第7話:裏切りのカクテル(フェイク・ハピネス)
第7話:裏切りのカクテル(フェイク・ハピネス)
「……猫が虎の皮を被ったところで、中身は猫のままですわ。佐々木さん、言葉遣いを正した程度で人間が変われるのなら、この世に地獄など存在いたしません」
準備室の窓から、夕陽が麗華の横顔を朱に染めていた。
「でも、父さんは変わろうとしてるんです! 先生に何がわかるんですか!」
「わかりますわ。……なぜなら、かつての私も、許されるために『殊勝な女』を演じる天才でしたから。……いいですか。標準語とは、彼にとっての『仮面』に過ぎません」
麗華は冷めた紅茶のカップを見つめ、自嘲気味に口角を上げた。
「その仮面が割れた時、現れるのは昨日よりも醜悪な怪物ですわよ」
その不吉な予言は、その夜、拓哉の目の前で現実となった。
「……何がお迎えじゃ。あのアマ、電話にも出やがらん」
リビングに響く、ドスの利いた広島弁。
テーブルには、拓哉の父・正雄が焼いたはずのハンバーグが、冷たく脂を浮かせて放置されていた。その横には、空になった焼酎のペットボトル。
「父さん……お酒、飲まないって約束……」
「やかましいわ! 誰に向かって口を利いとるんな!」
正雄が豹変した顔で立ち上がり、拓哉の胸ぐらを掴んで壁に叩きつけた。
「ワシがこんだけ頭下げて、酒も断って、仕事も真面目にやりよるいうのに……! どいつもこいつも、ワシをバカにしやがって! 拓哉、お前も内心、ワシを笑うとるんじゃろが! あああん!?」
それは「厳格な父」の仮面を被った、単なる弱虫の咆哮だった。
「あら。案外、早かったですわね。もう少し『更生ごっこ』が続くかと思っておりましたが」
玄関に、九条院麗華が立っていた。
その背後には、スタンガンを握りしめたさくらと、タブレットを構えた千尋が控えている。
「お前……。またあの女教師か。部外者はすっこんどれぇ! ぶち回すぞコラァ!」
「……さくらさん。おやりなさい」
麗華の静かな命令に、さくらが影のように踏み込んだ。
「……あんたに、この部屋は勿体ないよ」
さくらは正雄の腕を完璧に捕らえ、床にねじ伏せた。
「ぎゃあああ! 痛いっ、痛いけぇ! 離せ!」
「佐々木さん」
麗華は床に這いつくばる正雄を見下ろし、冷徹な広島弁を吐き捨てた。
「あんたのその言葉。広島の男が聞いたら、恥で顔が真っ赤になるわ。……子供を殴らにゃ自分の正しさを証明できんような男を、誰が敬う思うとんな? あんたが酒を断とうが何をしようが、その『腐った根性』を叩き直さんにゃ、家族は二度と戻ってこん。……一生、その安酒に溺れて、一人で腐りんさい」
麗華は震える拓哉の前に膝をつき、彼の冷えた手を、自らの白い手で包み込んだ。
「拓哉さん。……不味いでしょう? 偽りの幸福の味は。……もう、この男を許すことで、自分を殺すのはおやめなさい。あなたが守るべきは、この男のプライドではなく、あなたの『明日』ですわ」
拓哉は、冷え切ったハンバーグを見つめ、声を上げて泣いた。
それは、父という呪いから解放された、最初の一歩だった。




