目覚め 01
「姫様、日は高く上がっていますよ。
今日もずいぶんとお寝坊さんですね」
第二王女付筆頭侍女、ルシア・セレイゾは、今日も声をかけながら、窓にかかった分厚い緞帳を引いた。
「皆さん、心配なさっていますよ。そろそろ起きて下さいな」
天蓋を覆う紗を心持ち空け、風を通す。いつもなら部屋に入るなり目を開ける王女だが、人事不省に陥っており、応えを返す声は無い。宮廷侍医が、過労と睡眠不足と極度の緊張による一時的な意識の混濁といってはいたが、今日で三日目。心配は募るばかりだ。
天蓋から垂れる薄い紗が揺れる。窓を少し開けたせいか、風に揺らめいたのだろう。
「・・・う・・ん」
寝台の中から声が聞こえた。あわててルシアは駆け寄る。
「・・・あ、れ・・・?」
大きく見開いた眼を、数回瞬く。どうやら、ルシアの主人ユーレリアは、状況を把握していないらしい。
「・・・ここ、は――」
「姫様の寝室ですわ。執務室で倒れられた後、こちらに移ってきたのです。
ご気分は、いかがですか?」
(いったい、何・・・?)
天野百合は、混乱していた。
したたかに打ち付けた額はまだ痛く、ずきずきとした痛みが、妙に現実感を誘う。が――
見慣れない、というか見たこともない天蓋付きの寝台。四方の柱はくどすぎないよう彫刻が入り、すかしの入った薄い紗が垂れ下がっている。びっくりして体を起こそうとすると、すかさずルシアが助け起こした。
(・・・由美子さん?! に、似てる・・・)
体を起こす際に、ずきりと、ひときわ頭が痛んだ。
かいがいしく背中にやわらかいクッションを当て、肩に薄物をかけたルシア。しかめられた眉を見ると、急いで立ち上がった。
「まあ、姫様。私としたことが、つい、忘れていました。
急いで侍医を呼んできますね」
軽く叩頭すると、ルシアは急いで部屋を出て行った。
「・・・はぁ――」
百合は緊張していたのか、彼女が出て行ったとたん、ため息をついた。
「一体全体、何がどうなってるのよ・・・」
いつもの癖で、頭をぷるぷると振った。が、額の痛みに悶絶する。
その痛みで思い出したことがある。たしか。自分は掃除機をかけていて・・・コードに足を引っ掛けて、額を机の角で強打。そのあと、夢を見たのだ。
小さい頃から時折、思い出したように見ていた、夢。ちょっと違った自分になれる夢。
今回はだいぶ成長していて、入れなかった父上の執務室に入っていた。そして・・・
「フランベルトと小競り合い、克の行方不明・・・。
って、まさか。ここ、エスファーン王国とか、言わないわよ・・・ね?」
思いついたこと、が、ある。思考に反応して、思わずぱっと手を見る。
この間、ざっくりと包丁を入れてしまった指の傷が、ない。主婦湿疹とアカギレで関節が太く、なっていない。それどころか爪がきちんと手入れされていて、きれいに磨かれている。
「ってことは・・・」
前ボタンになっていた寝間着の前をはだけて・・・
「張っていない、というか、おっぱいの気配、どこ?」
まだ三時間おきにあげている母乳のおかげで、ダイナマイツになっていた胸が、元のBカップにもどって、いた。いつもなら、パンパンに腫れて母乳が染み出していないとおかしいのだ。そして視線はそのまま下にむかい・・・。、
限界まで大きくなったお腹に走った、亀の甲羅の模様に似た、妊娠線。子供を産んだ後、中身がなくなったため、一気にしわしわになった下腹。だったのだが。
「妊娠線が、ない」
――トントン
呆然とつぶやいたところで、扉が叩かれた。
「どなた?」
あわててボタンを閉めながら、百合は声をかける。
「ルシア・セレイゾです。
宮廷侍医トライフォーン様をお連れしました」
「入って」
ざっと身支度を終えたことを確認し、答えを返す。
「ユーレリア殿下、おはようございます。お気分はいかがですか?」
ふわりと微笑みながら声をかける宮廷侍医トライフォーン。同年代ぐらいなのだろうか。赤みがかった茶色の短髪の、男装をしている女性。言葉遣いは丁寧なものの、その笑みには気安さが覗いている。
「・・・トライフォーン?」
「はい、殿下。
ちょっと失礼しますね」
手をとり、脈を計る。首に手を当て、腫れを確かめる。眼を診る。
「熱もなし。大丈夫そうですね。
他にどこか、痛いところなど、ありますか?」
「頭。
・・・というか、よく聞いてほしい。
貴方、誰? 私、誰? ここ、何処?」