第40話:女王の贈る言葉
三月、岡山の空は涙を堪えるように白く霞んでいた。
藤ヶ峰高校の講堂。厳かな式典が終わり、生徒たちがそれぞれの教室へ戻る中、3年B組だけは異様な熱気と、そして深い沈黙に包まれていた。
ガラリと扉が開く。
そこには、産後の静養を終えた雪乃が、胸に小さな歩を抱いて座っていた。
「……先生。約束通り、みんなで卒業しに来ました」
その隣には、誇らしげに、けれど少し照れくさそうに彼女を支える保。
そして、最前列には空席が一つ。そこには、洋一の遺影と、彼が最後まで解き続けていた数学のノートが置かれていた。
「……あら。随分と、不細工に『賑やか』な教室ですわね。……卒業式だというのに、赤ん坊の泣き声と、死者の沈黙が同居しているなんて」
麗華は教壇に立ち、いつものように扇子をパァン! と鳴らした。
しかし、その瞳はいつになく潤み、けれど凛とした光を失っていなかった。
「お聞きなさい。……一年前、あなたたちは、誰かが決めた『スコア』という名の鎖に繋がれた、名もなき囚人でしたわ。……プラチナの傲慢、アイアンの絶望。……そのどちらもが、自分の価値を他人に委ねた、不細工な逃げ道に過ぎませんでした」
麗華は一人一人の顔を見つめた。
英語で自分を証明したはるみ。長ランを脱ぎ、一人の男として立ち上がった近藤。そして、命の全責任を引き受けた保と雪乃。
「おんどれ、ええか」
麗華の広島弁が、最後の手向けとして、温かく、力強く響く。
「……外の世界は、この学校以上に不条理で、不細工な場所じゃ。……また誰かが、あんたらにランクを付け、数字で切り捨てようとするかもしれん。……じゃが、そんな時は思い出しんさい。……あんたらの胸には、九条院麗華が認めた、世界で一番硬い『誇り』のバッジが刻まれとるんじゃ!」
麗華は教壇から降り、洋一の遺影の前に立った。
「……洋一さん。……あなたの『満点』は、東大の掲示板ではなく、今日、ここに全員が揃ったこの景色にありますわ。……不細工な死を選んだあなたを、私は決して許しません。……ですが、あなたが愛したこのクラスを、私は一生、忘れませんわよ」
麗華は、窓際で腕を組んでいた加藤に向き直った。
「……加藤さん。……準備はよろしいかしら? ……女王の退場には、相応しい『風』が必要ですわ」
「……へっ。……仰せのままに、ババア」
加藤が、窓を全開にする。
春の突風が吹き込み、生徒たちが書き溜めた「交換日記」のページが、羽ばたく鳥のように舞い上がった。
「……さあ、行きなさい! ……自分の人生の、たった一人の『統治者』として! ……不細工に、泥臭く、けれど誰よりも気高く、その足で歩み続けなさいな!!」
「「ありがとうございましたッ!!」」
生徒たちの咆哮が、岡山の空を突き抜けた。
麗華は、涙を扇子で隠しながら、真っ直ぐに廊下を歩き出す。
背後から聞こえる、赤ん坊の力強い産声。
それは、数字の支配が終わった、新しい時代のファンファーレだった。
岡山県立藤ヶ峰高校、3年B組。
女王が去った後の黒板には、一言だけ、力強い筆致で書き残されていた。
『おんどれ、ええか。――死ぬ気で、幸せになりんさい』




