第3話:反逆の学級兵法(レジスタンス・ルール)
第3話:反逆の学級兵法
「罷免、ですわね。謹んで拝命いたしますわ」
体育館の壇上。九条院麗華は、教頭・厳島から突きつけられた解雇通知を、まるで不要なレシートのように指先でつまみ上げた。
千人近い生徒の視線が、一人の女教師に集中している。その中には、勝利を確信した宮島蓮の、薄く、美しい笑みもあった。
「ですが厳島教頭。……その前に、この会場に充満している『カビの臭い』を掃除させていただいてもよろしくて?」
「……何を言っている。早く降りなさい!」
麗華は厳島の手を扇子で跳ね除けると、マイクを掴んだ。キィィィン、というハウリングが、静まり返った体育館に悲鳴のように響く。
「宮島蓮さん。……あなた、素晴らしいサッカーのフォームをなさっていますわね。一点の曇りもない、完璧なエリート。……でも、あなたのそのユニフォーム、誰の血で洗ったものですの?」
最前列の宮島が、怪訝そうに眉を寄せた。
「先生。負け惜しみは見苦しいですよ。僕たちはただ、クラスの秩序を守りたいだけです」
「秩序? ――笑わせないで。あなたが守りたいのは、安芸重工からの寄付金と、自分の推薦枠。……そして、教頭先生の隠し口座の安泰、でしょう?」
麗華が扇子を広げた。それを合図に、巨大スクリーンに一枚の書類が映し出される。
それは、宮島家の家業と学校法人、そして安芸重工を繋ぐ、複雑に絡み合った裏帳簿のコピーだった。
「なっ、なんだこれは!」厳島が絶叫する。
「捏造、と仰るのなら、こちらの音声も捏造かしら?」
スピーカーから、低く、濁った声が流れ出す。
『……日向のやつが邪魔なんじゃ。あいつ、俺のラフプレー報告しようとしとる。教頭、適当な理由つけてあいつを退部に追い込んでくれんか。安芸の親父さんには話を通しとるけぇ』
体育館が、氷点下の沈黙に包まれた。
声の主は、間違いなく宮島蓮だった。普段の爽やかな仮面の下にある、傲慢で暴力的な本音。
宮島の顔から、生気が、色が、一気に剥がれ落ちていく。
その時、壇上の横に隠れていた一人の生徒が、よろよろと姿を現した。
日向。宮島に暴行を受け、すべてを失いかけていた少年だ。
彼は麗華から渡された「毒杯」――すなわち、自分の尊厳を取り戻すための残酷な証拠を、握りしめていた。
「……宮島。お前……俺を『友達だ』って、言ったよな」
日向の声は震え、涙が床にこぼれ落ちる。
「俺、お前のこと、信じとったんじゃ。下手くそな俺に練習付き合ってくれて、本気で感謝しとったんじゃ……! なのに、裏ではこんな……!」
「日向、それは……!」
「お黙んなさい!」
麗華の一喝が、宮島の弁明を粉砕した。
「友情を売り飛ばし、弱者を踏み台にして手に入れた椅子。そんなものに座って、何が正義ですか。……三流が。泥を啜って生きる勇気もないくせに、薔薇のふりをするのはおやめなさい」
麗華は壇上から、崩れ落ちる宮島を見下ろした。
その瞳は、冷徹な刃のようでありながら、どこか深淵のような虚しさを湛えている。
「……厳島教頭。この署名簿、お返しいたしますわ」
麗華は解雇通知を、厳島の目の前で微塵切りに引き裂いた。雪のように舞い落ちる紙片。
「今日から、この学校の規律は私が書き換えます。不服がある方は、どうぞ教育委員会へなり、警察へなり、地獄へなり、ご報告なさいな」
全校集会は、地獄のような混沌の中で幕を閉じた。
夕暮れ。
準備室の扉を開けたさくらは、言葉を失った。
麗華が一人、窓の外を眺めていた。その背中が、夕陽に溶けて消えてしまいそうなほど、細く、孤独に見えたからだ。
「……先生」
「河野さん。……日向君は、泣いていましたか?」
「はい。宮島君を訴えた後、トイレでずっと。……彼、宮島君のことが本当に好きだったみたいで」
麗華は、手に持っていたティーカップを置いた。その指先が、微かに、本当に微かに震えているのを、さくらは見逃さなかった。
「……奪う側になるというのは、そういうことですわ。正義という美名の裏には、必ず誰かの絶望が張り付いている。……あなたは、その重さに耐えられますか?」
さくらは、麗華の隣に立った。
窓の下では、宮島の母親が、教職員に頭を下げ続け、泣き崩れている。
自分を無視していたクラスメイトたちが、今は怯え、誰かをスケープゴートにしようと囁き合っている。
「……耐えます。先生が、私を見ていてくれるなら」
麗華はゆっくりとさくらを振り返り、その頬を冷たい指先で撫でた。
「よろしい。……その汚れを、愛しなさい。それが、泥の中でしか咲けない薔薇の、唯一の誇りなのですから」
その夜、さくらは家に帰り、母親が焼いてくれたお好み焼きを口にした。
いつもと同じはずのソースの匂い。
けれど、さくらの鼻の奥には、鉄の匂いと、日向の涙の感触が、いつまでも消えずに残っていた。




