第42話:『飢えた獅子の晩餐(ロイヤル・ブレックファスト)』
山口県岩国市。錦川のせせらぎが聞こえるその街の片隅にある、古びたアパートの一室。
麗華は、高級なシルクのブラウスの袖を優雅に捲り上げ、鼻をつくインスタント麺の残骸と、埃の積まったキッチンを冷徹な瞳で見つめていた。
「……あら。随分と、不細工な『砂漠』ですわね、敏治さん」
部屋の主、敏治は、学校指定のジャージを羽織ったまま、ベッドの端で小さく肩をすぼめていた。
彼の母親は夜通し工場で働き、朝帰ってきては眠りにつく。食卓には千円札が一枚置かれているだけ。それが、彼の「日常」だった。
「……先生、放っておいてくれよ。……飯なんて、腹が膨れれば何だっていいんだ。……どうせ俺みたいなアイアン(落ちこぼれ)は、エネルギー効率さえ良ければ十分なんだから」
「お黙んなさい」
麗華の閉じた扇子が、敏治の額を鋭く、けれど愛を込めて叩いた。
「おんどれ、ええか」
麗華の広島弁が、狭いアパートの空気を震わせる。
「……自分の身体を、ただの機械だと思うてんじゃあないわ。……何を食べるかは、どう生きるかということ。……不細工な栄養失調で、ガタの来た魂を抱えて、何が『錦大島』の志じゃ!!」
麗華は、持参していたバスケットから、厳選された岩国特産の食材を取り出した。
泥のついた蓮根、獲れたての小魚、そして九条院家御用達の最高級の味噌。
「……さあ、見なさい。……統治とは、領土を広げることではありません。……目の前の一皿を、己の誇りに相応しいものへと作り変えることですわ」
麗華は手際よく、蓮根を厚切りにし、香ばしく焼き上げた。
地元の「岩国寿司」を簡略化しながらも、栄養価を極限まで高めた『九条院流・朝の特効薬』。
その香りが部屋に広がると、敏治の胃が、本能に突き動かされるように鳴った。
「……食いんさい、敏治さん。……あんたの空っぽの胃に、山口の地の力と、九条院の気高さを叩き込んで差し上げますわ」
敏治は、震える手で箸を取り、蓮根を口にした。
シャキシャキとした食感と、深い出汁の旨味。彼が忘れていた「温かい食事」が、冷え切った身体の芯を溶かしていく。
「……うまい。……先生、これ……すごく、あったかいよ……」
涙を流しながら食べる敏治の横で、麗華は優雅に椅子を引き、座った。
「……あら。当然ですわ。……私の庭で、飢えて枯れる花など一輪も認めませんから。……明日からは、あなたがこのキッチンを『統治』なさい。……レシピと予算管理は、私が厳しく指導して差し上げますわよ」
その時。
アパートの下に、数台の黒塗りの車が停まった。
山口の政界を牛耳る名家、毛利一族の息がかかった「学園監査官」たちが、麗華の「家庭訪問」を問題視して現れたのだ。
「……ふん。……不細工な邪魔者が来ましたわね。……敏治さん、食事はゆっくり続けなさい。……外のゴミ掃除は、私が片付けてまいりますから」
女王の山口編、第一の戦い。
それは、少年の朝食を守るための「聖戦」から始まった。




