第一話 雨粒ネオンとプリクラの眩暈
金曜二十二時。渋谷センター街のアスファルトには夕立あとの水膜が残り、ピンクとターコイズのネオンが溶けた飴細工のように滲んでいた。クレープ屋の甘い焦げバターと排気ガスの金属臭が層になり、若者たちの笑い声が道路標識に跳ね返る。
厚底二十五センチ、ガングロ肌に星ホログラムの女子高生――渋谷真彩はプリクラ筐体〈Shibuya★Starlight04〉へ友人と滑り込む。紫外線ランプが白コンタクトを淡く光らせ、背面LEDがクラブさながらに点滅していた。
「ラスト一枚、超映えで行くよ。三、二、一――あげぽよ!」
シャッター音。キセノンフラッシュが狭いブースを真空パックの白で満たし、天井パネルが甲高く唸る。紫電が走り、真彩のスマホが震えた。
ロック画面に見慣れない通知が滲む。
《マガツ神マップをインストールしました》
読む暇もなく床が沈む。視界が反転し、ネオンが帯となって渦を巻き、プリクラ背景のハートが紙吹雪のように散った。耳鳴りが烈風になり、真彩はスマホとショルダーポーチを抱え込む。
浮遊感の中で未読バッジが弾け、一気に九十九へ跳ねる。光の渦が暗転するまで何秒だったか――背中を受け止めたのは苔の弾力だった。湿った土の匂いがジャケットへ染み込み、息を吸えば腐葉土と杉皮の湿り気。
頭上には天の川。都市では見えない星が降り注ぎ、流星が静かに尾を引く。真彩は立ち上がり、スマホライトを最強にする。圏外アイコンと未読九十九の赤が脈打っていた。
***
右手で枝の折れる音。ライトを向けると、麻の裂織の着物を着た少女が震えている。背負う薬草籠が月光を返し、琥珀色の瞳が揺れた。
「や、山姥さま……どうか命だけは」
少女は土下座で額を擦りつける。黒肌に白コン、星屑メイク――真彩は自分の姿が妖怪に見えると悟った。
「違うって。ウチ、人間。渋谷の真彩!」
声は届かず少女は震える。真彩はスマホに笑顔マークを描き、枝で地面に写し胸に手を置く。
「これ、友達って意味。わかる?」
少女は恐々と顔を上げる。
「拙は菊乃と申します。薬草採りで迷い……まさか山姥さまに遭うとは」
時代劇じみた口調に背が冷える。未読九十九が赤く揺れた。
***
菊乃に導かれ月光の山道を下る。真彩は厚底を脱ぎ、靴底を熊鈴代わりに叩く。ライトが斜面を舐め、白い狐面が一瞬だけ光を撥ね返した。面は闇へ溶け、真彩は気づかない。
茅葺屋根の集落が灯を揺らす。門前で菊乃が叫ぶ。
「皆の衆、薬師さまをお連れ申した!」
戸が乱暴に閉まり悲鳴が立つ。庄屋だけが進み出た。
「どうか祟りを鎮めたまえ……」
真彩はポーチからファンデを取り出し、庄屋の妻の頬にひと刷け。肌が艶を帯び村人がざわめく。
「山姥さまは美容の神か?」
「“あげぽよ”って言うんだ。いい感じって意味」
菊乃は祝詞と誤解し「アゲホヨ!」と唱え、村中へ広がる。真彩は苦笑し、厚底を鳴らした。
***
翌朝、薬草小屋で八歳の男児が高熱にうなされていた。医師は峠の向こう。真彩はポーチのエナジーパウダーを思い出す。鉄鍋に米と薬草、粉末を入れ、厚底をまな板にして刻む。
「山姥さまの鉄下駄、万能具足!」
粥を口に運ぶと男児の額に汗が滲み、頬に紅が戻る。タオルが足りず真彩はルーズソックスで汗を拭った。白布は聖布と呼ばれ、母親たちが列を作る。
その瞬間、スマホが勝手にシャッターを切った。画面には快方へ向かう男児と真彩、右上に赤い《警戒レベル:1》。未読は九十八。胸騒ぎを飲み込み端末を閉じる。
***
夕刻、泉で手を清める背後に白い狐面が浮かぶ。ライトが弾かれ、振り向いた刹那消える。スマホレンズが真紅のエラーを吐き、未読九十七。
***
夜、庄屋の庭で篝火が轟々と燃える。米俵、藍反物、干し鮎――村の全財産が供えられた。真彩は反物を厚底に巻き、火を背にステップを踏む。
「“あげぽよ”は心が上を向く合図。今夜から、この里には新しい風が吹くよ」
村人が唱和する。
「あげぽよ、あげぽよ」
火の粉が星屑のように舞い、森の上で狐面が細く笑った。スマホ通知は未読九十六。真彩はまだ気付かない――渋谷最強のヤマンバJK、“あげぽよ山姥”として江戸の夜に名乗りを上げた。
未読バッジの数字が弾け、一気に九十九へ跳ねた。浮遊感の真ん中で光の渦が収束し、暗闇に落ちるまでの時間を真彩は数えられなかった。ただ背中を受け止めたのは苔の弾力。湿った土の匂いがジャケットへ染み込む。
頭上には天の川。都市では見えもしない星々が降り注ぎ、流星が静かに尾を引く。息を吸えば腐葉土と杉皮の湿り気。真彩は立ち上がり、スマホライトで周囲を照らす。圏外マークと未読九十九が赤く脈打っていた。
***
右手で枝の折れる音。ライトを向けると、麻の裂織の着物を着た少女が立つ。背負った薬草籠が月光を返し、琥珀色の瞳が震えた。
「や、山姥さま……どうか命だけは」
少女は土下座の勢いで額を擦りつける。真彩は黒肌と白コン、星屑メイクを思い出し観念した。
「違うって。ウチ、人間。渋谷の真彩!」
声は届かず少女は震える。真彩はスマホに笑顔マークを描き、枝で地面に写し胸に手を置く。
「これ、友達って意味。わかる?」
少女は恐る恐る顔を上げた。
「拙は菊乃と申します。薬草採りで迷い、まさか山姥さまに遭うとは……」
時代劇じみた言葉遣い。背筋を冷汗が伝い、未読九十九の数字が赤く揺れた。
***
菊乃に導かれ月光の山道を下る。真彩は厚底を脱いで靴底を熊鈴代わりに叩く。梟の低い啼き、遠い沢のせせらぎ。ライトが斜面を舐め、白い狐面が一瞬だけ光を跳ね返した。面は闇へ溶けた。真彩は気づかない。
やがて茅葺屋根の集落が灯を揺らす。門前で菊乃が声を張る。
「皆の衆、薬師さまをお連れ申した!」
戸が乱暴に閉まり悲鳴が立つ。庄屋だけが進み出る。
「どうか祟りを鎮めたまえ……」
真彩はポーチからファンデを取り出し、庄屋の妻の頬にひと刷け。肌が艶を帯び、村人がどよめく。
「山姥さまは美容の神か?」
「“あげぽよ”って言うんだ。いい感じって意味」
菊乃は祝詞と誤解し「アゲホヨ!」と唱え、村中へ広がった。真彩は笑いながら厚底を鳴らす。
***
翌朝、薬草小屋で八歳の男児が高熱にうなされていた。医師は峠の向こう。真彩はポーチのエナジーパウダーを思い出す。鉄鍋に米と薬草、粉末を入れ、厚底をまな板にして刻む。
「山姥さまの鉄下駄、万能具足!」
粥を口に運ぶと男児の額に汗が滲み、頬に紅が戻る。タオルが足りず、真彩はルーズソックスで汗を拭った。白布は聖布と呼ばれ、母親たちが列を作る。
その瞬間、スマホが勝手にシャッターを切った。画面には回復に向かう男児と真彩、右上に赤い《警戒レベル:1》。未読は九十八。胸騒ぎを飲み込み端末を閉じる。
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夕刻、泉で手を清める二人の背後に白い狐面が浮かぶ。ライトが弾かれ、振り向いた刹那消える。スマホレンズが真紅のエラーを吐き、未読九十七。
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夜、庄屋の庭で篝火が轟々と燃える。米俵、藍の反物、干し鮎――村の全財産が供えられた。真彩は反物を厚底に巻き、火を背にパラパラのステップをスローテンポへ変換する。
「“あげぽよ”は心が上を向く合図。今夜から、この里には新しい風が吹くよ」
村人が唱和する。
「あげぽよ、あげぽよ」
火の粉が星屑のように舞い、森の上で狐面が細く笑った。スマホ通知は未読九十六。真彩はまだ気付かない――渋谷最強のヤマンバJK、“あげぽよ山姥”として江戸の夜に名乗りを上げた。
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