第2話「暗き桜と、裏拍の剣」
京の夜はひときわ深く、冷えていた。
御所跡へ続く裏参道は、表から遮断され、厳重な封印札が並んでいた。古代文字で書かれた文様はかすかに光を放ち、侵入者を拒んでいる。
「ここから先が、禁裏の中心……だね」
真彩は封印の札に触れず、スマホで写し取りながら言った。
画面上では「封印警戒レベル:4/5」「未読メール:87」の表示が浮かんでいた。未読が減るたび、世界が変わる。その因果はすでに確信に近い。
菊乃が胸元から手製の護符を取り出し、ひとつひとつ札の間に挟みこんでゆく。真彩のスマホに反応してか、結界の光がわずかに揺れた。
「開きます……今だけ、通れるようにしました」
小声でそう言うと、竹束を担いだ新兵衛がうなずいた。
「慎重に行こう。“光の鏡守”とやらが、すでに夜皇に取り込まれている可能性がある」
3人は慎重に結界の中へと足を踏み入れた。
***
御所跡は広かった。だが草が生い茂り、朽ちた木戸や軒がただの影と化していた。
その中で、ひときわ異質なのは一本の桜だった。
他がすべて色を失っている中、その桜だけが妖しく赤い花をつけていた。
枝に下がるは、幾重にも連ねられた“お守り”と“護符”。だが、それらは明らかに禍々しく、護るというよりは封じる意図を孕んでいた。
「なにこの桜……映えるけど、超やばそうな感じする」
真彩がスマホを構えると、画面が一瞬フリーズした。
「未読メール:86」
通知はない。だが、桜の中からなにかが、こちらを見ている気配がする。
そして、次の瞬間。
「来るぞ!」
新兵衛が叫び、竹束を振るった。風を裂いて現れたのは、一人の男。
黒い衣に身を包み、両手に細身の双剣。目は深紅、肌は白く、桜の影の中から歩み出てきた。
「貴様ら、封印を壊すのか。それとも……守る者か?」
「どっちでもない。ギャルは、守りたいもののために蹴るの」
真彩が答えると、男は口角を吊り上げた。
「答えになっていない。ならば、剣で語れ」
双剣が交差し、風が吹き抜けた。
***
男の動きは速かった。左右から斬撃が襲い、桜の花びらを巻き込んで舞う。
新兵衛が間に入り、竹束で一撃を弾くが、もう一方の剣が横から迫る。
「上段から斬り込む剣ではない。リズムを、裏に置いている!」
「裏拍……?」
真彩は、ふと気づく。男の足運びと手の振り。どこかパラパラに似ている。いや、もっと正確に言えば――自分たちの踊りが、この剣術に“近い”のかもしれない。
「まさか、アンタ……“青江流”に似てるじゃん」
男は初めて驚いた顔を見せる。
「……あの技を知るか。昔、我が師が交えたという。あれは今や、失われた“裏拍剣術”」
新兵衛が息を整え、構えを直す。
「ならば継がねばなるまい。我が剣は、ギャルから学び直したものだ!」
双剣と竹束。異なる流派の“裏拍”が、今夜、桜の下で交差する。
そして真彩もまた、厚底のつま先に力を込めた。
「ギャルダンスだって剣術になるんだって、見せてあげるよ」
満開の赤い桜のもと、静かな闘いが始まろうとしていた――。
赤い桜が風に舞い、地を覆っていた。
その中心で、新兵衛と黒衣の剣士が剣を交えていた。どちらも斬るというより“間”を読む。一拍遅れた攻撃、裏打ちされた動き。音楽で言えばバックビート。
まさに、裏拍の剣。
「ほう……その竹束、ただの農具ではないな」
双剣の男は、攻防の合間にも笑みを浮かべていた。
「武器にあらずとも、使いよう次第で道は開ける」
新兵衛の息は整い、動きに迷いがない。かつて江戸で“型”ばかりを重んじた時代。彼がそこから外れたのは、この裏拍という“自由”に出会ったからだった。
だが、剣士の動きもさらに速くなる。
剣が重なり、音もなく舞い、ついには――
「下がって、新兵衛!」
真彩の声が飛ぶ。次の瞬間、彼女の厚底が火花を散らして割り込み、右脚が男の片腕を蹴り上げる。
予想外の角度。剣士のバランスが崩れ、片膝を地につく。
「……異端な動きだな。剣と舞の境界が……曖昧だ」
「ウチらの世代じゃ、それがデフォ」
真彩はスマホを掲げる。画面は揺れ、未読がひとつ減る。未読メール:85
その瞬間、桜の根本が鈍く光った。土が割れ、地下へ続く石階段が顔を覗かせる。
妖しい桜の木――その下に、封印の核心が隠されていたのだ。
***
「……やはり。この場所は、“光の鏡守”の封印場だったか」
剣士が剣を納め、頭を下げた。
「名乗りが遅れたな。我が名は〈羽柴 理久〉。“夜皇”の影を追う者であり、同時に鏡守の末裔だ」
「なら、さっきの殺意全開は何?」
「鏡守として、封印の場に入る者は誰であれ試さねばならなかった。……だが、剣術に裏拍を見た瞬間、戦いの意味が変わった」
新兵衛は無言で頷く。
その横で、真彩は地下への階段を見つめていた。月光が斜めに差し込んで、石に染み込んだ封印紋が浮かび上がる。
スマホの画面に新たな通知が届いた。
──“記憶断片を検出しました。起動しますか?”
「……え、記憶って何……?」
指が震えた。YESを押すと、画面が暗転し、動画のような映像が再生される。
そこには、“もう一人の真彩”がいた。
渋谷の交差点。スクランブルの光。手にはスマホ。耳にはイヤホン。
だが、その表情は――悲しみに満ちていた。
『……ねぇ、だれか、気づいてよ』
声は、たしかに自分の声だった。
けれど、自分でも思い出せない場面。そんな映像の最後、画面にはこう表示された。
記憶断片再生済み → 未読メール:84
真彩はスマホを握りしめる。
「……そういうことか。スマホにある未読、これ、ウチの“忘れてる記憶”なんだ」
理久が静かに言う。
「おそらく君のスマホは、封印された“魂の履歴”とリンクしている。夜皇が狙うのは……その記憶だ」
厚底の先で真彩は地面を蹴った。
「じゃ、全部取り戻す。記憶も、未来も。だってギャルはさ――未読、溜めたくないんだわ」
桜の花が風に舞い、誰もいない夜の都に、赤い火花が広がった。
石階段の下は、ひんやりとした空気に満ちていた。
灯りはなく、ただスマホの青い光だけが足元を照らす。新兵衛と理久が前を進み、菊乃が真彩の背を守るようについてくる。
地下空間の中央には、ぽつりと浮かぶ鏡石。
高さは腰ほど、表面は水面のように揺れ、うっすらと誰かの影を映している。
「これが“光の鏡守”……?」
真彩が呟いたそのとき、鏡の中の影がゆらりと動いた。
それは――少女だった。
渋谷風の制服。膝上スカート。だが、表情は真彩とは似て非なる。髪は黒く、目は感情を失ったように虚ろだ。
「私……?」
声に反応するように、鏡の少女が口を開く。
『あたしはお前。“置いていかれた真彩”。未読にされた感情そのもの』
真彩の身体がこわばる。スマホが激しく震え、【未読83】へと数字が変わる。
鏡の中から少女がにじみ出るように姿を変え、土の上へと立った。
影ではない。実体を持った、もう一人の“真彩”。
『記憶を失ったことで、あたしは捨てられた。だから、夜皇と契約した』
「ちょ、ちょい待ち。ウチ、自分と戦うパターン? そういうエモ展開、油断すると泣くやつじゃん!」
『お前のために、あたしはここでずっと未読だった! 既読スルーされるくらいなら、世界ごと壊してやる!』
もう一人の真彩が、黒いスマホを構えた。
その画面から、濁った光が走る。鏡石が脈打ち、地面に封印の文字が浮かび上がった。
「これは、闇の封印式!」
理久が咄嗟に札を投げたが、黒真彩のスマホがその力を無効化する。
『未読は力。お前が気づかないほど、あたしは強くなる』
その言葉に、真彩は厚底の先を強く踏み鳴らした。
「……アンタが“置いてきたウチ”なら、今、拾いに来たわ。ギャルってのはね、既読スルーしないのが仁義なんだよ!」
叫ぶと同時、スマホの画面が爆光する。【未読82】→【81】→【80】
記憶が、戻ってくる――
***
渋谷の風景。スクランブル交差点で立ちすくむ自分。
誰にも気づかれず、誰とも話せず、ただ通知だけが溜まっていく。
“帰りたい”って言えなかった過去。
“寂しい”って打ちかけて消したメッセージ。
それが、封印の力になっていた。
『気づいてくれて、ありがとう』
黒真彩の身体がゆっくりと崩れていく。闇は静かに消え、鏡石の表面が澄み渡った。
スマホの表示は――【未読:80】
「戻った……」
真彩が涙を拭いながら呟いた。
そのとき、鏡石の奥から低く、不気味な声が響く。
『次は……“七夜の契り”……未読七十に至る刻、夜皇は目覚める……』
声はどこか遠く、けれど確かに聞こえた。
「夜皇……本格的に動き出すってことね」
理久が神妙に頷き、新兵衛は竹束を握り直した。
封印は深まったが、心の奥の“未読”は、少しずつ既読へと変わっている。
「まだまだ減らすよ。未読ゼロでエモ爆発させるから」
その言葉に、誰ともなく笑みが漏れた。
桜の花びらが静かに舞い、地下の封印空間に春の気配が訪れた。