11.救世主の目覚め
そういえばどのくらいの距離があるのかまで聞いていなかったが、方角がわかっているのだからとにかく走ればいい。幸い王城の城壁は東西南北に正対しており、そこへ城下町が広がっている造りである。
南にはシンデレラの実家があるが今は無人、いずれ父が帰ってくるだろうが次はいつになることやら。しかし今はそんなこと関係ない。見覚えのある方角とはほぼ真反対へ向かって走り出した。
その足取りは軽やかで人のものとは思えない。まるで馬か天かけるペガサスのようだった。それはシンデレラ自身が想像していたよりもはるかに速い。
後ろを振り返ると城の四隅に焚いてあるかがり火がはるか彼方にぽつりと光っているのがわかる。その位置を見て自分が進んでいる方向を誤らないようにしているのだが、それも間もなく役に立たなくなるだろう。
それでも空にはたくさんの星々が見えている。新月なので月は出ていないが幸い星の配置で方角はわかりそうだ。北西の方角をしっかりと確かめたシンデレラは、赤く光る星を瞳に見立てた大ドラゴン座の翼めがけて走り続けるのだった。
ほどなくして森の入り口までやってきたが、中へ入ってしまうと空が見えず方角がわからなくなるかもしれない。そう考えた彼女は思い切って木の上を進もうと飛び上がってみる。
すると案外たやすく気のてっぺんへと到達することができたため、星座を確認しつつ木々の上を次々に渡っていく。どうやらこの行動が正解だったようだ。
高い場所から見下ろすことで、先ほど聞いていた岩山へ到達する前に王子が戻ってこない理由がわかったのだ。確かにこれでは難しいだろう。それにしてもあれはなんだ?
『まさかこれが魔女の言っていた脅威ってこと!? 私にどうにかできるものなのかしら。でもまさかファンタジアースではこれが普通なわけ!?』
木々の上から見下ろした光景に、シンデレラは目を疑った。そこには通常の十倍はあろうかという獣たちが闊歩していたのである。シカやウサギのような大人しそうな動物から、イノシシやクマなどの強暴そうなものまでさまざま。その数はパッと見るだけで三・四十と言ったところだろうか。
こんなのがいたら森を戻ってくることはできまい。かといって周囲は高い崖のある岩山のため迂回路もない。それよりも無理やり通ろうとして人的被害が出ていないかが心配だった。
だが森の途切れるあたりに灯りを確認したシンデレラは安堵した。通常ではありえない大きさになっていてもしょせんは獣、火を怖がるところは変わらないようで安全が確保できているに違いない。
『殿下! 今すぐ参ります! 今少しお待ちくださいませ!』
王子の無事を願い、自分の身を投げ打ってでも助けに向かうシンデレラの心情は、彼を慕い愛しているというのが明確である。せっぱつまった今は灰賀の精神は頭の片隅に追いやられていた。
それくらい、目の前で起きている光景は異常なことなのだが不思議と恐怖は感じない。シンデレラにとって最優先なのは王子の無事、そして灰賀にとっての優先は自分が必要とされているかどうか、つまりはやりがいが行動の原動力である。
ブラック企業でいいようにこき使われていたとはいえ、業務へは進んで取り組んでいた。ありていな言葉でいえばやりがい搾取にはめられていたのだが、灰賀自身はあまりネガティブに考えておらず、おそらくは残業代や休日出勤分の賃金さえ支払われていたなら文句はなかった。
では今はやりがいに見合うだけの対価を得られるのだろうかと考える。するとそこにはシンデレラとして得られる、王子との結婚や次期王妃の立場がそれだと考えられる。
特にナルオー国の女性であれば、王子に見初められると言うのは最高の栄誉であり最高の喜びなのだ。そこに灰賀の価値観が踏み込む余地はない。
こうしてやる気最高潮のハイテンションになっているシンデレラは、布でくるんだハンガーを取り出して両手に持ち、木の上から巨大な獣へ向かって飛び降りていった。
『グワシャアアーンッ! バギッ!』
「な、なんだなんだ!?」
「敵襲ううう! 殿下をお守りしろおお!!」
騎士団が最大級の警戒をするのも無理はない。ものすごい音とともに、少し離れた森の入り口で突如大量の砂塵が舞ったのだ。何かがこちらへ進行してきたと考えても無理はない。
そしていくつもの砂塵が立ち上りながら陣へ近づいてくる。その光景に目を奪われている隙に彼らの間を疾風が駆け抜ける。そこそ最愛の王子の元へと駆けつけたシンデレラであり、彼らにとってまさしく救世主だった。
「殿下、ご無事でしたか!? わたし、いても経ってもいられず駆けつけてしまいました。お力になれるかわかりませんが精いっぱいお守りいたします!」
「し、シンデレラ!? どうやってここまでやってきたんだ!? 簡単な道のりではなかったはず。それにその恰好は――」
「あ、ああ、お恥ずかしい…… 動きやすい服がなかったので側仕えから借りてしまいまして…… でもこの場所は方角がわかったのであとは一本道でしたから迷いませんでした」
「いや、そうではなくてだな…… まあ来てしまったものは仕方ない。全員で協力して脱出することを考えよう」
「殿下お待ちください、今ここに来る間にウサギとシカとイノシシの大獣を倒してきましたが、武器が壊れてしまいまして…… なにか丈夫な鉄棒か何かお借りできたら助かるのですが…… クマがかなり手ごわそうなので素手では太刀打ちできそうにありません」
「キミは何を言ってるんだ!? 我々は騎士団総勢でウサギ一匹倒すのが精いっぱいだったんだぞ? それをシンデレラ、キミが数体の魔物を倒してきたと言うのかい? いやいやいや、そんなバカなことあるものか」
「また私を嘘つきだとお疑いなのですか? それでも構いません。私はとにかく殿下のお力になりたいのです。お助けしたいのです!」
シンデレラが嘘を言っているようには見えないが、その内容はとてもじゃないが信じられない。だが彼女は自らの言葉を証明したいのだと言うように手に持ったハンガーを差し出した。
「これは? なぜハンガーなんてもっているんだい?」
「武器になりそうなものがほかになかったので護身用に持ってまいりました。でもイノシシを殴ったところで折れてしまったのです。ですから代わりが欲しいと申し上げているのですが……」
「なるほど。僕もキミがウソをついているとも思いたくない。では試しにその手腕を見せてもらおうか。あそこにいる騎士団長の長剣を使うのはどうかな? 奪えれば、だがね」
「私…… 刃物は使用したくないのです。実家では料理の際によく手をけがしていましたからどうにも苦手です。麺棒のような叩く道具があれば―― あの荷馬車を引いている棒をお借りできますか?」
「あれとは輓曳用の牽引棒のことかい? あれは鉄の棒で相当の重さがあるのだが、試してみたいなら構わないよ。
おい馬係、シンデレラへ牽引棒を渡してやってくれ」
「ありがとうございます。それでは試しにクマを倒しに行ってまいります」
「えっ!? おい、シンデレラ、ちょっと待ちなさい! 待てと言うのに――」
馬係が二人掛かりで差し出した、彼女の背丈ほどある鉄の牽引棒を受け取ったシンデレラは、その武器を軽々と振り回しながらあっという間に森の中へと消えていった。




