第19話:『狂犬の帰還(ザ・ビースト・イズ・バック)』
T校の校門を、一台の錆びついた原付が、耳を劈くような排気音を鳴らしてくぐり抜けた。
春の陽光を遮るように、灰色の校舎に落ちる影。
その影の中から現れたのは、T校の制服ではなく、着古した特攻服を肩に掛け、首筋に深い傷跡を刻んだ一人の男だった。
「……あァ、シャバの空気は不細工な味がするぜ」
戌亥蓮次。
一年前、教師三人を病院送りにし、他校の生徒を再起不能に追い込んで少年院へ送られた、T校最悪の「負の遺産」。
彼が帰ってきたという報せは、瞬く間に校内を駆け巡った。
堂島や不破さえも、その名を聞いただけで顔を強張らせ、屋上の隅へと身を寄せる。彼らにとって、戌亥は「三公」などという生温い枠組みに収まる存在ではなかった。
麗華は、職員室の窓からその光景を眺めていた。
「……あら。ずいぶんと躾のなっていない野犬が迷い込んできましたわね」
麗華は扇子をパァンと閉じ、隣で震えている校長を一瞥した。
「校長。……あの少年の『更生プログラム』、私が引き受けてよろしいかしら?」
「い、いかん! 九条院先生、あれは……あれは人間じゃない! 言葉が通じる相手じゃないんだ!」
麗華は答えず、優雅に日傘を手に取り、真っ直ぐに昇降口へと向かった。
ハイヒールの音が、静まり返った廊下に冷徹に響く。
グラウンドの中央。戌亥は、麗華が大切に手入れを命じていた花壇の薔薇を一輪、無造作に踏みにじり、煙草の火を押し付けていた。
「……ほう。私の庭で、私の薔薇にそのような不作法を。……万死に値しますわよ、戌亥さん」
戌亥がゆっくりと振り返る。
その瞳は、濁っていた。憎しみでも、怒りでもない。すべてを焼き尽くした後の、虚無。
「……あんたが、噂の『女王様』か。……綺麗すぎて、吐き気がするぜ」
戌亥は、口に含んだ唾を麗華の足元に吐き捨てた。
「俺を更生させるんだって? 笑わせんな。……俺の人生は、あんたみたいな高い場所から見下ろしてる奴らが、面白半分にぶっ壊したゴミ溜めなんだよ」
戌亥が地を蹴る。
その速度は、岩木軍団のそれとは比較にならない。獣の跳躍。
彼は懐から、短く研ぎ澄まされたバタフライナイフを抜き、麗華の喉元へと一閃させた。
――ガキィィィィィィィン!!
麗華は、動かなかった。
彼女は、日傘を閉じたまま、その先端で戌亥のナイフの軌道をミリ単位で逸らしていた。
火花が散り、麗華の頬を風が切る。
「……おんどれ、ええか」
麗華の広島弁が、かつてないほどの質量を持って戌亥の鼓膜を叩く。
「……世の中を呪うて、自分をゴミじゃ思うとるんなら、そのまま泥の中で腐っとれ。……じゃが、ワシの前に立つんなら、その『牙』を自分を救うために研いでみせんさいや!」
「……うるせええええ!!」
戌亥の咆哮。
狂犬と女王。
T校の主権を巡る、最も不細工で、最も気高き「教育」の幕が上がった。




