第二章 封印残響、京の都と影の警邏隊
第1話「幽京異聞、夜の街にて」
封印が崩れた胎内谷。谷風は静まり、鏡石の光も消えた。
真彩は壊れたスマホを見つめ、未読カウントが【90】のまま止まっているのを確認する。青い液晶は弱々しく明滅し、何かを訴えるようだった。
「まだ終わってないってことね……じゃ、次はどこ?」
手の中のスマホが微かに震えた。再起動のように画面がチカつき、『マガツ神マップ』のアイコンが勝手に起動する。現在地の上に、古めかしい漢字でこう記されていた。
──“京ノ都・幽界之図”。
「渋谷のマップアプリと違って、めっちゃホラゲー感ある……」
真彩が思わず引き笑いを漏らすと、スマホの画面が一気に明転し、白光が溢れ出した。次の瞬間、空間が波打つ。
視界が白に包まれ、身体がぐらりと揺れる。足元が崩れ、地面がなくなる感覚。気づけば、三人は夜の街並みに立っていた。
***
そこは“京”と呼ばれる都だった。けれど歴史の教科書に載るような賑わいはなく、どこか影を帯びていた。通りには行灯が灯るが、屋台も町人もなく、静まり返っている。
だが路地裏からは、かすかな足音や鼻歌のようなものが漏れていた。木戸には「夜間外出、妖しの通行注意」と墨で書かれた札が貼られている。
「ちょっと、ここ……異界寄りすぎじゃない?」
真彩はスマホでマップを確認しようとするが、電波は圏外。未読カウントだけが「90」を維持していた。
「さっきの転移、マジで“アプリ経由”だったんじゃ……」
菊乃は怯えた様子で真彩の腕に寄り添う。
「都といえば栄えた場所と聞いていたのに、まるで幽世です……」
そのとき、遠くから複数の足音が響いた。曲がり角から現れたのは、黒羽織に白い面をつけた者たち。武具と提灯を携え、まるで警邏のように町を巡回していた。
一人が面を外す。年の頃は二十代半ばの女、鋭い目つきと金属的な声が印象的だった。
「旅人か? この時間帯に動くとは珍しいな……いや、その装束は……?」
真彩の厚底とカラーの髪、ポーチからはみ出たリップグロスが、どうやら問題だったらしい。
「そっちこそ、全員仮装ギャルじゃん。演舞集団か何か?」
「無礼だな。私たちは“夜巡組”――この京を夜の怪異から護る、禁裏直属の特例部隊だ」
「へぇー……こっちは“厚底ギャルレスキュー隊”ってとこ?」
真彩がウィンクしながらポージングを取ると、面の集団の中で一人が吹き出した。だが金属声の女性は一歩踏み出し、鋭く問う。
「封印術を纏っているな。そこの……スマホだ」
真彩は反射的にスマホを隠すが、女性は鞘から一本の刀をわずかに抜く。刃先が青い月光を受けて揺れた。
新兵衛が静かに竹束を構えた。
「敵意か。ならばこちらも応じる」
その緊張の刹那、突如どこからか石が飛び、女性の足元に転がった。刹那、闇の隙間から煙を纏った妖のような男が現れ、巡回中の提灯を弾き飛ばす。
「おっと、夜警の紹介はまた今度にしようや」
真彩は反射的に厚底の鉄板を鳴らす。
「やっと“映え”来た!」
青光を放つスマホを左手に、真彩は疾走する――夜の京、最初の事件の幕が静かに上がった。
厚底の爪が石畳を打ち、京の夜に火花が走る。
真彩のブーツは鍛冶の熱をまだ帯びており、鉄の爪先が闇を裂いた。背後からは竹束を構える新兵衛、薬草籠を背負った菊乃が続く。
目の前で逃げる妖は、黒煙を身にまとい、道の影へ影へと身体を滑らせてゆく。
「ちょ、アイツ、ワープ系!? チートじゃん!」
真彩はスマホを構え、カメラを起動。すると画面に赤い軌跡が浮かんだ。
“マガツ神マップ”が自動で切り替わり、妖の進路を指し示すようにラインを描く。
「これって……GPSの、封印妖バージョンってこと?」
「真彩さま! そちら、三条大橋の下へ向かっています!」
菊乃が走りながら叫ぶ。夜警団の一部が後方から追いついてきた。例の金属声の女性が先頭だ。
「勝手な行動は許されない! 夜警団が対応する!」
「いや、これウチらの未読に関係ある系だから! 横取り禁止!」
真彩はパラパラの“ウィングステップ”で軸足を切り替え、石段を駆け下りる。橋の下には古い神社の祠が埋もれており、そこに妖が身を隠したらしい。
新兵衛が先行し、竹束で入口を押さえる。その直後、黒煙が祠の内側から吹き出し、視界を覆った。
「来るッ!」
声と同時、祠から飛び出したのは人型を保ったまま煙に包まれた妖。だがその目だけがギラギラと赤く輝いている。
「おまえら、知らねぇだろ……この都には“夜皇”の影が根を張ってんだよ」
「夜皇……?」
その単語に、夜警団の女隊長が目を見開く。
「黙れ、禁句だ! それを口にするな!」
真彩のスマホがブルブルと震えた。画面には**「未読メール89」**の表示。何も通知は来ていないのに、未読が減っていく。
次の瞬間、妖が飛びかかってきた。小太刀を抜いた女隊長が斬りつけるが、煙に紛れてかわされる。
その隙に、真彩が動く。ヒールを逆手に取り、火花を走らせるように蹴り出す。
「パラパラ・ソウルリバースモードッ!」
蹴り足が妖の肩をかすめ、煙が一部散る。その核心には**ヒビの入った“仮面”**があった。
狐面に似ているが、もっと粗く、古代の呪符で補強されている。未読カウントが再び揺れる。
新兵衛が間合いに入り、竹束の穂先でその仮面を狙う。
「裏拍……一閃!」
ギャルダンスから得た“後打ちのリズム”で突きを合わせ、仮面を貫く。
瞬間、煙が爆ぜるように弾けた。妖は消え、祠の中に**小さな“鏡の破片”**が残された。
真彩が駆け寄り、それを拾い上げると、スマホの画面が反応。青い光が脈動し、破片とスマホの亀裂が共鳴した。
「……これ、封印のパーツ? てことは、京にも……」
「“鏡石”がある。もう一つな」
女隊長が息を整えて呟く。
「そしてその鏡を狙うのが、“夜皇”と呼ばれる存在だ。さっきの妖は、その手先の一人」
「やっぱバイブス的にラスボス臭、出てると思った〜」
真彩は破片をポーチにしまい、スマホの未読を再確認する。【未読:88】。減っている。
ただし、通知はやはり届いていない。
闇が濃くなっていく京の街。
その静けさの奥に、かつてない規模の封印崩壊の兆しが、じわじわと満ちていた。
夜警団の面々が散開し、現場を検証していた。祠の奥からは妖の残滓のような煙が薄く漂い、石畳の隙間に吸い込まれていく。
真彩はスマホを掲げ、先ほど拾った鏡の破片を重ねてみる。画面のヒビに、まるでパズルの一部のように嵌まりかけた。
「やっぱこれ、ウチのスマホの一部だよね。てか、封印の鍵じゃん!」
「鏡石と共鳴する破片……夜皇の狙いが少し見えたな」
新兵衛が竹束の先で地面をなぞる。曲がった封印の紋様が、すでにこの京の下層まで侵食しているのを示していた。
「夜皇って、何者なんですか?」
菊乃が尋ねると、夜警団の女隊長が短く答えた。
「名前は知られていない。が、百年前、都の封印を壊し、“夜を支配する力”を得ようとした存在だ」
その“百年前”という言葉に、真彩の指が止まる。
「ちょっと待って。じゃあそれって、江戸時代の中でも……前の時代の話?」
「そうだ。だが完全には消滅せず、残り火のように都市の下層に潜んでいる。現代の渋谷とは違い、こちらの“闇”は生きている」
真彩はスマホを見下ろす。【未読88】のまま。けれど、先ほどのように光ってはいない。
静かに、次の段階を待っているようだった。
***
夜警団の詰所に案内され、三人は簡素な木の床に腰を下ろしていた。
真彩はブーツを脱ぎ、ソックスの穴を見てため息をつく。
「……江戸に来てから、消耗品のありがたさがヤバいんだけど」
その横で、新兵衛が図面を広げる。京の地下に張り巡らされた封印網を表す図だった。
「次の鏡石はここ、禁裏の御所跡にあるらしい」
「まさかの皇族ゾーン!?」
「ただ、そこは厳重に封鎖されている。人も近づけない。それを護っているのが、“光の鏡守”という存在だ」
菊乃がそっと地図の一点を指さす。
「でも……地脈の乱れはこちらの“下”から強く出ています。もしかすると、鏡守がすでに侵されて……」
その言葉を途中で遮ったのは、突然のスマホの震えだった。
バイブ音は長く、鋭く、まるで警報のように響く。
画面に現れたのは、真彩自身の顔写真だった。渋谷のプリクラ風の画像。だがその表情は、笑っていなかった。
プリクラの瞳が赤く染まり、フレーム外から黒い“影”の手が伸びていた。
「なにこれ……え、ウチ、呪われてる系!?」
【未読87】
ひとつ減った通知は、誰からのものか分からない。けれど、明確な警告だけは伝わる。
――お前の中にも、“夜”がある。
真彩は震えるスマホを握り直し、深く息をついた。
「……行くしかないでしょ。“自分”を取り戻すって、そういうことっしょ?」
新兵衛は頷き、竹束を背に立ち上がる。
「夜皇がこの都を蝕む前に。鏡石を……そして、お前の未来を守るために」
真彩は厚底を履き直し、ソールを鳴らした。火花が小さく散る。
「ぶち上げてこう。“夜”だって、光当てれば映えるっしょ」
その夜、三人は京の中心部、封印された御所へと向かう。
未読メールは87、そして深層に眠る“記憶”と“闇”が、静かに目を覚まし始めていた――。