第15話:鉄パイプとアフタヌーンティー(トリート・オア・バトル)
広島県立鳥影高校、通称「T校」の朝は、血と鉄錆、そして安物の煙草の臭いで始まる。
午前八時。通常、学問の殿堂であるはずの校舎内では、廊下をバイクが走り抜け、非常階段の踊り場では金銭の授受を伴う不穏な取引が行われていた。
そこは、法と秩序が日傘を差して通り過ぎる、瀬戸内の「吹き溜まり」だった。
そのグラウンドの中央に、突如として異物が出現した。
純白のレースが施されたテーブルクロス。金縁のボーンチャイナ。そして、銀の三段スタンドに盛られたスコーンとサンドイッチ。
九条院麗華は、背筋を真っ直ぐに伸ばし、深紅のイタリア製スポーツカーを背にして、優雅に椅子に腰掛けていた。
「……あら、少し風が強いですわね」
麗華は手袋を脱ぎ、慣れた手つきでポットを持ち上げた。琥珀色のダージリンが、静寂に近い所作でカップへと注がれる。
その異様な光景に、校舎の窓から、そして物陰から、獣のような鋭い視線が注がれた。
「……おい、ババア。ここをどこの庭だと思ってやがる」
地を這うような声と共に、三人の少年が歩み寄ってきた。
中央に立つのは、T校の一年を実力で束ねる「狂犬」こと、鮫島。その手には、使い古された鉄パイプが握られ、鈍い光を放っている。
「あら、おはようございます。ご挨拶が遅れましたわね。今日からこの檻の……失礼、この学校の統治を担当する九条院麗華ですわ。……鮫島さん、でしたかしら?」
麗華はカップを口に運び、優雅に微笑んだ。
「統治だぁ? 笑わせんじゃねえよ。ここは俺たちの国だ。お嬢様は、その高級車ごとスクラップにしてやるよ」
鮫島が鉄パイプを肩に担ぎ、一歩踏み出す。
「お待ちなさい。せっかくのティータイムですもの。少しお話しませんか? ……そう。あなたが抱えている、その『不細工な寂しさ』について」
「あぁん!? 寂しいだと!?」
鮫島の顔が怒りで歪む。彼は鉄パイプを振り上げ、迷うことなく麗華の脳天を狙って振り下ろした。
キィィィィィィィン!!
鼓膜を劈くような金属音が響いた。
だが、麗華の頭は砕けていなかった。
彼女は座ったまま、愛用の扇子――九条院家に伝わる、特注の超硬質合金が仕込まれた「武器」を、わずかに斜めに掲げていた。
「……ほう。打ち込みが甘いですわね。そんな腕力では、自分の誇り一つ守れませんわよ」
「……て、てめぇ……!」
鮫島は驚愕に目を見開いた。渾身の一撃を、小さな扇子一本で、それも座ったまま受け流されたのだ。
「おんどれ、ええか」
麗華の声が、氷点下まで凍りついた広島弁へと変貌する。
「ワシを殴るんなら、せめてワシが紅茶をこぼすくらいの気概を見せんさい。……鉄パイプ振り回して強うなった気になっとるんなら、それは『強さ』じゃあない。ただの『怯え』じゃ」
麗華は立ち上がり、日傘をさっと閉じた。
「てめぇ……殺してやる!」
鮫島の仲間二人が、ナイフを抜き、左右から麗華に襲いかかる。
麗華は一歩も引かなかった。
ハイヒールを石畳に鳴らし、舞うように体を入れ替える。
パァン! パァン!!
乾いた音が二回。麗華の閉じた扇子が、少年の手首と膝の急所を、正確無比に捉えた。
「ぎゃああああ!」
「痛え! なんだよ、この女……!」
一瞬で二人が地面を這う。
麗華は残った鮫島の眼前に、音もなく詰め寄った。その距離、わずか数センチ。
「鮫島さん。あなたは、本当は知っているはずですわ。……力で支配したこの王国が、砂の城のように脆いことを。……そして、あなたが一番恐れているのは、誰からも『見られない』ことだということも」
麗華の瞳が、鮫島の心の奥底にある「闇」を射抜く。
鮫島は、かつて親に捨てられ、社会に唾を吐きかけることでしか自分の存在を証明できなかった、自らの惨めさを突きつけられた気がした。
「……うるせえ! 黙れ、黙れぇ!!」
鮫島ががむしゃらに鉄パイプを振り回す。
麗華はそのすべての打撃を、最小限の動きで回避し、最後の一撃を、扇子を畳んだままその喉元に突き立てた。
「……お聞きなさい、この檻の住人たち」
麗華の声は、グラウンド中に響き渡った。
「私は、あなたたちを更生させに来たのではありません。……あなたたちが『ゴミ』として捨てられるのを、私が許さないだけです。……九条院麗華の庭にあるものは、すべてが気高く、美しくなくてはなりません」
麗華は鮫島の喉元から扇子を引き、再び椅子に座った。
「……鮫島さん。スコーンはいかが? 冷めてしまいましたが、中身のない暴力よりは、腹の足しになりますわよ」
鮫島は、鉄パイプを地面に落とした。
その肩は、怒りからではなく、初めて自分の「価値」を認められたことによる、戸惑いの震えで揺れていた。
周囲で見ていた生徒たちの間にも、戦慄と、そして奇妙な高揚感が広がっていた。
今まで、自分たちを「問題児」として排除するか、腫れ物に触れるように扱う大人しかいなかった。
だが、この女は違う。
自分たちを「猛獣」と呼びながらも、同じ土俵に立ち、圧倒的な力で自分たちの存在を肯定した。
「……あ、あんなバカげた授業、受けねえからな」
鮫島は吐き捨てるように言ったが、その瞳からは先ほどまでのどす黒い殺気が消えていた。
「結構ですわ。私は、ついて来いなどと言っておりません。……ただ、私の前を歩くというのなら、薔薇のような気高さを持って歩きなさい、と言っているのです」
麗華は最後の紅茶を飲み干し、優雅に立ち上がった。
「……さあ、ホームルームの時間ですわ。……お掃除の準備はよろしいかしら? この不細工な落書き、私の日傘に反射して瞳が汚れますもの」
九条院麗華のT校統治、第一日。
鉄パイプの音は、優雅な陶器の音に屈した。
だが、これはまだ序章に過ぎない。
校舎の最上階。影の中から、麗華を見つめる三つの瞳があった。
「……面白い女が来たな。あの『女王』、いつまであのアフタヌーンティーが続けられるか、試してやろうぜ」
T校を裏で操る「三公」。彼らの本格的な反撃が、静かに始まろうとしていた。




