第50話:『虚無の陥没(ロイヤル・ディグ)』
「……あら。随分と、不細工に『深い』落とし穴ですわね」
錦大島学園の校庭。放課後の静寂を破り、そこには直径二メートル近い巨大な「穴」が穿たれていた。
泥にまみれ、職員室で教師たちに「何の意味があるんだ!」「器物損壊だ!」と罵倒された少年・泰久は、一言も発さず、ただ虚ろな目でその穴を見つめていた。
「先生……。あいつ、そのまま学校のフェンスを越えて消えちまいました。……あんなに必死に穴を掘るなんて、まるで自分を埋める場所を探してるみたいで……」
穂井田が、不安そうに麗華の隣で呟く。
「……自分を埋める? ……いいえ、穂井田さん。……彼は何かを隠したいのではありませんわ。……この山口という、伝統と血筋に塗り固められた息苦しい『地表』から、逃げ出したかっただけですわよ」
麗華は、高級なハイヒールを泥に沈ませながら、穴の淵に立った。
底には、折れたシャベルと、血の滲んだ軍手が落ちていた。
「……加藤さん。……岩国の港、あるいは錦川の河川敷……。……『穴』を掘るのをやめた人間が、次に向かうのは『境界線』ですわ。……バイクを出しなさいな。……私の庭で、勝手に『不細工な退場』を決め込むのは許しませんわよ」
加藤のバイクが夕闇を切り裂き、岩国の海岸線へと向かう。
そこには、波打ち際で力なく座り込む泰久の姿があった。
「……先生。……俺、もう嫌なんだ。……毛利の親戚だ、岩国の名門だ……。……みんな俺の上に勝手に看板を立てて、俺自身がどこにいるのか、もう見えないんだよ。……いっそ、深い穴を掘って、底で一人になりたかったんだ……」
「お黙んなさい」
麗華の声が、潮騒を圧して響き渡る。
彼女はバイクから降りると、泥のついた泰久の頬を、真っ白な手袋で包み込んだ。
「おんどれ、ええか」
麗華の広島弁が、山口の海を焦がす。
「……穴を掘って逃げたつもりか。……それはな、あんたの『可能性』を土に埋めとるだけじゃ! ……上が重たいんなら、穴を掘るんじゃなく、その不細工な看板を蹴り飛ばして、空へ這い上がってきんさいや!!」
泰久が、ハッと顔を上げる。
「……山口の地面は固いかもしれん。……じゃがな、九条院麗華が、あんたの掘った穴に『梯子』をかけて差し上げますわ。……その穴を、逃げ場ではなく、高く跳ぶための『踏切』に変える覚悟……ありますの?」
泰久の瞳に、初めて小さな火が灯る。
その時。
背後から、毛利本家の私兵を連れた監査官たちが現れた。
『――九条院先生。……脱走した生徒の保護、ご苦労様。……ですが、校庭を汚した責任、そして一族の面汚しである泰久の処遇……。……そろそろ、あなたの『教育ごっこ』の賞味期限も切れたようですね』
女王の山口編、最終局面。
穴に落ちた少年を救い出した麗華の前に、ついに「本丸」の巨大な影が立ちはだかる。




