第18話:『胃袋の反乱(ハンガー・オブ・サイレンス)』
T校の屋上を制圧した「女王」の威光は、瞬く間に校内に知れ渡った。
岩木軍団という最強の武力を、麗華が呼び寄せた「かつての教え子たち」――私服姿で現れ、一切の無駄なく急所を突いた拓哉や、舞の軽やかな身のこなしによって無力化された光景は、生徒たちに戦慄を与えた。
もはや、麗華に正面から歯向かう者はいない。
……表面上は、だが。
「……あら。梶原さん、顔色が優れませんわね。不細工な青白さですわよ」
放課後の教室。麗華は、隅の席で机に突っ伏して震えている小柄な少年、梶原の前に立った。
麗華の手には、出張土産に買ってきた広島名物のもみじ饅頭――最高級の特注品――の空き箱があった。
「……うぅ、先生……お腹が……」
梶原は冷や汗を流し、腹を押さえて呻いている。
「不作法な。私の差し入れを食べて、そのような無様な姿を見せるとは。……一体、いくつ召し上がったのですか?」
「……な、なな……七つ、です……」
梶原の消え入りそうな声。
通常、差し入れは一人一つ。それも麗華が厳選した、一個で十分な満足感を得られる逸品だ。それを七つも。
麗華の視線が、教室の後方でニヤニヤと笑いながらスマホをいじっている三人の生徒――通称「ハイエナ・トリオ」へと向けられた。
「……ほう。誰かさんが『食べたくない』と言っているものを、無理やり口に押し込む。……それが、あなたたちの言う『友情の分かち合い』かしら?」
麗華の声が、地を這うような低音へと変わる。
「えー、先生、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ」
リーダー格の男が、肩をすくめて笑った。
「梶原が『もっと食べたい』って言うから、僕たちが譲ってあげたんですよ。親切じゃないですか」
「そうですわね。……ですが、私の瞳は、その親切とやらを**『不細工な略奪』**と鑑定いたしましたわ」
麗華はハイヒールを鳴らし、彼らの机の前まで歩み寄った。
一瞬で、教室の空気が凍りつく。
「おんどれら、ええか」
麗華が扇子をパァン! と閉じ、男の鼻先に突きつけた。
「……ワシが買ってきた菓子は、誇りを持って生きる者のための『報酬』じゃ。……それを、自分より弱い者に押し付けて、苦しむ顔を見て笑うための『凶器』に使った。……これは、ワシに対する最大の侮辱じゃいうことが、わかっとるんか?」
「ひっ……! な、何だよ、たかがお菓子だろ……」
「たかが? ……笑わせないで。……千尋さん、聞こえていますかしら?」
麗華が懐のインカムに触れる。
『――はい、先生。すでに、この三人の「親」が経営している商店の、賞味期限偽装と脱税の証拠、関係各所に匿名で送信完了しました。……あ、ついでに彼らがSNSの裏垢で呟いていた、クラスメイトへの脅迫のログも、教育委員会と警察に「ギフト」として贈っておきましたわ』
スピーカーから流れる、千尋の無機質で残酷な報告。
ハイエナ・トリオの顔から、一気に血の気が引いた。
「……あなたたちは、梶原さんの胃袋を壊した。……私は、あなたたちの『退路』を壊しましたわ。……不細工な報復だなんて思わないことね。……これは、庭を汚す雑草を根こそぎにするための『除草剤』ですもの」
麗華は、震える梶原の肩にそっと手を置いた。
「梶原さん。……無理に食べる必要はありません。……次からは、不細工な我慢などせず、その菓子を相手の顔面に叩きつけなさいな。……その後の『掃除』は、この私が引き受けてあげますわ」
夕暮れの教室。
女王の怒りは、目に見えない「いじめ」という名の膿を、容赦なく抉り出していった。
だが、その様子を廊下の陰から見つめる、岩木軍団をも凌駕する「本物の暴力」――少年院から戻ってきたばかりの、T校の真の支配者の影があった。




