それぞれの事情 02
――ガチャ、ガチャガチャガチャガチャ・・・
具足を身に着けた兵士が、角を曲がり、一心不乱に前を目指す。
・・・と足が止まり、目的らしい木製の扉を前に、拳を振り上げた。
――ドンドンッ、ドンドンッ
「殿下、急使でありますッ」
微妙にかすれ、緊張に裏返った声。
知っている者はすぐにわかる、戦の空気をまとったそれ。
「入れ」
誰可の別なく、早急に入室の許可が下り、兵士は扉を開ける。
そこは昼間でも薄暗い、陰鬱な部屋だった。
明かり取りのための窓は、小さく、上のほうにしかついておらず、あまり役に立っていない。
部屋の主は、と見回したが、視線を程よくはずしたところに揺らめく、燭台の明かりしか動くものはない。
「所属は?」
「第一軍属第七遊撃隊伝令、ロイス・グランドでありますぅ」
反射的に略礼をいれ、直立不動の姿勢をとる兵士。
「聞こう」
命じることに慣れた、声。固い口調ではあるが、女性の声である。
「先日、未明、フランベルトとの国境で起きた戦闘中、本陣に異変があり・・・
王太子マサール様以下第二部隊の行方がわからなくなっておりますッ」
兵士は途中言いよどみ、最後はほとんど怒鳴るように報告を終えた。
「・・・戦況は、どうなっている?」
何かを押し殺したような、小さな声が、兵士がびっくりするほど近くで聞こえた。部屋に分厚く敷かれた絨毯のためだろうか、足音もなく彼女は近づいてきていた。
彼女は、現在、この部屋のかりそめの主。ユーレリア・フレイ・エスファーン。エスファーン王国の第二王女その人である。
「将軍は、軍の掌握に努めています。マサール殿下をご自身の側付きとしておいて置かれていましたので、殿下のことに感づいている一般兵はおりません。知っている第二部隊は殿下と一緒に出奔・・・。第二隊まで鼠が紛れていないかぎり、まだ大丈夫かと思われます」
「あの子が傷付いていなければの話よね、それは。それで、戦況は?」
落ち着かない様子で部屋を歩き回りつつ、ユーレリアはつぶやく。。
「将軍が掌握している兵士は、約半数。ほぼ第一軍のみです。貴族の切り崩しにかかっていますが、手ごたえがあったのはその中でも三分の一程度といったところです」
「フランベルトの動きは?」
兵士よりずいぶんと身長の低い彼女は、顔を心持伏せ、考えをめぐらせるかのようにあたりを歩き回る。
「今のところ、ありません」
その言葉に、彼女の足が止まった。少しの空白の後、きっと、にらみつけるように兵士の顔を見つめる。
「これまで通り、王太子のことは伏せて置くように将軍には伝えなさい。国境にはかならず増援を派遣するから、二週間、いや、一週間待つように、とも。あとフランベルトにいれる細作を増やして、中央できな臭いことが起きていないかどうか調べなさい。それから、こちら側につかない領主はいらないから、そこにも細作をつけて探ること。
あと、は・・・。
王太子の捜索に、人手を割く必要は、ありません。それほどの余裕は、ないはずです」
「ですが、それでは」
彼女の言葉にびっくりした兵士は、思わず声を上げた。
「国境が片付いた後、王太子負傷の報をあげなさい。今下手に動いては、フランベルトに余計な情報を与えることになります。下手に動いて王太子を人質に取られては、なすすべもありません。
それに。
本陣での異変は、造反の領主が動いたと見ていいでしょう。王太子以下第二隊がこぞっていないのであれば、それに気づいて身を隠したのかもしれません。国境の小競り合いに乗じて、横から勝利をさらうような動きをするかもしれませんが、それはそのとき対応なさい。もしも、王太子の動きがないなら・・・」
彼女は不自然に言葉を切り、息を整える。
「すべて、国境を片付けた、そのあとで。
必ずマサールを、連れ帰りなさい。いいですか、必ず、ですよ」
声が、不自然に震えるのを両手で押さえ、彼女は言い募る。
「必ず、増援は送ります。一刻も早く、こちら側に有利に事を運び、マサールを連れ帰りなさい」
背を向け、だが毅然と前を向き、彼女は言い切った。その言葉に、兵士は無言で答礼する。
「いきなさい。そしてエスファーンに勝利を」
「はっ」
拍車をならし、答礼。兵士が退出し、扉が軽くきしみを上げたその部屋の中に残されたのは、彼女一人。
「父上・・・。
どうして逝かれたのですか。まだ、私たちには荷が重いのに。
どうして――どうして・・・!」
その言葉を聞く者は無く。
彼女の慟哭は、闇へと消えた。