第36話:『女王の祝詞(ラスト・チア)』
二月。窓の外では、岡山の柔らかな陽光が、校庭の隅に残る雪を静かに溶かしていた。
3年B組の教室。そこには、一年前の「死んだ魚のような瞳」をした生徒たちの姿は、もうどこにもなかった。
プラチナも、アイアンもない。あるのは、自分の足で明日へ踏み出そうとする、若き「表現者」たちの顔だ。
学年主任や各教科の教師たちが、事務的な「諸注意」を終えて去っていく。
最後に教壇に立った麗華は、ゆっくりと扇子を閉じ、教卓の上に置いた。
彼女は今日、日傘も、派手な装飾品も身につけていない。ただ一人の「教師」として、教え子たちの前に立っていた。
「……皆さん。……長い、不細工な一年でしたわね」
麗華の声が、静まり返った教室に染み渡る。
「……スコアに怯え、ランクに縋り、自分自身の価値を他人の物差しに委ねていたあなたたちが、今、こうして自分の意志で『戦い』に赴こうとしている。……その姿こそが、私の庭で咲き誇った、何よりの勝利の証ですわ」
麗華は、窓際で求人票を握りしめる保、そして丸山家から一時的に登校した雪乃、さらには長ランを脱ぎ、清々しい顔で参考書を開く近藤へと、一人ずつ視線を送った。
「……お聞きなさい。……これから向かう場所で、あなたたちは再び『数字』で評価されるでしょう。……ですが、忘れないで。……合格しようが、不採用になろうが、あなたの『気高さ』は、そんな紙切れ一枚で揺らぐものではありません」
麗華は、ふっと優しく微笑んだ。
「おんどれ、ええか」
最後の、柔らかな広島弁。
「……道は、自分で切り拓くもんじゃ。……迷うたら、ワシの言葉を思い出しんさい。……あんたらは、誰が何と言おうと、九条院麗華が認めた、世界で一番『気高い薔薇』なんじゃから」
チャイムが鳴り響く。
生徒たちが一人、また一人と、荷物をまとめて立ち上がる。
麗華は教室の出口に立ち、一人一人の目を真っ直ぐに見つめ、その背中を、そっと言葉で押し出した。
「……がんばれ」
短く、しかし魂を揺さぶる一言。
「先生、行ってきます!」「……ありがとな、ババア!」「……私、負けません!」
生徒たちの叫びが、廊下にこだまする。
最後の一人が教室を去り、静寂が戻った放課後。
教壇に残された麗華の元に、加藤が静かに歩み寄った。
「……へっ。……『がんばれ』かよ。……女王様らしくねえ、平凡な言葉だな、先生」
「……あら。平凡だからこそ、一番深く刺さることもありますのよ、加藤さん」
麗華は、再び扇子を手に取り、パァン! と開いた。
「……さて。……生徒たちの背中を見送る『義務』は果たしましたわ。……次なる仕事は、彼らの進む道を塞ごうとする『九条院雅人』という不細工な障害物を、粉々に粉砕することですわね」
校門の外。そこには、雅人が差し向けた、真っ黒な高級車が列をなして待ち構えていた。
「卒業」という名の、最終決戦。
女王は、愛用のスポーツカーに乗り込み、アクセルを全開にした。
「……さあ、参りましょうか。……岡山編の、本当の『不細工な結末』を書き換えに!」




