張った理由など眼中になしとばかりに、空中で器用に静止しながらくるくると騒がしく、機械の目玉は回転した。
「前はもうひとまわり大きかったっけ」
『けーはくにたんしょー、シェイプにアップなのさ! ちぎれた身体はいらないし、のう! アタマだけじゃドーにもコーにもにーちもさーちも、探し回るのもひと苦労。邪魔さ邪魔さ! 丁度よかったよぅ!』
のべつ幕なしの目玉に少々面食らい気味ではあった少女だったが、彼女にとってそのにぎやかさ自体は別段不快なものでもないらしい。
しかし一方で、寡黙を好むところの多く、先ほどからもずっと沈黙を保っていたもうひとりの随行者の彼は、そんなふたりのやりとりに、またひとくさり不満げに鼻を鳴らして、次の足場、また次の足場へと跳躍していく。
少女もまた、彼の後に続いて水上渡航を再開した。
やかましくしゃべくりながら少女に遅れずつきまとう目玉との受け答えのどこで、どちらがその話題を切り出したものか、定かではなかった。
『んー、あのー、あとー、あの後? おそろいのあと? あーだめだめ覚えてないの。ないんだって。のーでーたー。ほかの子にも今聞いてみたけどなーんにもノゥ。僕もすぐに、もう一度おそろいになっちゃったからねー。ぐしゃーって、ぐしゃー』
彼女と同じように破壊の憂き目にあったことすら、目玉にとっては堪能すべき記録情報の味覚であるらしかった。
「じゃあ、あいつがどうなったのかも覚えてたりしない?」
『あいつ? あいーつー、あ、くろいの! 黒いこね。全身ぴっちりでまっくろ!』
「そう、私と、そしてあなたの首を切り飛ばしたらしい、あいつ」
覚えはないかと。
あどけなさの抜けきらない声がどろりと問う。
渡る湖面の暗がりにあっては、本来その先に見えるだろう水平線と遠くの闇の区別もつけようがない。先を行く狼の彼の背中が、時折浮かんでは消えるばかりの前方、そのさらに遠くを、少女の瞳は茫と見据えている。
『でもね、でも、あれから一度も見てないねー、しらない。似たようなのもみんな知らない見てないって言ってたし。ボクもこの目で、目で! 見てないしねー』
僅かに寄っていた眉間の皺にも、そしてそれが落胆に緩んだことにも、少女自身は気がついていただろうか。
『イフいふ。もしかしたら、あいつ以外にはいないんじゃないかなー、たんどくはんのたんどくこーどー、それ以外には。他の邪魔者ならね、わさわさーって、けっこうあっちこっちそっち、まえよりいろんなところで見かけるようになったんだけどな、な!』
「……どのあたり」
『もっともっともっと上! だけどね!』
目玉の彼の気楽そうに言うそちらもそちらで、厄介な面倒ごとだった。
この場所に住み着く者たちの中で、少女のような有機的な身体を持つ存在は、比較的珍しい部類に入る。
この饒舌な目玉のように、体の全部、あるいはその大部分を機械部品で構成したたものたちの方が、種族としては圧倒的に多勢を占めており、かれらのほとんどは、この巨大な構造体に寄生しながら、自分自身をつつましく消化していくことに自らの時間を使い切る。
だが、当然として、そんなかれらを文字通りで食い物にしている面々もまた、割合としては少なからず存在していた。
食べられかけたこともあれば、食べられたこともあり、食べたこともある。この場に生を営むものたちにかせられた宿命のうち、もっともわかりやすい摂理がそれだった。
しかし、少女は腑に落ちなさげに言う。
「その手のとはまた違う気がするのよね」
『まっくろくろいのー?』
「食べられるときは、ひと呑みだもの」
捕食者はおおむね巨大であるか、加えて狡猾に群れを成す。
単独での襲撃、それも、首を狙って切り落とすなど、食事の作法としても、いささか胡乱に過ぎる手段ではあった。
ただ生きること、それ以外の目的を持って他者を害する種族など、淘汰されてもう久しいはずだった。
そこからは一転、目玉の彼の他愛ない独り言が朗々と、開けた湖上の大気の中に霧散していくばかりだった。
相槌を打てば、脈絡などわすれた話題を羅列し、かといって応えずにいればいたで盛大に文句を並べ立てる。退屈だけはしないその騒々しさに狼の彼が辟易したからか、少女のほうがそんな彼の性分をささやかに理解していたがためか、ふたりの距離はおのずから遠く、けれど見失いはしないほどの間隔を保ち開く。
当の目玉の本人ばかりは、そんな水面上のやりとりも意に介すことなどなしに、愉快な明滅を繰り返し続けた。
やがて話の種もひと段落つきようとするころ、遠くの暗闇の中に、ぽつりとひときわ大きな隆起が浮かび上がったのを認めた少女のつま先が、刻み続けていた飛翔のリズムをふと止める。
丁度、光帯の注ぐ位置に聳えたそれは、点在する瓦礫の卒塔婆とは異なり明らかに何者かの手が加わった古い時代の構造物だった。
その周りを取り巻くように接続された足場は、緩やかな螺旋を描きながら、少しづつ周回を広げ、上へ上へと、おぼろげなその輪郭を暗がりの中にねじ込んでいる。
目覚めのときと同じ、何かを思い出そうとでもするような曖昧な表情を浮かべ、光の中に佇む巨大な影を茫洋と見上げる少女。
そのどこか儚げに佇む姿を、その少し先に積もった足場の上で、狼の彼がただじっと無言のままに見つめていた。




