それぞれの事情 01
もう、イヤだ。
百合は今年何度目かになるため息をついた。
そうやってため息をつくと、見開いた目の奥から涙がゆっくりあふれ出す。
もう、イヤだ。
そう思ってしまったとたん、抑えていた感情があとからじんわりと浮上する。
百合は涙といっしょに出てきた鼻水を乱暴にかみ、怒りと共にゴミ箱に投げ捨てた。
百合は主婦だ。夫と生後6ヶ月になる一人娘と、夫の両親の元で同居している。
持ち家付きの夫と結婚して、娘も生まれて。同居とはいえど幸せな部類に属するのだろうと、普段は思うようにしている。
だがしかし。それでも同居は頭が痛い。
理由として夫に告げられるのは些細なことだ。例えば、娘にはテレビを見せていないので、舅姑にはテレビを見せないで遊んでほしいとか、自分がご飯を食べるときは、娘もご飯を食べる練習になるので連れて行かないでほしいとか。
そして、夫に一蹴される。そんなのは無理だ、と。
同居はイヤだ、それをなんとかしようと思って話してはみるものの、夫とのコミニュケーションはうまくいかない。
本当は。家にいるだけで気詰まりなのだ。
百合自身が主婦として及第点ではないと自覚しているが、それをどうにかしようと思えないくらい、気詰まりなのだ。
舅姑は、やさしい、いい人だ。
いろいろと気を使って、便宜を図ってくれる。
だが、いっしょにいて何をするというのだろうか。本当の親子でもなかなか世代の溝は埋まらないと言うのに。娘に対するしつけのこと、子育てのこと。自分で考え、思うようにやりたいのだが、なかなかそうはいかない。
けれど、娘のことだけではないのだ。
ただただ、夫が家にいない、舅姑といっしょにいなくてはいけない、それが、気詰まりなのだ。
これは・・・経験しないと何ともいえないだろう。
夫は一緒に実家に帰ってくれず、たまに父母が近くに来たときだけ、気が向けば、会ってくれる。
そんな状態で、百合の気持ちをわかれというほうが、無理な話だ。
例えば、実家に帰ったときに娘を夫に預け父母を残し買い物でも出かけたら、その、いたたまれない気詰まりな気持ちを少しは理解してくれるかもしれないが。
もう、イヤだ。
ノイローゼにでもなったら、親子三人で暮らせるだろうかと、ため息をつきながら思う。
もう、イヤだ。
はじめから思っていたが、ここには自分の居場所は見つけられない。
けれど、その思いは夫には伝わらないわけで。
今日もため息をつきながら、部屋に掃除機をかける。
夫が嫌いなわけではない。
二人で暮らしていた時分には、うまくやっていたし、隣にいて安心できるし、一緒にいたいと思っている。
舅姑も、嫌いなわけではない。時折会う、近所に住んでいる、ならいい人たちだと思うし、夫の両親だ。大事にしたいとも思うだろう。
一緒に住んでいなければ。
一緒に住んでいなければ。
・・・ああ、危ないな。思考が空転しかけてる・・・。
掃除機に集中していないと、大声で叫びたくなってしまう自分を、半分乖離した意識で捕らえていると、その片隅に、泣き声が引っかかった。
・・・泣き声?ああ、いかなくちゃーー
娘の寝ているベビーベットのほうに意識を向けると、足に何かが引っかかった。
足、掃除機?・・・って、転ぶよ、これはーー
思わず手を前に出して、つんのめった体を守ろうと・・・
がつんっ
テーブルの縁に、したたかに額を打ちつけ、意識は暗転する。