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妖精の見える君へ  作者: 江村真
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遠くからチャイムがなる薄暗い帰り道。

この数ヶ月でだいぶ通い慣れた上り坂。


街灯が点滅し、何人かの町人とすれ違う。

街灯に引き寄せられた蛾がゴツんとぶつかる音が聞こえるほどに静かな宵闇。


どこかの明かりのついた家からカレーの匂いが漂い、空腹を刺激する。

そういえば昔、

まだ藤原家にいた時、母さんは何かのイベントにつけてカレーを作っていたな……。


テストがあった日。運動会の前日。

風邪を引いた時にもカレーが出てきた時は父さんと一緒に思わず笑ったのを覚えてる。

かと言って別に母さんはカレーがそんなに好きというわけでもなくって。

子供といえばカレーっていうイメージがあったんだろう。


妹が生まれてからは今度はお菓子作りにハマってて。

年々豪華になるケーキが楽しみだった。

良くも、そして、「悪くも」。

イメージに、雰囲気に、思い込みに。

すごく左右されやすい人だったんだろう。

人には見えないものが見えると噂になって真っ先に心を痛めたのが母さんだった。

どうして普通にできないの。何でそんな変なことを言うの。お願いだからまともになって、と。


初めは父さんも味方をしてくれてた。

「子供特有の妄想だよ」「勘違いだ」と。


けど、あの事件があった直後から2人の僕を見る目はガラリと変わった。

いつかその牙が自分達に向かうんじゃないかと。まだ幼い妹にまで被害が及ぶんじゃないかと。


今思えば、みんなもう壊れてたんだろう。

周囲からの心無い噂。

いくつか本当のこともあったから、完全には否定もできなくて。


そうして日に日に心がすり減っていったんだろう。

そうして、あの日に繋がったんだろうか。




帰り着いた神崎家の正門は閉ざされていた。


(詩織さん、まだ帰ってきてなかったのか……)


格子の隙間から門の鍵を開ける。

手元にはきちんとそれ用の鍵があるんだけど、面倒なので詩織さんも僕も、お手伝いの文さんも誰も使っていない。


キィ…と、軽い音を立てて門が開く。

入ってすぐ、玄関へ辿り着く。


昔住んでいた、一般家庭である藤原家に比べると広さはおおよそ倍ほどの広さ。

周囲の建屋に比べてもなお大きく感じられる。


元は師匠……、詩織さんの実父、裕次郎さんのそのまたお父さんが所持していた家なのだと言う。

相続する際、放浪癖がある師匠ではなく詩織さんに引き渡されたらしい。


「ただいまーっと……」


誰もいない玄関をくぐり、灯りをつける。

暗かった階段に光が灯り、照らされる絨毯が柔らかな青色の光を跳ね返す。


2人で暮らすには広すぎるお家。

昔はかなりの人数が住んでいたらしいけど、建物を作り直した際に合わせて縁も切り離したらしい。


階段を登らずに、そのまま向かって右手側。

奥から2番目が僕に与えられている部屋。

制服を脱ぎハンガーにかける。

カーテンを開け、夜の空気を部屋に招き込む。


歩いて熱った体を冷たい夜風が撫行き、余剰な熱が攫われていく。

しばらくぼーっとしていると、玄関から人の気配がする。


この時間だから……おそらくフミさんが帰ってきたのだろう。

そうともしないうちに気配はキッチンに動き、直ちに芳しい匂いが漂ってくる。


この匂いは……、カレーだ。

それも、すぐに漂ってくる匂いからしておそらく今日もレトルトなのだろう。


「贅沢言っちゃいけないんだけど……、連チャンのカレーはなぁ……」


そんなに嫌なら自分で作りなさい、と誰かが言っている気がする。

しかし育ち盛りの思春期真っ盛りとしてはもう少し肉というかタンパク質というか、お腹に溜まるものが食べたくなる。


部屋着に着替えてキッチンへ向かう。

ちょうどレトルトパウチをご飯に開けている文さんを見つける。


「お疲れ様です、文さん」


「あら、ミツルさん。おかえりだったんですね。おかえりなさい」


詩織さんとほぼ同年代に見える女性。

黒髪ロングの、それこそ浴衣を着れば大和撫子と呼べるような様相。

これで実は詩織さんと10ほど離れているのだから驚きだ。


詩織さん曰く。

『あれはいわゆる日本妖怪というやつよ。……あの人を女性の基準として考えない様に。人生狂うわよ?』


高校は難しいかもしれないけど、今でも大学生と言われても違和感は全然ない。


「文さん、手伝いますよ」


棚からサラダ用の器とスプーンを出す。

そのまま冷蔵庫からレタスを取り出し、ちぎって器に乗せてゆく。

あっという間に準備が整い、卓上には3人分の食事が並ぶ。


「じゃぁ、詩織さんを呼んできますので少々お待ちくださいね」


そう言って文さんが家を出ていく。

実はこの家の隣も神崎家の所有物で、もっぱら詩織さんの職場、アトリエとして使われている。

詩織さんはその道では画家としてとても有名なのだそう。


その絵は人を引き込む魅力があって、構図から色彩、画風に至るまで根強い人気がある。

文さんもその手伝いをしているらしいけど、一体どんな手伝いなのか……。



「あぁ、帰ってたのね、ミツル。おかえりなさい」


「ただいまです、詩織さん」


乾燥した絵の具の匂いをつけた詩織さんと文さんが戻ってくる。

しおりさんの顔を見ると、今朝見かけた時に比べて血色が悪くなってる。


「またぶっ続けで書いてたんですか?顔色、悪いですよ」


「あら、ほんと?……思いの外筆がのっちゃってね次からは気をつけるわ」


「またそんなこと言って。ミツルさんもっと強く言ってくださいよ。どうせ次もおんなじことするんですから」


「そんなことないわよ。徹夜とかは無くなしたんだからその進歩を褒めて欲しいぐらいだわ」


「いいえ。それは志が低すぎると言うものです。もういい大人なのですから。ミツルさんの手本としてもしっかりとした生活習慣をつけていただかないと困ります」


「いい大人って……、いえ、そう、ね」


ふと自身の年齢を思い出したのか一気に暗い表情になる。

それでいて目の前の文さんは自身よりも年上だと言うのにとても若々しいのだからその思いや否や。


「さ、まずはご飯を食べてしまいましょう。せっかくのご飯が冷めてしまっては勿体無いもの」


「また、後で続き話させてもらいますからね?」


わかったわよ、次からは気をつけるわよ、と。

詩織さんと文さんが席につく。


「どうしたの、ミツル。あなたも早く席に着きなさい」


「え、あ、はい」


2人のいつものやり取りについ気を取られてしまっていた。

慌てて席に着き、匙を取る。


「それでは、いただきます」


「「いただきます」」


盛られたカレーに匙を通す。

ほかほかのご飯に乗せられた茶色のスープ。

レトルトだからまずいなんてことはなく、そこそこに美味しい。


と、しばらくすると喉が焼けるような痛みに襲われる。

2人とも辛党だからそれに合わせて選ばれたこれはとにかく辛い。覚悟の上で食べていたのだけど、思った以上の辛みが喉を襲う。


水滴のついたキンキンに冷えた水を口に入れ、辛み成分を洗い流し、抗議する。


「ふ、文さんこれ、やたらと辛くないですか!?」


「そうですか?うーん、ちょっと物足りなくて辛みを足してみたのですが……詩織さんはいかがです?」


涼しい顔をした文さんが、これまた何でもない顔でカレーを口に運ぶ。

もぐもぐと咀嚼した後、これまた何の問題もない様子で詩織さんが答える。


「うーん、私的にはまだちょっと物足りないぐらいかしら」


「そ、そう、ですか」


役体もない会話を続け、何とか激辛のカレーを胃の中に収める。

明日はきっと腹痛だな…と、思いながら最後のお冷を飲み干す。


カチッと音がすると、隣から白い煙が漂ってくる。

香ばしく、嫌にならない匂い。

すーー、はーーっと、深く息を吸う音。


「お疲れですねわ詩織さん」


タバコ片手に天井を見つめる姿が見える。


「ん?あぁ、そうだね。……筆がのったせいで休みなく動いたからね。流石に身に応えてきたよ。これも歳なのかね」


「だから少しは休憩しましょうって言ったじゃないですか」


カチャカチャと空いたお皿を集めながら文さんが言葉を漏らす。


「そうは言ってもね。最近特に注文が多いから筆が乗るうちに書き上げてしまいたかったんだよ」


「そんなに忙しいんですか?」


もしかして、1人分の生活費が増えたからいつも以上に忙しいのだろうか。

そんな表情が浮かんでいたのか、詩織さんが苦笑交じりに答える。


「この時期はどうしてもね。去年はそれこそもっとすごかったんだよ。文、あれって何鉄ぐらいしたんだっけ」


「たしか、3鉄でしたね。確かにそれに比べると少しはマシになってるかもしれませんね」


かちゃりと目の前に紅茶が差し出される。

あぁ、美味しいと詩織さんが茶器を傾ける。


よくもまぁあれだけ激辛のカレーを食べた後に味がわかるもんだと突っ込みたくなる。


「それはそれとしてミツルくん。君、そろそろテストらしいじゃないか」


「……どこからその話を?」


できることなら隠しておきたい事柄No.1。

意図的に隠すつもりもなかったけど話題にも出さないようにしてたはずなのに。


「うちの客の人が同じ学校の生徒さんの親御さんでね。今毎日テスト勉強で忙しそうにしてるって話をしてたんだよ」


「そ、それは偉いですねぇ……」


グシリと吸い殻が灰皿に押し付けられる。

白い煙が立ち上がり、詩織さんは新しいタバコを取り出しまた吸い始める。


「君の事情も、十分に理解している。最近帰国したばかりで勉強についていくだけでも大変だろうってことも、だ」


それでも、と後ろに言葉が続いた。

文さんはうんうん、と後ろで強く頷いていてこの後の言葉が容易に想像がついてしまう。


「だからと言って勉強しないのは、努力しようとするそぶりすら見せないのはいかがかと思うのだよ、私は」


ズビしと指を突きつけられる。

グゥの音も出ないほどの正論を突きつけられる。


「と、言うわけだ。そこで君に少し課題を与えることにする」


そう言ってばかりと文さんがタオルを横に広げた。

『目指せ!赤点回避!!』


「ま、せめてこのくらいは頑張りたまえよ」


「は、はい……」


意外と緩かった。


ーーーー


夕食後。

自室に戻り机の上の教科書に目を向ける。

『赤点回避』

思いの外ハードルは低かったけど、今の僕ではもしかしたらと言うのが十分にあり得る。

と、言うか普通にやりかねない。


「クラス10位以内とか言われないだけマシなんだけどさぁ」


ぱらりと教科書をめくってみてもよくわからない問題ばかりが出てくる。

そもそもだ。内容を理解していないのもあるけど勉強の仕方がわからないと言うのがいちばんの問題な気がする。


「こんなことなら志島に勉強を教わっておけばよかった……」


かくなる上は文さんか詩織さんにでも聞いてみようか。


「……あれ?今日の放課後ってたしか」


頭の隅に、違和感を感じる。

そうだ、今日はテストが近いからって勉強をしなきゃと思ったんだ。

それで、放課後に志島に勉強を教えてくれないかと頼んで。

放課後、化学準備室を借りて2人で……。


いや、そもそもどうして勉強をしなきゃならないって思ったんだろうか。


「……疲れてるのかな」


慣れないことをしたせいできっと疲れてるんだろう。

明日頑張れることは明日からがんばろう。



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